”インド洋の真珠”ともいわれる美しい島。北海道の約8割の面積でしかない島国で、人口の15%を占めるタミル人の組織と多数派のシンハラ人の政権との間に、1983年から2009年まで26年間にわたって内戦が続きました。パルシックは2004年7月にタミル人地域である島の北端の町、ジャフナに事務所を置き、内戦で被害の多かった漁村の復興支援事業を開始しました。
2022年10月12日 スリランカ経済危機 北部の漁村に緊急食料・生活用品を配付しました
2022年8月末までに皆さまからいただいたご寄付を、現地に暮らす元スタッフのアジットさんに託し、20…2022年09月14日 スリランカ経済危機 支援物資の配付準備と7月以降の動き
2022年7月7日、オンラインイベント「スリランカ経済危機:そこに暮らす人びとの今」を開催しました。…2022年07月14日 【開催報告】スリランカ経済危機:そこに暮らす人びとの今(後編)
2022年7月7日夜に、「スリランカ経済危機:そこに暮らす人びとの今」と題したオンラインイベントを開…2022年07月14日 【開催報告】スリランカ経済危機:そこに暮らす人びとの今(前編)
2022年7月7日夜に、「スリランカ経済危機:そこに暮らす人びとの今」と題したオンラインイベントを開…紅茶の有機栽培事業を実施しているマータラ県を含むスリランカの南西部一帯で激しい降雨が襲い、洪水と土砂崩れが発生しました。まずは生活に必要な食糧や寝具の配布から支援を実施しています。
スリランカの南北女性をつなぐサリー・リサイクル・プロジェクト(2013年4月~)
北部の寡婦女性たちを対象にミシンを提供、縫製技術を指導して、裕福な世帯から寄付してもらったサリーをリメイクして、ブラウスやバッグなどの縫製製品を作っています。 事業を通して女性たちの収入向上を目指すと同時に、スリランカの南部と北部の相互理解と平和構築に寄与することを目標としています。
ムライティブ県帰還民の生活再建緊急支援事業(2013年3月~2017年12月)
ムライティブ県の沿岸部対象村落から始め内陸部に支援対象を拡大し、帰還民の生活向上、コミュニティ復興のためのコミュニティセンターの建設、各村の漁業協同組合の強化などに取り組みました。
シンハラージャ環境保護区に隣接する南部のデニヤヤにて、小規模紅茶生産者の有機紅茶栽培を支援する事業を行っています。茶畑を有機転換することで、小規模農家の安定した収入の確保と、環境保全に取り組んでいます。
ムライティブ帰還漁民への漁具配布事業(2012年3月~12月)
2012年に、ムライティブへの帰還漁民を対象とした漁具配布事業を実施しました。
2011年1月初旬と下旬に起こった洪水で、被害の大きかった東部のトリンコマリ県南部を対象に教育用品の配布と、全壊もしくは半壊した家屋を対象に建設資材の配付を行いました。
ジャフナ県の漁村で干物づくり支援(2010年10月~2013年9月)
スリランカ北東部には86,000人もの寡婦がいるといわれており、その多くが北部の内戦で夫を亡くした人たちです。その生活は苦しく、パルシックは彼女たちが干物づくりをして生活を立てていけるよう2003年から支援をしてきました。
南部州デニヤヤで糖蜜づくりを支援 (2010年4月~2011年3月)
スリランカの南部デニヤヤで、この山の中の農民たちが、キトルヤシの蜜を採取してキトルハニーやハクルを作り、地元のNGOと共に市場に出すお手伝いをしました。
スリランカ緊急人道支援(ジャフナ県)(2009年8月~2012年2月)
2009年5月18日、スリランカで26年間続いた内戦が終結しました。かつてのLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)支配地域に住んでいたタミル人は全員難民キャンプに収容されました。そこに収容されている人たちに食料配布を行いました。
東部州トリンコマリー県で学校修復支援(2009年4月~2010年3月)
政府軍からの大規模な空爆によって、銃弾や砲弾の跡が残り、修復されないままだった学校を住民参加型で修復を行いました。
2007年初頭にパルシックは食料配布をおこないましたが、再燃した内戦が長期化するなかで、持続可能な方法で収入を得ることができること、かつ漁村に少しでも食糧が供給されることを目的として、2007年4月、漁村の貧窮世帯を対象として養鶏を開始しました。
2004年12月26日のスマトラ沖地震による津波は、スリランカの海岸線の8割以上を襲い、3万人以上の命を奪いました。その直後に緊急支援として、医薬品や食料、日用品の調達・配布を行いました。漁具を失った漁師を対象に、地引網と漁船を提供しました。
内戦復興支援の一歩として干物づくりを開始(2004年4月~2013年9月)
ジャフナ県で、2005年に乾燥台などの機材を提供し、干物の加工に関する指導を行いました。結果、干物の品質がよくなり、10%から20%程度高く売れるようになりました。女性たちの生計が少しでも向上するように、支援を実施しました。
スリランカはシンハラ、タミル、ムスリムをはじめとして複数の人びとの文化が入り混じった国。北海道の約8割ほどしかない島の気候は、南西部と北東部で大きくふたつに分かれています。海のある地域では伝統漁業が行われ、美しい海は世界有数のサーフスポットにもなっています。山のエリアには多様な生物が暮らし、手つかずの大自然が残っています。
スリランカ民主社会主義共和国(Democratic Socialist Republic of Sri Lanka) | |
首都 | スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ |
面積 | 6万5601キロ平方メートル(北海道の約8割の大きさ) |
人口 | 2023万8千人(2008年) |
言語 | シンハラ語、タミール語 |
宗教 | 仏教:約70%、ヒンドゥー教:約15%、イスラム教:約7%、キリスト教:約7% |
主食 | 米、多様なカレー |
通貨 | スリランカルピー |
スリランカは、生産量としては世界第4位、輸出量としては世界第3位と世界の紅茶産業の主要国の一つとなっています(表1参照)。スリランカ国内においては、輸出産業の16.6%を、国内総生産の1.3%を紅茶産業が占めています。さらに、国内最大の雇用を担い、100万人以上(人口約2,065万人のうち)が何らかの形で紅茶産業に従事しています。スリランカの紅茶産地は標高によって、ヌワラエリヤ、ディンブラ、ウバなどが点在している高地(1,200m以上)、キャンディ付近の中高地(600-1,200m)、ルフナ茶の産地である南部の低地(600m以下)の3つに大きく分けられます。それぞれ味や香りに特徴があります。1971年の国営化や、1992年の民営化など、ここ2-30年の間で紅茶産業の政策が大きく変化しており、それに伴い紅茶産業の構造も英国植民地時代から引き継がれていた高地(1,200m以上)、中高地(600-1,200m)での大規模プランテーションから、低地(600m以下)の小規模農家へと、生産地の変移が起きており、近年はスリランカ紅茶の50%以上が低地で生産されています(表2参照)。
2011年度は、全体的に前年度に比べて生産量が低下しましたが、生産量自体よりも問題となったのは、紅茶価格の低下でした。ヨーロッパの経済状況、および中東諸国での政治的不安定などが要因となり、2011年度前半は価格低下が穏やかでしたが、後半になり前年に比べて価格の停滞が深刻化しました(表3参照)。
タイトル | 著者 | 出版元 [出版年] |
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スリランカ--人びとの暮らしをたずねて | 渋谷利雄・高桑史子 | 段々社 [2003年] |
スリランカ学の冒険 | 庄野護 | 南船北馬舎 [1996年] |
スリランカ-暮らしがわかるアジア読本 | 杉本良男編 | 河出書房新社 [1998年] |
熱い紅茶 | アヌラー・W・マニケー著 中村禮子/スーシー・ウィターナゲ訳 |
段々社 [1995年] |
明日はそんなに暗くない | エディリヴィーラ・R. サラッチャンドラ著 中村禮子、パドマ・ラタナーヤカ訳 |
南雲堂 [1991年] |