2012年3月から12月まで、ムライティブ県の東海岸に位置するマリタイムパットゥ郡の帰還民への漁具配布事業を実施しました。ムライティブ県は内戦末期に激しい戦闘が繰り広げられ、戦争で大きな被害を受けた場所です。ムライティブ県マリタイムパットゥ郡は、東海岸がインド洋に面する好漁場ですが、内戦後の復興支援が届いておらず、事業開始前の2011年9月時点で漁業分野はニーズの10%未満しか達成されていない状況でした。
事業前半の3月から7月には、マリタイムパットゥ郡の6つの漁業協同組合(以下、漁協)391世帯を対象に、ファイバーグラス・ボート22隻、外付けエンジン22機、漁網321セット、カヌー(または伝統漁船テッパン)86セットを、後半の8月から12月には、11の漁協206世帯を対象に、ファイバーグラス・ボート55隻、外付けエンジン55機、漁網32セット、伝統漁船41セットを配布しました。漁業には欠かせないものの単価が高いファイバーグラス・ボート とエンジンの配布には「リボルビング・スキーム」を採用し、半額は返済不要のグラントとして事業費でカバーし、残りの半額は漁民が漁協に返済することとしました。これにより、返済金が漁協に蓄積され、各漁協は積み立てられた資金を、いまだ支援を受けられていない人や地域の再生のために使うことができます。
8月中旬、前半期に漁具を受け取った人たちに話を聞きに行きました。
海岸で地曳網漁の準備をする漁民
伝統漁船テッパンで漁をする人びと
キジラプラム漁協はこの地域でも最大の組合員数(450名)を抱える大きな漁協で、組合員の全員がムスリムの人たちです。
キジラプラム村で生まれ、結婚したが、1990年に戦争で村を離れプッタラムに移った。プッタラムでも漁業をしていた。2010年にキジラプラム村に戻った。村では漁業とともに自分の土地で農業もできるのが嬉しい。農地は地雷除去作業中でまだ農業を始められない。現在は、漁具を借りてタンク(池)での漁を行っている。8月下旬からはパルシックから受け取った漁具(カヌーと漁網)を使って、ラグーンでのえび漁を始められる。自分が生まれ育った村に戻ってきてこうして家族と生活できて嬉しい。
コクライ漁協の人びとは、1983年に離村し、28年間の年月を経て2011年に村に戻ってきました。人びとは生活、コミュニティの再建を始めたばかりです。
6月末にボートとエンジンを受け取ったが、7月は不漁で魚がほとんど獲れなかった。最近再び魚が獲れるようになり、先日は5日間漁に出て48,000ルピー稼げたが、このうちケロシン(燃油)などで40,000ルピーのコストがかかった。これまでは漁業労働者として雇われて働いていたが、今は自分の船で漁に出られるのが嬉しい。
2013年4月には、前半期にボート・エンジンを配布したコーヴィルクディルプ漁協で、蓄積された返済金を使い、新たに4人の漁協メンバーが、ネットなどを買うための資金として、50,000ルピーのローンを受け取りました。ボート・エンジンを受け取った各漁協は、リボルビング・スキームのための個別の銀行口座を開設し、返済金の管理、運用を行っています。
配布したファイバーグラス・ボート
※この事業はジャパン・プラットフォーム(JPF)の支援を受けて実施しました。