PARCIC

マレーシア

小規模沿岸漁民の生活を支え、マングローブで水辺の暮らしを守る

マレーシアの急速な経済成長は美しい海、自然を損ない、沿岸水産資源も失われています。沿岸小漁民たちは自分たちの暮らしと自然を守るためにマングローブ植林を行っています。パルシックはPIFWA(ペナン沿岸漁民福利協会)のマングローブ植林を支援し、PIFWANITA(PIFWAの女性たち)と共に、環境保全や女性の生計向上支援を行っています。

スタッフレポート

2023年10月12日 2023年度夏のマレーシア・ペナンでのフィールドワーク実施

今夏は、3大学[1]の学生がフィールドワークでマレーシア・ペナンを訪問し、コロナ禍以降4年ぶりに、現…

2022年10月13日 3年ぶりに開催!マレーシア、多民族共生社会を訪ねるフィールドワーク

今夏、マレーシア ペナンで「多文化共生・環境問題」を学ぶフィールドワークを3年ぶりに実施しました!清…
新型コロナウィルス マレーシアの状況

2020年07月01日 新型コロナウィルス マレーシアの状況

マレーシアでは、新型コロナウィルス感染拡大と「政変」がほぼ同時に起きました。 2月23日の「シェラト…
【寄付のお願い】マレーシア女性グループの食品加工事業 マングローブ茶の製造を増やしたい!

2019年07月07日 【寄付のお願い】マレーシア女性グループの食品加工事業 マングローブ茶の製造を増やしたい!

マングローブ茶(Juruju Tea)製造用乾燥機を購入して生産量を増やしたい! マレーシアの女性グ…

プロジェクトを知る

女性グループPIFWANITAによる食品加工事業(2014年4月~)

2014年から、マレー人の沿岸漁民組織PIFWAを陰で支える女性たち(PIFWANITA)による食品加工事業を開始しました。マングローブの実から加工食品を作り、販売して収入を得られるようになることを目指します。

漁民によるマングローブ植林活動(2010年~)

PIFWA のメンバーは伝統的な漁法で小規模沿岸漁業を続けるマレー系漁民の団体です。失われたマングローブ林を再生し、沿岸の資源を守ることを目的としたマングローブの植林事業を行っています。

交流/教育 マレーシア国ペナンにおける「英語と文化」研修

日本の大学生がマレーシアで英語の語学研修と、多文化社会や環境問題について学べる講義・体験学習を組み合わせた教育プログラムです。スーパーグローバルハイスクール、グローバル・スタディーズのカリキュラムの一環としてご協力できるプログラムと考え、実施しています。

マレーシアを知る

マレーシアはイスラム教徒の多いマレー系住民、主に仏教徒の中国系住民、英国の植民地だった時代から移住してきたインド系住民などからなる多文化社会です。そのことは豊かな食をもたらし、豊かな文化や魅力的な街並みとなって訪れる人を魅了します。

食べる

マレーシアの有名な料理、ババニョニャ料理は中華系とマレー系のミックス。中華系移民とマレー人女性の混血児を指す「ババ・ニョニャ」から来ています。スパイスが効いた中華料理は、インド系料理、1軒1軒特徴がある屋台料理・・・多民族社会はそのまま食の豊かさとなっています。

学ぶ

国際交通の要路でもあるペナン島は、英国がアジアで最初に軍事拠点を築いたところでもあり、中国革命の父、孫文を記念する記念館もあり、アジアの歴史を学ぶことができます。

観る

イスラム教、仏教、道教、ヒンドゥー教、カトリック、シーク教など、きわめて多様な宗教施設が集中していて、仏教寺院の隣にヒンドゥー寺院が並んでいます。世界遺産となっているジョージタウンの街並みも散歩するには最適です。
  マレーシア(Malaysia)
首都 クアラルンプール
面積 32万9847キロ平方メートル
人口 2995万人(2013年)
言語 マレーシア語、英語
宗教 イスラム教、仏教、ヒンドゥー教
通貨 リンギット
14世紀
マレー半島に東西からの貿易船が行き交うようになる
1402年
ヒンドゥ王国の王子がマラッカ王国を設立 数年後、明がマラッカに初寄港、マラッカ国王として認証
1511年
ポルトガル、マラッカを占領
1602 or 1603年
オランダがケダとジョホールに貿易拠点を創る
1641年
オランダがポルトガルを駆逐し、マラッカはオランダの植民地となる
1786年
イギリスのフランシス・ライトがペナンに上陸、占領
1795年
オランダはイギリスの東インド会社にマラッカを移譲
1824年
イギリス・オランダ両国が「英蘭協定」を締結し、マラッカ海峡の東側のマレー半島をイギリス領、西側のスマトラ・ジャワをオランダ領とする
1826年
イギリスがペナン・マラッカ・シンガポールの3港を掌握し、直轄の植民地とする
1874年
イギリスとペラ・パハン・ヌグリスンビラン・セランゴールのスルタンが「パンコール条約」を結び、駐在官制度を導入
1896年
3つの直轄地、4つのマラヤ連合州、非保護州となった5つの非連合州からなるイギリス領マラヤ成立
1906年
イスラム改革運動の高揚により最初のマレー語の新聞がアル・イマムが発行される
1930年
マラヤ共産党が結成される
1941年
日本軍が、マレー半島の東海岸 クランタン州・コタバルに上陸(マレー作戦)
1942年
イギリス軍が日本軍に降伏し、日本軍がマラヤ全域を占領 
1942年
マレー人民抗日軍(MPAJA)が結成される
1945年
再びイギリス軍による統治がはじまる
1948年
イギリスの新たな統治政策による「マラヤ連邦」が成立する マラヤ共産党(CPM)の反乱に対し、緊急事態が発せられる
1957年
イギリスがマラヤ連邦独立を承認、植民地支配が終わる
1963年
初代首相 トゥンク・アブドゥル・ラーマンがシンガポール、サバ、サラワクを統合し、マレーシアが成立
1965年
シンガポールが分離、独立
1969年
総選挙による「華人」政党の躍進 民族暴動「5月13日事件」が起き、非常事態が宣言される
1970年
9月 ラーマン首相辞任、第2代首相にアブドゥル・ラザク就任
1971年
ラザク首相が「新経済政策」(NEP)を発表
1974年
クアラルンプールを連邦の首都に定める
1975年
ラザク首相急死 フセイン・オン、第3代首相に昇格
1981年
マハティール・モハメッドが首相就任
1987年
オペレーション・ラランと呼ばれるNGO活動家、野党政治家の100名以上の大量逮捕事件が起きる
1997年
アジア通貨危機が起こる
1998年
アンワル・イブラヒム元副首相の逮捕
1999年
首相官邸および首都機能がクアラルンプール郊外の新行政都市プトラジャヤに移転
2000年
インドネシアの政治改革運動の影響を受けた「リフォーマシ」運動が起こる
2003年
アブドゥル・ビン・アフマッド・バダヴィ首相就任
2008年
第12回総選挙において野党連合が躍進する
2009年
ナジブ・ラザック首相が首相に昇格・就任
2011年
第13回総選挙を前に政治改革運動BERSHIが盛り上がる
2012年
4月17日 ISAに代わる「国家安全犯罪法案」を可決
2013年
10月 総選挙、与党連合BNが勝利するも野党連合PRの得票率は50.39%にとどまる。
2014年
3月 マレーシア航空370便 行方不明になる
7月 マレーシア航空17便 ウクライナ上空で撃墜される。
政府によるMalaysian sedition dragnetによって反体制派とされる活動家・政治家の逮捕が相次ぐ。
2015年
3月 対ドル為替レート、マレーシアリンギットが下落
4月 GST(Goods&Service Tax)導入により物価上昇
9月 ナジブ首相によるマレーシア政府系ファンド「IMDB」スキャンダル発覚
2016年
1月 テロ対策法としてNational Security Lawが成立する
11月19日 クアラルンプールでBersih5.0 (公正で透明性のある選挙制度を求めるキャンペーン)の最終デモが行われ、4万人以上が集まる

ペナンの政治・社会

ペナン州の政治社会状況

ペナン州の人びとの平均収入は、首都クアラルンプールやマラッカ州、ジョホール州の次に高い金額となっています。気になるのは、2002年と2009年を比較すると貧困率が高くなっていることです。これは都市型の開発が急に進んだ結果、貧富の格差を生じているのではないかと考えられます(参考:Penang Institute資料(英語))。
PIFWAの漁民たちがおかれているペナン州の政治社会状況はどうなっているのでしょうか。

開発がすすむペナン島の街並み

政治的背景

マレーシアの政治は、マレー系・華人系・インド系、それぞれの民族を代表する政党、UMNO(統一マレー人国民組織)・MCA(マレーシア華人協会)・MIC(マレーシアインド人会議)が主要政党となって与党連合BN(国民戦線)を形成し、1974年から現在に至るまで政治を支配してきました。しかし、「REFORMASI」運動をきっかけにした民主化の運動によって、2008年に「TSUNAMI」と称された総選挙の結果、それまで与連合が90%以上を占めていた国会で野党の数が飛躍的に伸びました。その時、ペナン州の政権は、セランゴール州、パハン州、クランタン州、ケダ州とともに野党連合PR(人民連合)政権に移ります。

現在のペナン州首相、リム・グアンエンは、著名な野党政治家であるDAP(民主行動党)のリム・キットシアンを父に持ち、若いころから投獄などを経験してきた人です。野党第一党であるPKR(人民正義党)を代表する元マレーシア副首相兼財務大臣、アンワル・イブラヒムの選挙区もペナン州にあり、ペナン州は政治的変化を生み出すリベラルな政治的土壌があります。

ペナンのNGOと市民

ペナン州には、長い歴史を持つNGOが多く活動しています。日本でもよく知られているCAP(ペナン消費者連盟)やALIRAN(アリラン)はNGO活動が極めて限定的だった1970年代からその活動を始めました。CAPは消費者としての草の根の人びとの啓蒙活動を、ALIRANはアカデミックな人びとを中心に徹底した人権主義を貫く雑誌の出版を続けています。PIFWAのような漁民自身の自主的な運動にもCAPは多くの助言をしてきたといいます。CAPとALIRANは、共に国際的なネットワークを広く持ち、グローバルな課題にも取り組んでいます。

マレーシアでは、2008年の次に行われる5年に一度の総選挙を目前に清潔で公正な選挙制度を求める選挙制度改革運動「BERSIH」(マレー語で「清潔な」という意味)が盛り上がっています。人びとの政治活動を制限する様々な法律が現存するマレーシアでこれほどまでに大規模なデモが行われたことはありません。2012年4月に行われたアクションは、クアラルンプールとペナンの2か所で同時に行われました。ペナンで行われたアクションには8000人から1万人の参加者がありました。ペナンにはマレーシアで初めての「スピーカーズ・コーナー」があり、人びとは自由にそこで自分の主張をすることができます。こうした場所は今まで合法的に存在しませんでした。

昔ながらの趣が残るジョージ・タウン

ペナン州のこれからと民主主義

ペナン島のジョージ・タウンは、2009年に世界遺産に指定されました。一方で、乱開発が続く状況を憂いた人びとが「ペナン・フォーラム」を結成しペナンのこれから、とくに開発問題について活発な議論が行われています。12年7月に開催された5回目のフォーラムにはリム・ペナン州首相が招かれスピーチをしています。

そのスピーチでリム州首相が引用した言葉があります。1951年にマラヤ連邦下で初めて行われた自治体選挙の監視団としてジョージ・タウンにやってきた英国人の言葉です。「ペナンは民主的な体制が育つ場所として適している。ここには誇るべき教育制度が長くあり、人びとはペナン人としての誇りと土地に対する愛着を持つ。‘ペナンが主導する(=lead)’というモットーが人びとの口をついて出てくるが、これは祈りや希望などではなく、単なる事実の肯定にすぎない。ペナンは「平等」がある場所だ。」