PARCIC

津波復興支援(2005年1月~2005年12月)

2004年12月26日のスマトラ沖地震による津波は、スリランカの海岸線の8割以上を襲い、3万人以上の命を奪いました。その直後に緊急支援として、医薬品や食料、日用品の調達・配布を行いました。漁具を失った漁師を対象に、地引網と漁船を提供しました。

津波被害

2004年12月26日のスマトラ沖地震による津波は、島国スリランカの海岸線の8割以上を襲い、3万人以上の命を奪いました。24万世帯の人たちが被災し、55万人が避難生活を強いられることとなりました。

パルシックが2004年5月から支援してきたジャフナ県東バダマラッチ郡マナッカドゥ村でも、村人約850人のうち71人が死亡。そのうちの25名は女性、40名が10歳以下の幼い子どもたちでした。流されないように家族で手をつなぎあったり、木につかまったりしたものの、力の弱い女性や子どもは引いていく波の力に太刀打ちできなかったのです。

緊急支援

津波の直後、パルシックは緊急支援として、コロンボで医薬品を調達し、ジャフナ県まで届けました。また現地NGOと協力をして避難所への食糧や日用品の提供などを行いました。1月末からは仮設住宅の建設を支援。ヤシの葉を女性たちに提供し、それを編んでカジャンという建築資材を作ってもらいました。この資材は、仮設住宅の屋根や壁に使用します。避難所では特にすることもなく、津波の辛い体験をつい思い出してしまいます。みんなで集まってヤシの葉を編んでもらうことで、少しでの気分が沈みこまないようにという思いから始めました。

その後の支援

津波から半年が経過しても、人びとの避難所生活は続きました。それでも避難所内には学校や漁業協同組合事務所などの公共用テントができ、生活環境が整えられました。漁業面では、津波被害にあわなかった網を使ってやっと地引網漁を行えました。

そこでパルシックは、人びとが津波前のように漁業を通して、生活の糧を得られるように地引網と漁船を提供。またこの漁具・漁船の提供と並行して女性支援も開始。衛生的な乾燥魚の作り方とその販売の方法を紹介しながら収入向上を目指しています。

(※乾燥魚は一般的に作られていますが、砂や地べた、またはムシロの上に直接魚を天日干しするので、砂がたくさん混じり衛生状態はよくないのです。)

女性の声

東トゥンバライ村のクリシュナバニさん

「私たちの村には、1人で子どもを育てている女性が多いので、彼女たちが収入を得られるようになるこのプロジェクトは、これからも続けていきたいです。津波のあとでいろんなNGOが入ってきて、裁縫教室や演劇クラスなども行われているけれど、私はこの乾燥魚プロジェクトを最優先にしています!」