PARCIC

スリランカ緊急人道支援(ジャフナ県)(2009年8月~2012年2月)

2009年5月18日、スリランカで26年間続いた内戦が終結しました。かつてのLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)支配地域に住んでいたタミル人は全員難民キャンプに収容されました。そこに収容されている人たちに食料配布を行いました。

スリランカでは2009年5月18日、26年間続いた内戦が終結しました。しかし、かつてのLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)支配地域に住んでいたタミル人は全員が、ヴァヴニヤ地方、ジャフナなどに急ごしらえした難民キャンプに収容されました。スリランカ政府軍がその周囲を警戒し、一般の人はアクセスできない状態でした。もちろん働きに行くことも、畑仕事をすることもできません。

パルシックは、この難民キャンプに収容されている人たちに食料を配布するという事業をジャパン・プラット・フォームのスリランカ北部人道支援事業の一環として行いました。2009年8月から2010年1月まで食料を配り続けました。米、パン、スパイス、ココナツなどを配りました。タミル人たちはカレーをつくるのに必ずココナッツをいれるので、ココナッツは必須食材なのです。

2010年の1月から徐々に難民キャンプから、出身地域に帰り始めました。みんな大きな筵にくるんだ風呂敷包みのようなものに、キャンプで提供された鍋やちょっとした着替えを包んで帰りました。内戦期間中、何年間も帰れなかった人もおり、家に帰れる喜びはひとしおでした。けれど帰った先では、家は壊れ、漁民は船もなく、農民は鋤も鍬もないという状態です。でもみんなたくましく、有り合わせの材料で、自分たちでとりあえずの家を建て、漁具さえあれば漁業に行くのだと語っています。パルシックは、ジャフナの漁村に戻った人びとがすぐに漁業を始めることができるように、魚の網、漁船、エンジンを提供しています。

さらに、2012年からは、ジャフナ県の南東部にあるムライティブ県の漁村の復興支援を開始しました。ムライティブ県は2004年末の津波で多大な被害を受けた地域であり、かつ、2009年の内戦末期に激しい戦闘が繰り広げられ、LTTE(タミール・イーラム解放のトラ)の指導部が多くの住民を巻き込みながら壊滅した地域です。最後の戦闘の場となった、ムライティブ県は他の北部地域に比して帰還が遅れ、今も帰還できていない地域が残ります。ジャフナ県での経験を生かして、ムライティブ県でも漁業復興、寡婦世帯の支援を行っていきます。

※ジャフナ県、ムライティブ県の漁村復興支援事業はジャパン・プラット・フォーム事業の支援を、ジャフナ県の魚の網は一部、スイス開発公社の支援を受けて実施しました。