2006年8月11日にスリランカ北部地域で内戦が再燃して以来、ジャフナへの陸路は閉鎖されたままです。2007年2月頃より、毎週2便から3便の貨物船が食糧を初めとする生活必需品をコロンボからジャフナのポイントペドロ港まで輸送するようになって、今日に至るまでその状態が続いています。市民はコメ、スパイス、砂糖、紅茶などの食糧や日用品をこの船便に依存しており、天候不順などで船が休航すると直ぐにも食糧に事欠く状態が続いています。
他方、海岸に住むジャフナの漁民たちは、2006年8月以降出漁が著しく規制され、月の所得が1,000ルピーから1,500ルピーとなっています。その結果、コメを10kg買えば、所得は使い果たすという状態になっています。近所の漁師から漁獲を分けてもらって魚の行商などで生計をたてていた漁村の寡婦女性たちは、収入がまったく途絶えて、食べるものにも事欠く状況が続いています。
2007年初頭にパルシックとしては、食料配布をおこないましたが、再燃した内戦が長期化するなかで、持続可能な方法で収入を得ることができること、かつ漁村に少しでも食糧が供給されることを目的として、2007年4月、漁村の貧窮世帯を対象として養鶏を開始しました。
対象世帯は、1. 女性が世帯主となっている、2. 父親がいるが病身で働けない、3. 子どもが多いことを基準として、困窮世帯を各地区の漁業協同組合ならびに郡長、村長の推薦をうけ、各漁村から20世帯前後を支援しています。
漁村女性ですので鶏を飼ったことのない人もいるので、餌のやり方や病気の予防など養鶏に関する研修を獣医と家畜局の担当者によって実施しました。1世帯に雄鶏1羽、雌鳥9羽の計10羽の鶏、鶏を犬や狐などから保護するための鉄製の鶏小屋、給餌器、1ヶ月から2ヶ月分の餌を配布します。
鶏はジャフナ県家畜局の協力を得て、ジャフナ県内の農家から買い取り、予防接種を施してから配布しました。獣医と契約を結び、配布後も女性たちからの相談を受け付け、必要に応じた医療措置をとることとしました。その結果、鶏の病気への感染は比較的少なかいという成果につながりました。
配布から2ヶ月から3ヶ月目に鶏が卵を産み始めました。地域内に食糧が供給されることを目的として、鶏卵を買い取り販売してもらえるように地元の小規模な食料品店と取り決めをしました。そして、女性たちに筆記用具を配布して、鶏卵数、販売価格、経費も記録できるように、帳簿付けやマーケッティング活動などの研修を実施しました。各世帯の売上を把握するとともに、鶏の病気の有無などを継続して当団体職員がモニタリングしています。ある世帯では得られた鶏卵の半分程度は子どもたちの栄養向上のために自家消費としており、また別の世帯は全量を販売して基礎食品を購入するための元手にしています。一部の女性は、鶏卵のうち状態のよいものを選んで孵化させ、鶏の数を増やすことに成功しました。
配布した鶏
配布した鶏
木陰で休む子どもたち