PARCIC

石巻

東日本大震災でほぼ全壊となった石巻市北上町で、復興のお手伝い

パルシックは東日本大震災の直後から石巻市を中心に緊急支援を行い、2011年秋からは北上町十三浜の漁村で復興支援を行ってきました。支援するよりも教えられることの多かった6年間ですが貴重な経験をさせていただきました。

スタッフレポート

プロジェクトを知る

復興応援隊の活動(2012年~2016年)

復興応援隊事業を宮城県から受託し、2012年12月から活動しています。子どものケア、地域のイベントサポート、被災住民のための情報紙『かわら版』の発行などを担っています。

仮設住宅生活支援・農業復興支援(2012年~2015年)

仮設にっこりサンパーク団地に住む農業経験のある女性たちを中心に計画を進め、畑を分配したり、共同栽培したりすることになりました。畑作業を通じて、被災者が立ち上がるきっかけづくりができればと事業に取り組んでいます。

コミュニティ復興支援(2012年~2015年)

石巻市北上町の被災集落の復興支援において、高台移転のためのワークショップ開催、かわらばんの発行など、集落としての共同性の再建や住民の絆を生かし、強めていくことのお手伝いをしてきました。

漁業復興支援(2011年〜2013年)

十三浜の漁師の皆さんの復興をお手伝いすべく、わかめの加工のために重要な共同作業場の建設支援、種つけや収穫へのボランティア派遣、できあがった商品のマーケティングという形で、漁業復興のお手伝いをしています。

石巻市街地在宅被災者支援(2011年5月~2012年3月)

被災地域を回る中で、栄養のある温かい食べ物が不足していたり、情報が来なくて本来受けられるべき支援が受けられていなかったりする人びとに出会い、地域の4か所で、コミュニティ・カフェ「おちゃっこ」を運営しました。

緊急対応:避難所への物資配布(2011年3月~5月)

30日東京事務所で打ち合わせ、31日被災地へ向けて出発しました。まずは情報収集から始め、物資調達をしながら東松島市を目指しました。毎日変わっていく細かなニーズにできる限り対応するため、パルシック現場スタッフ+多くのボランティア、被災地内外の協力者、パートナー団体、東京事務所が連携し合い、日々寝る間も惜しんで活動を展開しました。

石巻市北上町十三浜はわかめ養殖を主とする漁村です。南部神楽や集落ごとの祭りが徐々に復活して、仮設住宅で暮らす人びとが集落の絆を取り戻すきっかけともなりました。

宮城県石巻市北上町十三浜のご紹介

十三浜があるのは、宮城県石巻市の北東、同県南三陸町との境にある(旧)北上町。東北最大級を誇る北上川河口から海岸沿いに北へと続く十三の集落を指し、江戸時代の本吉郡十三浜村が、桃生郡の橋浦・長尾・女川と合併し北上町に、2005年に平成の大合併で“石巻市”となりました。

石巻市北上町十三浜の場所

荒々しい断崖が複雑な地形をつくるこのリアス式海岸は、南三陸金華山国定公園に指定されています。夏はもちろん、冬でもすっきりと空が晴れる日が多く、空と海の青が美しい景色を見せてくれます。

十三浜といえば、全国にその名を知られる「十三浜わかめ」。ほかにも昆布、ほたて、あわび、うに等の海産物が収穫されています。北上川が山から運んでくる 豊かな栄養と潮の早い外洋の影響を受け、美味しく育まれていきます。こうした恵まれた環境を駆使して養殖技術を磨き、十三浜の漁師はわかめ、昆布、ほたての養殖を行って暮らしていました。

スッキリと晴れた漁港

空と海の青がきれいです

北上町は約1020世帯、3720人が暮らしていました。2011年3月11日の東日本大震災により、死者185人、行方不明者80人、家屋の全壊・全流 失633棟(ほか、半壊・一部損壊が463棟)と甚大な被害を受けました(石巻市震災復興基本計画より)。漁業集落である十三浜は、居住家屋だけでなく、 作業所、倉庫、船、漁具一式も被災・流出し、さらには漁港・堤防の崩壊や地盤沈下など、生業への被害も甚大です。

十三浜は、北上川河口から北へ、追波、吉浜、月浜、立神、長塩谷、白浜、小室、大室、小泊、相川、小指、大指、小滝と集落(浜)が続きます。このうち、北 上漁港は白浜から小滝までを指し、宮城県漁協北上町十三浜支所(組合員306名 ※2010年)はこの8つの浜で活躍しています。

北上川河口から北へ続く、十三浜の集落