2020年8月4日にベイルートで発生した大規模爆発。衝撃的な映像が日本のメディアでも流れて、覚えていらっしゃる方も多いかと思います。パルシックは、2021年、国際連合人間居住計画(UN Habitat)が開始した歴史的建物群等の補修事業に参加しました。このたびようやく事業が終了しましたので、前回記事での予告どおり修復された建物の様子をご報告します。
まず、本事業が始まるきっかけとなった、2020年8月4日のベイルート大規模爆発の発生地点(ベイルート港)の最近の様子を紹介します。
爆発地点の目の前に位置し、爆発で大きく破壊された穀物倉庫(サイロ)を覚えていますでしょうか。このサイロは、レバノン最大級であり、レバノン人の主食であるパンの原料の輸入小麦等を船から積み出し保管する保管庫でした。サイロを爆発後に完全に壊すか、負の遺産として記念公園のように残すか、さまざまな意見が飛び交う中、肝心なサイロは適切な処置がなされないまま2年間放置され、2022年7月、あろうことか発酵した穀物が発火し、煙が周辺住民を毎日悩ますようになりました。
そして、恐れていたことが起きたのです。7月31日、1回目のサイロ倒壊が、8月23日に2回目の倒壊があり、現在ではサイロの半分も残存していません。この倒壊では、爆発当時を思わせる大きな土煙を伴ったため、大規模爆発で身体的、精神的被害を受けた多くの市民のトラウマを呼び起こしました。
2020年8月4日のベイルート大爆発から2年後、放置され続けたサイロが倒壊する様子(Al Jazeera English)
レバノンでは、貨幣価値が暴落し、最低賃金の実質価値はこの2年間で月額450米ドルから実質30米ドル弱になりました。それに加えて物価の高騰により、シリア難民の9割が「生きるのに最低限必要な支出(SMEB)」以下で暮らし、レバノン人ですら2021年3月時点で78%が貧困ライン以下で生活する状況です。
この緊急事態に対応すべく、この歴史的建造物の補修事業では、補修に携わる人たちに貨幣価値の安定したアメリカドルで賃金の支払いをしました。最終的には100人以上が登録し、毎週細かな計算や微調整をしながら賃金を週払いで支払うことができました。
その中で、私が最も印象的だった、参加者のオクラさんを紹介します。 人懐っこそうな目が魅力的なオクラさんは、30年以上のキャリアのある木工職人で、この事業では爆発で損傷した木製の扉や窓等の補修を担当しました。オクラさんは、親切にも一度お話を伺ったことを機に、会うたびに手招きして私たちを仕事場に招いてくれて、自身が補修した窓や扉、またこれまでやってきた仕事や熟練スキルなどを熱心に、誇らしげに説明してくれました。私が他の用事で話ができそうにないとわかると、とても悲しい目をされたので、慌てて仕事場に話を聞きに行ったこともありました。
深刻な経済危機に陥っているレバノンでは、スキルや学歴があっても仕事を見つけることが難しく、多くの人が国外に住む家族からの送金や、支援団体からの金員・物資支援で何とか生活を繋いでいます。そうした中で、生き生きと、誇りをもって働くオクラさんを見て、パルシックが労働機会を提供できたことの意義を感じるとともに、人間らしく尊厳をもって生きるとは何か、本当に必要な「支援」とは何か、改めて考えさせられる事業となりました。
それでは補修された建物のビフォーアフターを見てみましょう!
Before
After
Before
After
Before
After
Before
After
被害が大きすぎる建物や、崩れた石材の組み直しの承認に時間を要する等を理由に、補修作業が事業内で困難と見越した物件は、補修の対象外とされました。そのため、前回の記事でお見せした建物すべてが補修されたわけではありません。しかし、それでも11棟からなる建物群が補修(9棟の補修と2棟の構造補強)され、その間にある小道や共同スペースがより美しい形で再び蘇りました。
補修事業の完工を祝う式典は、補修した建物群の中で行われ、レバノン市長、資金を提供した日本から在レバノン日本大使、また爆発以前に同物件に住んでいた住人たちも出席しました。
爆発で破壊されたもののきれいに補修された建物群に対し、未だに大きく破壊されたままのレバノン電力公社のビル、1日の大半が停電のため暗くなった街並み、またその奥で延焼を続けるサイロから漂う煙の悪臭というコントラストは、2年以上前に起こった大規模爆発が未だに清算されていないこと、またこの国が抱える政治的、経済的、社会的危機が解決したわけではないことを出席した人たちに再認識させるには十分過ぎるものとなりました。
(レバノン事務所 風間)