PARCIC

インドネシア中部 スラウェシの地震・津波被災者支援

生計支援事業に参加する女性・ウチアナさん

昨年11月下旬に行ったオンラインイベント「インドネシア・スラウェシ島 屋台から見えてくる震災後の女性たちの暮らし」の動画にも登場した女性の生計支援活動に参加するシギ県ナモ村のウチアナさんに震災時も含めどのような人生を歩んできたのかを話していただきましたので、ご紹介したいと思います。

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私の名前はウチアナで29歳です。前夫との子も入れて子どもは3人います。最初に結婚したのは15歳の時で、まだ高校2年生でした。前夫も同じ村の出身でした。最初の結婚は7年で終止符を打つことになりました。前夫は賭け事が好きで、お酒を飲み麻薬にも手を出し、暴力を振るうような人でした。目が腫れて耳が聞こえなくなるまで殴られ、耐えきれず離婚を決めました。役所とは別に地域の慣習に基づいて離婚の手続きをしました。暴力を振るわれたにもかかわらず、夫から逃げたと見なされ、罰金50万ルピア(約3600円)を支払うことになりました。 慣習上の離婚成立後約1年半後に今の夫と結婚しました。同じ地域の出身の今の夫はとても優しく、私の商売もサポートしてくれます。作ったものを近隣地域に売りに行くのですが、いつも一緒に来てくれて、先日オープンした食堂も建ててくれました。

私は若い頃から商売に興味があり好きでした。2018年9月末の震災時、私は母と行商をしていました。私たちは仕入れをするお金がなかったので、私と母は魚と玉ねぎを魚屋や商店から借り入れて、それを売り歩いて収入を得ようとしていました。いつもならば売れるのに、その日はあまり売れませんでした。2人のお客さんだけ魚に興味を持ってくれ、その中の1人が2キロのコメと2匹の魚を物々交換してくれ、母は大変喜んでいました。そのお米で、夕食のご飯にできるからです。その日は朝の10時から夕方まで売り歩いたのですが、30匹用意した魚は3匹しか売れませんでした。夕日が沈みかけ、家路に着こうとした時、大きく地面が揺れました。揺れが酷く2人ともバイクから転げ落ちてしまい、舗装されていない道にコメが飛び散ってしまいました。揺れが収まり、土と混ざった米を母は拾おうとしていたので、私は汚い米は拾わなくてもいいと言ったのですが、母は鶏に餌としてあげればいいんだと拾い続けました。

夕日が沈み暗闇の中、母と私はバイクですぐ家に戻ろうとしたのですが、道路は割れ、地面は今にも崩れそうでした。家に着くと台所の部分が崩れていて、父が崩れた台所に閉じ込められていました。運よく父は大きな怪我に至っていませんでした。父を助け出すと、前夫の義両親の家に走っていきました、2人の子どもが元義両親の家にいたからです。崩れた屋根や壁で元義父は亡くなりました。子ども2人は近所の人に助け出されていました。息子は落ちてきたレンガで足を怪我していました。その夜、元義父を葬り、近所の人たちと売れ残った魚を分け合って食べたのを思い出します。震災時、前夫は麻薬使用の罪で刑務所に収容されていました。

震災時のことを思い出すと、悲しい気持ちになります。今でも時折トラウマに襲われます。今は一番小さい子どもを家に置いて出かけることはありません。必ず一緒に連れて行くことにしています。私の子どもたちは震災後家の中にいるととても怖がっていました。余震や雷に怯えていました。震災が子どもたちのトラウマになっていました。パルシックの子どもの居場所活動に感謝しています。パルシックのスタッフがいつも一緒に遊ぼうと声をかけてくれました。ナモ村に子どもの居場所活動があって、本当によかったです。子どもたちのトラウマも徐々に消えつつあります。

震災後の生活は本当に大変でした。商売を再開するには資金が足りなく、一歩進めたと思ったら、後退するような日々でした。そこに、パルシックの提携団体SKP-HAMから支援をいただき、感謝しています。必要な砂糖、小麦粉、牛乳、チョコ、バターなどの食材や大きな中華鍋、コンロなどの調理器具をいただきました。

支援していただいてからすぐにお菓子を作ってシギ県リンドゥ湖地区に売りに行きました。特に米の収穫期には、いつも売り切れになるほど売れました。どれだけ持って行っても売り切れになりました。私は得た利益で魚を買い、それで焼き魚や魚のスープを作ってさらに売り上げを伸ばしました。断食の期間には、カレーなどの調味料を配合して売りました。

焼き魚の準備をするウチアナさん

私がリンドゥ湖地区を選んだのは、売る人が少なく、競争が激しくないからです。私の住むナモ村からリンドゥ湖地区まで往復で50キロ離れています。午前2時からお菓子を作り始め、朝の5時半にはリンドゥ湖地区に向けて出発します。早朝に売りに行く理由はリンドゥ湖地区の人たちが農作業に出かける前に売ろうと思っているからです。それでも、雨や悪路、土砂崩れなど売りに行くのは簡単なことではありません。また、小さな子どもを連れて行くので大変です。さらに、新型コロナウィルスの影響でリンドゥ湖地区で売ることができなくなりました。しかし、村の村長さんに話して、マスク着用を条件に売ってもいいと許可を得ることができました。

家族そろってリンドゥ湖地区へ行く様子

リンドゥ湖地区の人たちは現金の代わりにお米でお菓子や魚を私から買うこともあります。米1キロ当たり7000ルピア(約50円)として計算して、物々交換をします。ナモ村では米1キロ当たり1万ルピア(約70円)で売っているので、その差額から利益も出しました。

全ての出入金をパルシックの提携団体SKP-HAMから配布された帳簿に記録しています。参加した研修とパルシックのスタッフに手伝ってもらいながら、今では収益や損失を計算できるようになりました。利益の半分を貯金し、残りの半分でその日の食材などに充てるようにしています。貯蓄するメリットを実感しています。また、貯めたお金で中古のバイクを買い、そのバイクで夫と子どもと一緒にお菓子や魚を売りに行っています。さらに、食器棚、ガスボンベ、皿やコップ、スプーンなど買い揃え、開店した食堂に使っています。その食堂の名前は末っ子の名前を付けました。名前の意味は「幸運を運ぶ女性」という意味です。

ウチアナさんの旦那さんが建てた食堂

早く新型コロナウィルスが収束し、村の仲間たちと共に売り続けたいと願っています。

オンラインイベント用動画制作時にインタビューを受けるウチアナさん

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最初の結婚生活から始まる苦難、そして震災に遭い、私には想像できない苦労を経験してきたウチアナさん。それでも、一つひとつ乗り越えてきたウチアナさんのたくましさに感動さえ覚えます。ウチアナさんは現在実施中の女性の生計支援事業に引き続き参加しています。ウチアナさん含め参加する女性たちの生活が少しでも楽になるように、パルシックはサポートしていきます。

(スラウェシ事務所 飯田彰)

※この事業はジャパン・プラットフォームの助成とみなさまからのご寄付で実施しています。

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