首都ディリのファーストフード店では、かなりの確率で店員にインドネシア語で話しかけられる。ファーストフード店だけでなく、ふつうのレストランでもこれは何度かあった。僕は最初、店員がインドネシア人なのかと思っていた。見た目では区別がつきづらいけれど、ディリで働いているインドネシア人は多いと聞く。でもどうやらそれは違うようである。店員どうしの会話で聞こえてくるのはテトゥン語だからだ。
ではなぜインドネシア語なのかというと、おそらく外国人の客には外国語、外国語といったらインドネシア語、という考え方がティモール人の中に(とくに若い人に)あるのではないだろうか。
注文のときのインドネシア語くらいはわかるので、僕はそのまま片言のインドネシア語で受け答えをする。店員の女の子はすました顔でインドネシア語で注文をとり、テトゥン語でオーダーを通す。そのあと「きのうさー、ともだちがねー」などと、またテトゥン語で話している。のんびりとした光景である。ちなみにディリのファーストフードはちっともfastではない。
そういうのをぼうっと観察していると、今度は欧米人の客がやってくる。欧米人は一方的に英語をまくしたてて注文をする。これには有無をいわさぬ迫力がある。パワーバランスがぐっと欧米人に傾いて、店員はソーリー? とかパードン? を連発しているが、注文を取り終えているのを見ると、なんとかなっているみたいである。
東ティモールに来て1年がたとうとしているけれど、僕のテトゥン語は、パタリと進歩を止めたようだ。それでもたまにティモール人にテトゥン語をほめられることがある。でもそれを真に受けて喜んではいけない。ティモール人は、僕が「sin(はい)」と答えただけでも「テトゥン語、うまいねっ!」とほめてくれるからだ。
東ティモール在住の日本人はその点正直だ。会話の中で僕がおおげさに「いやあ、テトゥン語ぜんぜん話せなくって」というと、「そんなことないですよ」とは言わない。ほとんどの人がスッと目をそらすか、居心地悪そうに話題を変える。それを見て、僕のテトゥン語は本当にだめなんだな、と確信する。きびしい現実がそこにある。
「外国人のなかでも韓国人と日本人は好き。テトゥン語を話すから」というティモール人の発言を、どこかで耳にしたことがある。たしかに欧米人はあまりテトゥン語を話さないようだし、中国人もそうだ。一方、僕が習った語学学校の先生は「韓国人と日本人はテトゥン語がうまい」といっていた。
先日一時帰国の際に空港で、一年ぶりに韓国人のスージーさんと再会した。スージーさんは、20代前半のNGOのボランティアだ。東ティモールの前はミャンマーにいたという。僕と彼女は去年の3月、語学学校で机を並べて、一緒にテトゥン語を勉強した仲である。2人だけのクラスだったのですっかり仲良くなり、クラスの後にカフェに行ってお茶をしたりしていた。
その頃はお互いまだテトゥン語が分からなかったので、会話は英語だった。でも1年後、空港での会話はすべてテトゥン語になっていた。僕は近くでワイワイ騒いでいる若者たちは韓国人だろうと思っていたが、その中にスージーさんがいることに気づかなかった。向こうが声をかけてくれて、ああ、あのスージーさんだ、と初めて分かった。
1年前は色白で、頬がふっくらとして笑顔がかわいらしかった彼女は、まだどこか学生の雰囲気があった。それが今ではやせて身体はシャープになり、頬も引き締まり、目元にきゅっと力が入って、陽に焼けた肌は浅黒かった。声も前より低く力強くなって、すっかりワイルドな女性に変身していたのだった。
こんな感じの女性が身近にもいたような気がする、としばらく考えて頭に浮かんだのは、パルシック東ティモール代表の伊藤だった。2人に共通するルックスと雰囲気は、東ティモールにおける東アジア人女性の、ひとつの傾向なのかもしれない。
「男子、三日会わざれば刮目してみよ」という慣用句があるけれど、「女子、一年経ったら別人でびっくり」ということがあるのだなあと勉強になった。ひるがえって僕はどうかといえば、長期にわたるダニとの戦いで、腕や脚が傷だらけになったほかは、とくに変わったことはない。
でもそういえば、一時帰国後に復帰してからは、スタッフから「いま、日本のこと考えているだろう? もう日本に帰りたいのか」とよく言われている。知らないうちに、ただでさえぼんやりとした顔が、ますます弛緩していたようである。
(東ティモール事務所 大島大)