ボンディア(おはようございます)!そろそろ雨季も終わりつつあるのか、明け方は少し肌寒く、一度5時ごろ目が覚めタオルケットを掛けなおす季節となりました。しかし朝日が昇るや温度が一気に上昇、午前中はまだ爽やかですが、午後は汗だくで仕事、の毎日です。
今回は再び活動内外を通して知り合った東ティモールの女性たちを紹介したいと思います。明るく、温かい東ティモールの人々、普段接していると、日本占領時代、インドネシア時代の暗く悲しい歴史をふと忘れかけてしまうのですが、やはり今でもなお苦しんでいる方々がたくさんいらっしゃるのです。
昨年10月に出会ったボボナロ県マリアナ郡の女性グループ【ノビノビ】。日本語的にはなんだか可愛いらしく聞こえますが、ポルトガル語で【99】そう、1999年の意なのです。1999年8月30日の独立に関する住民投票で78%以上が独立を支持、9月4日の投票結果発表前後からインドネシア国軍と併合派民兵による破壊・襲撃行為が広がり、短期間で全土をほぼ壊滅状態にしました。ノビノビのメンバーはこの騒乱時にご主人を殺された寡婦グループ。西ティモールに隣接したボボナロは、破壊や虐殺はひどかったそうです。
メンバーの年齢層は50代くらいでしょうか。タイスでアクセサリーやカチューシャ製作、ミシンでバッグや服の縫製、冠婚葬祭時に使用するイスやテーブル、調理器具のレンタル、キオスク運営・・・など、活動は多岐にわたります。活動拠点はマリアナ市場正面の一等地。政府が提供してくれたそうです。みんなで協力した活動によって収入を得ることもさることながら、みんなで集まって話をしながらミシンを動かしたり、アクセサリーを作るのがなにより楽しい、と話していました。同じ痛みや悲しい経験をした者同士、心を開けるのだと思います。私たちがお邪魔した際も「よく来て下さった」と、温かいおもてなしを受けました。
また、あるきっかけで出会ったひとりの女性。インドネシアの軍人に3ヵ月監禁・強姦され続けたそうです。トラウマで自宅から一歩も出ることができなくなり、最近になってようやく、少しずつですが用がある際に外出できるようになってきたそうです。何年、何十年経っても傷や恐怖は拭い去ることはできないのです。
東ティモールに赴任した当初、若年層がとにかく目立ち、50代以上の方々が非常に少ないことに驚きました。地方に行けばおじいちゃん、おばあちゃんも見受けますが、実はインドネシア時代に大勢の人々が殺され、亡くなっているからなのです。
活動地マウベシの女性グループのメンバーにも当時のことを聞きましたが、森に逃げた、ひどく恐怖だった、など、普段活動で接している以外の女性たちのもうひとつの顔を覗かせました。
急激に変わりつつある東ティモールで、過去の歴史を後世に残す作業を急いでしなければ、と懸念する人々があると聞きます。「昔のことはよく知らない」という若者もいるそうです。授業の課外授業などで語り部に話を聞く、などプログラムを取り入れることも必要かもしれません。
今後、観光省も観光開発の一環で、独立闘争時の拠点を整備・保全し、観光客が訪れることができるようにするそうです。観光客も大切ですが、東ティモールの子供や学生も、行って、観て、学ぶ機会があればいいな、と思います。
(東ティモール事務所 大坂智美)