PARCIC

インドネシア中部 スラウェシの地震・津波被災者支援

海岸部、パル市内の様子

津波で甚大な被害を受けたパル市、タリセ海岸は、ぐいっと内に入り込んだパル湾の1番奥に位置しています。国家防災庁によると、津波の高さは最大11.3メートルにも達したと言われています。地震・津波以前は、海岸沿いにたくさんの屋台がならび、人びとの憩いの場所であったようです。また小さな屋台だけではなく、映画館やたくさんのテナントの入った大きなショッピングモール、海沿いのホテルなどもならび、パル市一番の賑わいの場でした。地震・津波が起こった9月28日の夕方には、海岸で数百人規模のイベントもあり、そこに集まった多数の人びとが犠牲となりました。

スラウェシ島地図

スラウェシ島地図

海岸沿いのメルキュール・ホテル

海岸沿いのメルキュール・ホテル

地震・津波から約1ヶ月後に海岸部に訪れた際には、瓦礫はある程度片付けられ、平らな広い土地に破壊された建物がポツポツ残り、いくつかの大きな建物はそのままとなっていました。そして、それは地震・津波から2ヶ月が経った今もほとんど変わっていません。

また、パル市の海岸だけでなく、隣のドンガラ県の海岸部も津波で大きな被害を受けました。パル市から海岸沿いにドンガラ県へ向けて車で走ると、何もない海岸が続きます。一緒に車に乗っていたパル出身者が「ここらへん一帯、ずらっと家が建ってたんだよ」、「ここらへんは屋台がたくさんあった」と教えてくれました。

パル市の海岸へと向かう道

パル市の海岸へと向かう道

海に浮かぶモスク。現在は撮影スポットとなっている

海に浮かぶモスク。現在は撮影スポットとなっている

ドンガラ県沿岸部。かつて家が立ち並んでいた

ドンガラ県沿岸部。かつて家が立ち並んでいた

”Selamat”-「助かった」と書かれている壁。

”Selamat”-「助かった」と書かれている壁

 しかしながら人びとは、かつての賑わいの場所であった海岸へゆっくりと戻りつつもあります。パル市の海岸沿いで大きな被害を受けたショッピングセンターに入居している、インドネシアで一般的なスーパー「マタハリ」は11月上旬から営業を開始し、衣料品50%オフセールをしています。

2018年12月現在ではマタハリ以外にもいくつかのテナントが再オープンしている

2018年12月現在ではマタハリ以外にもいくつかのテナントが再オープンしている

タリセ海岸では「津波カフェ」という名のカフェが新しくオープンし、人びとの集う場所になっています。カフェは地元の人とスマトラ島ランプン州のボランティア達が協力して作り、オープンから2日間の間は無料でコーヒーを振る舞ったそうです。この「津波カフェ」以外にも、海岸沿いには茹で落花生売り、焼きトウモロコシ売りなどが営業を再開しています。

カフェの椅子やテーブルなどは廃品をリサイクルしたものを使い、壊れたテレビや扇風機、バイクなどをディスプレイしている

カフェの椅子やテーブルなどは廃品をリサイクルしたものを使い、壊れたテレビや扇風機、バイクなどをディスプレイしている

 パル市内では多くの商店が営業を再開し、市場には野菜、果物、魚、穀物類とものが並んでいます。市場を歩き、魚屋さんに「もう魚があるんですね。どこから来てるんですか?」とたずねると「魚はパリギやポソからだよ。このあたりでは(パル市・ドンガラ県)まだ漁はできないからね。船も全部なくなってしまったし」と。パリギはパル市から約2時間、ポソは約5時間のところにあります。

スラウェシの人は魚が大好き

スラウェシの人は魚が大好き

パル市内には、ほとんど日常が戻って来ているように見えます。しかし、地震から2ヶ月が建った今でも、壊れた建物がそのままになっており、瓦礫の残る更地、地震・液状化によって形の変わってしまった道などが日常の風景の中にあります。

そして、今も多くの人びとが避難民キャンプでの暮らしを続けています。

また、隣の西スラウェシ州では小〜中規模の地震が続き、被災地でも時折小さな地震、停電などが起きています。夜中でも小さな地震が起こると、人が外にでてきます。現在は、緊急期から復興期へと移りつつありますが、避難民だけでなく多くの住民が不安を抱えたまま、日常生活を送っています。

(スラウェシ事務所 松村多悠子) 

この事業はジャパン・プラットフォームの支援によって行っています。

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