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ムライティブ県帰還民の生活再建支援

ムライティブ日誌#9 コミュニティセンターが完成しました

ムライティブ県で建設していた3軒のコミュニティセンターが、7月に完成しました。今回のプロジェクトでコミュニティセンターを建設したのは、コクトルワイ村、コクライ村、コーヴィルクディルプ村の3村です。

コクライ村で完成したコミュニティセンターでオープニングに向けて準備をする村の人々

コクライ村で完成したコミュニティセンターでオープニングに向けて準備をする村の人々

タミル人が人口のほとんどを占める他2村に比べ、シンハラ人、タミル人の両コミュニティが暮らすコクライ村では、村のキリスト教会の神父が両民族の間の橋渡しに貢献しています。神父がコクライ村に赴任したのは、人々の帰還が始まった直後の2011年。内戦中もスリランカ政府軍の保護の下この地域で暮らしていたシンハラ人漁民がいた一方で、タミル人住民は両コミュニティの間で争いが激しくなった1984年にほぼ例外なくこの地域から逃れ、30年近くが経った2011年以降に初めて戻ってきた、という人がほとんどです。内戦中コクライ村は、政府軍の基地として占領されタミル人住民がそこに住むことはできませんでした。

コクライ村のシンハラ人居住地域

コクライ村のシンハラ人居住地域

神父が赴任したばかりの頃は、2つのコミュニティの間の緊張も大きく、シンハラ人の子供たちが教会に来ると、タミル人の子供たちは彼らを避けて家に帰ってしまったりしていたそうです。自身も流暢なシンハラ語を話す神父は、特に子供たちへの教育が未来の平和につながると信じ、タミル人の子供たちへのシンハラ語教室や、両コミュニティの子供たちが一緒に参加できる音楽やダンスのプログラムなどを積極的に実施しています。コミュニティセンターのオープニング式でも、両グループの女の子たちがダンスを披露してくれました。最近ではコミュニケーションも生まれており、教会に来ると、お互いかたことの言葉を使いながら、「タミル語で『ちょっとごめんね』は何と言うの?」などと子供たち同士で会話をしながら遊ぶ姿も見られるようになったといいます。

オープニング式でダンスを披露するシンハラ人の女の子たち

オープニング式でダンスを披露するシンハラ人の女の子たち

7月中旬には1年で一番大きなミサが開かれ、両コミュニティから合計100人以上の人が参加し、ミサの式次は両言語で進められました。聖歌もタミル語、シンハラ語の両方で演奏されましたが、見ているとどちらの言語のときも歌詞を口ずさんでいる人が少なくないようでした。神父は、少しずつではあるが確実に人々の変化を感じる、と話しています。

7月に教会で行われたミサの様子

7月に教会で行われたミサの様子

スリランカの沿岸漁民は元々、季節風の変化に合わせて良い漁場を求め島内を東西に移動する季節漁民が多く、内戦の前は民族の区別なくお互いが各地で助け合っていました。コクライの隣村コクトルワイ村にも、元々はシンハラ人でありながら、タミル漁村に住みつき、他の漁協メンバーと助け合いながら漁業を行っている家族がいます。コクライ村のタミル漁民アランリックマンさんも、「ボートで沖合に出る作業は1人、2人ではできず、船を出すときや陸に揚げるときに複数の人の助けがいる」と、村の中でも約300世帯の漁民が集まるシンハラ人居住地域を自ら選んでそこで自らの船を操業しています。

海側から見たシンハラ人地域の船着き場

海側から見たシンハラ人地域の船着き場

土地をめぐる問題や、漁場の確保など、両コミュニティ間での緊張がなくなったわけではなく、居住地域も分かれている2つのコミュニティの間のやりとりは、現在も必ずしも完全にスムーズなわけではありません。今後さらに交流の機会を広げられるよう、神父の協力の下に、出来上がったホールを利用してシンハラ語、タミル語のクラスを継続するほか、子どもたちを対象としたプログラムを増やしていく予定です。

(ムライティブ事務所 伊藤文)

(この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。)