ムライティブ県で建設している3軒のコミュニティセンターの完成に先立ち、村で特に要望の多かった子ども向けの課外授業を、コクトルワイ村で4月上旬から始めました。ムライティブタウンからバスで1時間ほどかかるこの村にはまだ子ども向けの塾がなく、家計に余裕のある家庭の子どもたちが個人レッスンを受けていたのみ。多くの子どもたちは、学校での授業以外に勉強をする機会がありませんでした。コクトルワイの小学校の校長先生からも課外授業の実施は歓迎され、コミュニティセンターが完成するまで、小学校の教室を借りて、タミル語、数学、理科などの授業を行っています。
全国を通して子どもの教育への関心が高いスリランカ。都市部では、学校の授業が終わった後に塾に通うのが通常で、3年生から通い始めます。最近は1、2年生、さらには幼稚園生のための塾もあり、それらに通う子どもたちも増えているそう。全国で60%の学生が何らかの形で課外授業を受けているという統計もあります(2008年)。※注 塾は土日も休まず開かれ、ムライティブタウンにある塾も、板張り、トタン屋根の狭い教室で、生徒さんたちが所狭しと肩を並べて日々勉強しています。塾の校長先生によると、約500人がムライティブ近郊の村々からこの塾に通っているとのことです。
コクトルワイで課外授業の運営を担当してくれているヴィジタさんは、現在26歳。内戦の最中の1988年に生まれました。家族はヴィジタさんが生まれる前にコクトルワイ村から避難し、2011年に両親と共に、初めてコクトルワイ村に戻って来ました。避難先の学校で、スリランカの小~中学校(1~11年生)にあたるO(Ordinary)レベルまで終了し、高等学校にあたる(12~13年生)のA(Advanced)レベルに進みましたが、Aレベルの1年目を終えた時に内戦が再開し、勉強を続けることができなかったとのこと。学校に通い続けていると、兵士として徴兵される可能性があり、そのことを避けるために、学校に行くのをやめ家族とともに避難生活を送りました。ムライティブ県内で避難を続けていた人々の中には、そのような体験をした若者が少なくなく、パルシックにも数ヶ月間は一切家から出なかったというスタッフがいます。
コクトルワイに戻ってからは、NGOや国際機関でプロジェクトのフィールドスタッフとして働いたこともあるというヴィジタさん。どのプロジェクトも期限付きで、今回課外授業を手伝うようになる前は無職でした。課外授業の運営にはやる気を見せており、小学校にある茅葺の小屋の一角を事務所と決めて、各クラスの生徒さんたちの出欠、先生たちの勤務表をこまめに確認し、自らも低学年の子どもたちに教えています。彼女のように、才能がありながら仕事のあてがない若者がムライティブの村には多くおり、地元での雇用創出も大きな課題です。
コクトルワイ村のコミュニティセンターは、5月末に完成予定です。センターが完成したら、塾をセンター内の部屋で実施し、また、タイピングやパソコンの基礎知識を教えるコンピュータ教室、女性のための裁縫教室、子ども向けの歌やダンスのプログラムなどを実施します。
(ムライティブ事務所 伊藤文)
(注)出典 “Demand for Private Tuition Classes Under the Free Education Policy. Evidence Based on Sri Lanka” (2011)