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緊急人道支援

ジャフナ、内戦終了の「その後」

2009年5月18日に26年間続いた内戦が終了して、約1年。ジャフナは急激な変化の中にあります。まず6月20日、約3年間続いた漁業規制が緩和され、漁師たちは海に出られるようになり、海産物がジャフナの市場に豊富に出回るようになりました。


喜びいっぱいの女性たち

そして高度警戒地域(High Security Zone)として政府軍以外は立ち入り禁止だった地域が徐々に縮小され、国内避難民たちも少しずつではありますが帰還が可能になりました。3月にジャフナ県北部の農村テリパライを訪れました。ここは、パラリ空港とKKSという港に近く、ジャフナでの戦闘が激しかった1990年に高度警戒地域(High Security Zone)となっていましたが、3月12日に解除されたとのこと。5500世帯の住民達が強制的に退去させられ、避難民キャンプや北部の各地を転々として暮らしてきたのです。中には海外に移住してしまった人たちも多いことでしょう。誰も入れなかった間に木がうっそうと茂って、畑も住居跡も井戸も埋もれてしまっています。20年ぶりに戻ることが認められた住民達は嬉しそうです。NGOから提供されたカマで木を切り、雑草を払って帰還の準備をしていました。子供のころに出たきり、帰れなかったという人たちですが、皆、帰れる喜びを語っていました。未だ高度警戒地域(High Security Zone)として指定されていて入れない地域もたくさん残っています。KKSという港は、戦前はすぐれた漁港だったと言われていますが、今は軍港となっており、周辺の漁民たちは未だアクセスできません。


20数年ぶりの「我が家」

ジャフナとコロンボなどの大都市をつなぐ国道A9号線は2006年8月以来通行禁止になっていましたが、2009年秋ころから徐々に開放されました。最初は政府軍の護衛(あるいは監視)がついている場合にのみ認められていましたが、軍の許可さえ取れば民間の商品輸送トラックの通行が認められ、ジャフナ市民が乗れる一般バスの定期便が通るようになりました。
2010年年明けころからは、観光バスが通るようになり、今は、毎日のように大型観光バスが南部のシンハラ人たちをジャフナに運んできます。もともと海に囲まれて風光明媚で、水産資源も豊富なジャフナはスリランカの人々にとって有名な観光地でした。そのうえジャフナ人口約60万人(ほぼ100%がタミル人)のジャフナに内戦中4万人から6万人の政府軍が駐留し続けたわけです。この兵士たちの家族、縁者たちがジャフナを訪れています。バスでやってきて1-2泊して、有名な仏教寺院やビーチ、史跡を訪ねるのです。小さなジャフナの中心街がそのために交通渋滞に陥るほどです。


雑草を払う人びと

ジャフナの西岸にオランダが昔、建造した石造りの砦があります。ここは政府軍によって警備されており、今も住民には立ち入り禁止です。が、観光バスで訪れたシンハラ人たちは中に入ることができます。地元のタミル人たちが入れない史跡に、シンハラ人観光客が観光バスを連ねて入っていく光景は心痛いものです。また、シンハラ人観光客が地元のタミル人にシンハラ語で話しかけて、通じないことを知って驚くという光景を目にしたこともありました。

内戦の終結が話し合いによってではなく、軍事力によってもたらされた結果、民族問題の解決を困難にしています。とりあえず戦争が終わって復興が始まったことは嬉しいことですが、経済的な支援以外に、内戦による傷を癒し、民族の和解につながるような支援の在り方を考えていきたいと思っています。

(パルシック 井上礼子)