2011年から始まった紅茶の有機転換事業は、スリランカは南部州マータラ県のシンハラージャ森林保護区(その生物の多様性および希少性から、世界自然遺産に登録されています)のお膝元にあるデニヤヤ市の3村(キリウェラガマ、キリウェラドラ、バタヤヤ)で進めています。2011年に参加農家25世帯の生産者グループを組織し、さらに2012年には新たに25世帯が加入し、50世帯からなるグループになっています。2013年度はさらに50世帯が仲間入りする予定です。
生産者グループのメンバーは、平均2エーカー(約0.8ヘクタール)ほどの茶畑を持っている農家です。忙しい時は、近所の人や親戚に来てもらって手伝ってもらうという場合もありますが、基本的に茶畑の整備、茶摘みなどは家族で行っています。メンバーが茶栽培を始めたのは、自分の代もしくは親の代からと、スリランカの紅茶栽培の歴史に比べると、そんなに長い訳ではありませんが(この地域での紅茶栽培が盛んになったのは、イギリスからの独立後のことです。イギリス植民地時代は、小規模農家に紅茶栽培は許されていませんでした。)、それなりに経験を積んで、主に茶栽培で生計を立てています。そして今回、有機栽培に初めて挑戦しています。メンバーの1番のモチベーションはもちろん、安定かつより高い値段での茶葉の販売が可能になるということにあります。しかし、同時に農薬の乱用によって自分自身の健康に害があること、村を流れる川の汚染などに対する懸念があり、健康と環境に優しい農業へ転換したいというのも大きな動機となっています。
有機転換事業としては、メンバーに有機肥料を自分で作れるように1世帯に1頭の乳牛が配布されています。転換茶畑の管理方法(周囲の畑から農薬や化学肥料が流れ込まないように柵や溝を作るなど)、土壌改良のための有機肥料作り方法について専門家を村に招いて集中研修を実施したり、日常的なモニタリングを行い日々の堆肥作りや茶畑管理についてのアドバイスをしたり、栽培記録の指導などを続けています。また、メンバー全員で隣県の有機栽培に挑戦している小規模農家グループを訪問したり、ヌワラエリヤ県の国立紅茶研究所を訪問して、専門的な技術を学んだりしてきました。
月に一度、メンバーが集まって生産者グループ集会が開かれます。そこでは、それぞれの農家の経験をみんなで共有したり、グループ費の使い方を相談したりしています。このグループ費というのは、毎月20ルピーを(500ml入りペットボトルのコーラは100ルピー)メンバーが積み立てているものです。最初の大きな使い道はなんとお葬式用のバナー作成でした(Pic4: お葬式の時に掲げるバナーでお悔やみの言葉が書かれています)。私はこのバナーを見た時に「えーっ!」と叫んでとっても驚きました。まだ誰も亡くなっていないのにこういったものを作るなんて不謹慎というか、縁起でも無いというか。。。しかし、村ではお葬式の際にこういったバナーを出したり、手伝いをしたりというのが、習慣として規範としてとても大事だということで、農家のおじちゃんたちはまずはバナーを作るのが当然のことだと言っていました。
紅茶の話から、お葬式の話にずれてしまいましたが、次回の紅茶便りではまた紅茶栽培の様子、特に一緒に働いているスタッフと現在取り組んでいる課題についてお伝えしたいと思います。
(スリランカ デニヤヤ事務所 高橋知里)