PARCIC

ガザ空爆被災者への食料物資支援と農家の生産再開支援

ガザ緊急支援のご報告

今年5月に発生したガザとイスラエルとの11日間に及ぶ武力紛争は、長引く軍事封鎖で疲弊したガザの人びとの生活をさらに悪化させました。パルシックは緊急集会を開いて寄付を募り、初日から激しい空爆の続いたガザ北部の農家世帯を対象に緊急支援を開始しました。

10月14日には、空爆によって、農作物を売ることができなくなった農家から買い取った野菜や鶏肉を入れた食料バスケットと衛生用品を配付しました。人口の8割が援助に依存するガザでは、食料を完全に援助に頼っている人びとも少なくありません。カロリーベースで組み合わされ、栄養が偏りがちな配給食料は、ガザで成人病の要因の一つになっており、中には滅多に生鮮食品を食べることができない人もいます。

支援物資配付の列に並ぶ人たち

配付の日、列に並んでいたエティマドさんに話を聞きました。

エティマドさんは子ども10人の母親で、一番下の子は小学1年生の女の子です。病院でもらったと思われる薬の入ったビニール袋を持ち、疲れた様子で配付の列に並んでいました。「大丈夫ですか?」と尋ねると、「疲れているけれど、夫が半身不随で動けないので、自分が物資を受け取りにきた」と話してくれました。

エティマド・アル・マスリさん(ベイト・ラヒヤ村)

5月の空爆によって、家の壁は壊されました。頭上からすさまじい砲撃を受けたため、屋根にもたくさんの穴が開いていて、冬になると雨漏りがするのではないかと心配しています(*地中海性気候のパレスチナでは、冬は雨季、夏は乾季となる)。

自宅から離れたところに農地を持っており、アンズの木がたくさん植わっています。息子の1人が世話をしていましたが、空爆中は怖くて外に出ることができず、水やりや木の世話をすることができませんでした。木は枯れ、アンズのシーズンも逃してしまいました。

枯れてしまった木を抜いて新しい木を植えるのに、たくさんのお金が必要です。大きく育っていたアンズの木を思い出すと悲しくなります。また最初からやり直しなんて…。損害補償を申告するため、関係省庁に行きましたが、申告に必要な土地所有証明書の発行にもお金がかかると言われ、お金を用意できない間に申告の締め切りが来てしまいました。

エティマドさん(左)

夫は4年前に脳梗塞で倒れて半身不随になり、自分で身の回りのことができなくなくなりました。他に収入源がないため、社会福祉省の生活保護に頼っています。昨年のラマダン以降、それまで4カ月ごとに配給されていた小麦粉や食料油、砂糖、レンズ豆などの食料品が、食料クーポンに変更されました。

週に60シェケル(約2,186円)分のクーポンをもらっていて、毎週25キロの小麦粉と油を購入しています。ただ、小麦粉の値段も43シェケルから48シェケルに上がるなど、物価が上昇していて、基本的な食料を買うにはクーポンだけでは不十分です。

今回のパルシックの支援で、5月の武力衝突以来、初めて食料品を受け取りました。食料と衛生用品の小包を取りに来るようにと連絡を受けたとき、とても嬉しく、娘たちに、これで何か料理を作るよと伝えました。この食料バスケットは、私たちの生活に変化をもたらしてくれます。私にはたくさんの孫がいますが、孫が訪ねて来たときも、何か作って食べさせてあげられます。

緊急支援物資

食料品を配付してから1週間後、タグリードはエティマドさんにフォローアップの電話をしました。エティマドさんは、受け取ったものすべてが気に入ったと言い、とても喜んでいました。「衛生キットと食料バスケットを受け取れて、助かりました。すべてのアイテムが役に立ちました。トイレットペーパーでさえ!本当にありがとうございました。」

荷物の運搬にはロバが大活躍!

(ガザ事務所 タグリード)

*この事業はジャパン・プラットフォームの助成と皆さまのご寄付で実施しています。

関連プロジェクト