PARCIC

ガザ空爆被災者への食料物資支援と農家の生産再開支援

ラマダン祝日目下、空爆の続くガザ

ガザ現地スタッフから届いた写真

5月10日の夜からガザの空爆が続いています。

「空が赤く染まり、爆撃音がそこら中で聞こえている。建物が破壊されるのを3度窓から見た。また2014年戦争のあの恐怖が戻って来るのかと思うと恐ろしくて落ち着かない。」

パルシック、ガザ事務所スタッフの一人が緊張するガザの状況をメッセージで伝えてくれました。5月11日、ガザ地区中心部ガザ市、パルシックのガザ事務所の目先にある12階建ての住宅ビルが爆破され、約30名が死亡しました。

現地は、イスラームの祝日で断食月ラマダンの終了を祝うイード・アルフィトルというお休みに入ろうとしています。この時期、イスラーム教徒は一か月間の断食を終え、家族で集まりご馳走を囲んだり、旅行に出かけたりします。2020年の新型コロナ感染流行により、占領下パレスチナも多大な経済打撃を受けました。コロナ禍で職を失い生きあえぐ中、人びとはみなイード休みがやってくるのを待ちわびていました。

4月中旬以降、聖都エルサレムでは緊張が増し、パレスチナ人と、イスラエル当局及び入植者の間の衝突が相次いでいました。現在エルサレムはイスラエルの実効支配下にあり(※)、ヨルダン川西岸地区から切り離されているだけでなく、強制立ち退きや違法入植地の建設によりコミュニティ内部の分断が続いています。

※1967 年の第三次中東戦争において、イスラエルはゴラン高原を含むヨルダン川西岸、ガザ地区、シナイ半島などのパレスチナ占領地を獲得し、その住民を実効支配下に置いている。東エルサレムはイスラエルにより一方的に併合を宣言された。

東エルサレムのシェイク・ジャッラー地区では、住民への強制退去問題を背景に、この間も不法逮捕が起こり、またイスラエル軍に護衛された入植者による礼拝者への襲撃、北部地域から巡礼のためにエルサレムに移動中のパレスチナ人のバスの高速道路での足止めなど、ラマダン最中の挑発行為などもあり、エルサレムの路上のあちこちでパレスチナ人とイスラエル当局との衝突が起こっていました。

10日、イスラーム教のモスク「岩のドーム」が建つエルサレム旧市街のハラム・アッシャリーフにおける大規模な衝突で350名以上が負傷しました。これを受け、ガザ地区を実行支配するハマースは、「エルサレムへの攻撃の報復」として、軍事封鎖されたガザ地区からイスラエル領内に向けロケット弾を放ち、その後イスラエルによるガザへの空爆が始まりました。

空爆は、それ以外にも車や地元の交通手段となっている3輪タクシーのトゥクトゥクなどを狙い、民間人が殺されています。パルシックのスタッフの自宅から1㎞圏内でも爆発があり、また別のスタッフの自宅の屋根には砲弾が落下、幸運にも不発弾であったため、建物から避難することができ、爆発物処理の専門業者による撤去が行われ、危機一髪を免れることになりました。

ガザの人々は空爆に慣れているとはいえ、夜通し鳴りやまないロケットの通過音や、爆撃音に手は震えます。みな、緊迫した時間を過ごしています。

11日の高層ビルの爆破を受け、ガザ側からは130発以上のロケット弾がイスラエル国内のテルアビブ周辺に向けて発射されました。ガザとの境界に近い、イスラエル南部のアシュケロンでは2名の民間人が死亡しました。テルアビブでは激しい弾幕により、空襲警報が鳴り響き、女性1人が死亡、イスラエルのテルアビブ国際空港が閉鎖されました。テルアビブ近辺のパレスチナ人地区リッド(ヘブライ語でロッド)でも入植者とパレスチナ人の間で銃撃戦が続き、死者・負傷者が出ています。リッドもまた、家屋破壊や、強制移動の対象となっている地域です。

現地の5月は、「イスラエル建国日」とパレスチナの「ナクバ」の日前後に、毎年緊張が高まる月です。西岸地区やエルサレムで起きた事件は、ガザ地区ハマースへの挑発となり、ハマースのロケット弾が放たれれば、毎回のごとく「集団懲罰」としてガザに爆撃が落とされます。

2006年、パレスチナ議会選挙でハマースが勝利した翌年、ガザの軍事封鎖が開始され、福岡市ほどの小さなエリアに住む200万人のパレスチナ人の生活は悲惨なものとなりました。封鎖14年目となった今、人々は希望を失っています。変化を求め、起こした行動もほとんどは一時的な注目を浴びても、すぐに忘れ去られてしまいます。

SNS上では、混沌とする状況の中、「殉教者へ黒旗を掲げよう」とただ死者を悼むだけのパレスチナ自治政府の発言を、まるで外国の政府かのようであると皮肉る投稿なども挙げられています。

いま、イード休みを迎える現地は、混沌とした悲しいニュース一色で埋まっています。ガザ・スタッフの4歳の姪は、イードの休みを前に買ってもらった新しい服を前に、「お父さん、服を返してきて、どうせ使えないのだから」と話します。また別のスタッフからは、「今年はガザにイード休みはない、血で迎えられた」と悲しいメッセージが届きました。

こうしてガザのスタッフたちが危険な状況に晒されていても、何もできず、もどかしさで心がざわつきます。この緊迫した状況が一分でも早く落ち着いてほしいと願っています。

Reem OmariさんのFacebookより。

(パレスチナ事務所)

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