今年、パレスチナは今まで以上に長い冬となり、人びとは冬が過ぎた後の晴れの日を今か今かと待ちわびていました。そんな中、今年のラマダンはパレスチナ人の意表を衝いてやってきました。
世界のほとんどのイスラム地域が、4月2日の「土曜日」をラマダンの初日と発表したなか、パレスチナと隣国ヨルダンは「日曜日」を開始の日と発表しました。晴れてさわやかな4月1日の金曜日、ムスリム市民は断食前最後の日を楽しもうとリラックスモード。ピクニックに出かける人もいれば、家族や友人と一緒に家でバーベキューをする人もいて、食料品の調達やラマダンの準備は土曜日にすればいいと気楽でした(注:パレスチナでは金・土が休日)。
金曜日の夜遅く、パレスチナ政府は新月の欠片を確認した後、突如政府発表を出し、ラマダンの最初の日を土曜日に変更しました。ムスリムたちはパーティーを切り上げ、翌日、食料品の買い物のために市場に急ぎました。金曜日にたくさんの人がバーベキューをしたため、一部のお店では鶏肉が売り切れるというハプニングも見られました。
街の通りは、ラマダンのスイーツ「カターイェフ」のトロリーで埋め尽くされ、にぎやかに。お店はラマダンの装飾品を売るためのスペースを特設しています。今年もラマダンが始まりました!
ここ約一か月間、パレスチナの情勢は悪化の傾向にあり、ラマダンというお祝いの機会を不快なものにしています。ラマダンの始めから数えても、17日までに計36人のパレスチナ人が各地で亡くなりました。家族で夕食の席を埋めることができなくなり、いつもなら集まって一緒に断食後の最初の食事をとるはずの家族の不在を悲しみました。
また多くの人びとはラマダンの時期に追加の稼ぎを得ますが、イスラエルは西岸地区内のパレスチナ人、特にジェニン市内とグリーン・ライン内のパレスチナ人のいくつかの町(イスラエル国内では人口の約2割がパレスチナ系市民)に移動制限を課し、大きな経済損失となりました。
しかし、国内のパレスチナ系市民もただぼんやりと待っていたわけではありません。売り上げの多くをイスラエル国内から買い物にくるパレスチナ人に依存するジェニン市の経済を元気づけるため、ジェニンへの無料バスを手配しました。
それでも悲しみは空に漂っています。人びとの顔からは、もはや断食で疲れているのではなく、毎日のように血が流れる状況に困ぱいし、いつになったら普通の生活を送れるのだろうかと嘆いていることが分かります。
ラマダンは、人びとと喜びを分け合って、精神的なつながりを確かめあう機会です。パレスチナも、新型コロナウイルスのパンデミックから回復していません。しかし、「占領」は人びとが楽しむことさえ許しません。 今年の記事では、少しでもラマダンの楽しい雰囲気を見ていただこうと、ラマッラー市の様子を撮ったビデオをお届けします。(ビデオは後日アップします!)
パルシック、スタッフ一同より、健康で幸せなラマダンをお祈りします。
(パレスチナ事務所 ヤラ)