イスラエルの建国につながった1948年戦争(第一次中東戦争)の結果、約75万人のパレスチナ人が故郷を追われ難民となりました。パレスチナ難民は誰一人としてかつて住んでいた家やコミュニティに戻ることを許されておらず、その人口は増え続けています。現在、世界中で58の難民キャンプに700万人以上のパレスチナ難民が住んでいます。パレスチナ人にとってこの強制離散の現実は、パレスチナの歴史を語る上で根幹となっており、またこの難民問題はパレスチナとイスラエルの紛争の原点となっています。
パレスチナ難民は、他の難民がもつ権利の多くを持っておらず、例えば基本的な人権の欠如や、心理的、社会的、経済的、実存的、人道的、政治的問題を含む問題をはじめとした多くの困難に直面しています。
パレスチナ難民受け入れ国の1つであるレバノンには、12の難民キャンプがあります。レバノンでは45万人のパレスチナ人がUNRWAに登録されていますが、彼らの多くが重要な権利を欠いており、また25種類の職業分野で仕事に就くことができません。その結果、レバノンでは、UNRWAが活動している他のどの地域よりも多くのパレスチナ難民が貧困に苦しめられています。そしてパレスチナ難民キャンプの居住環境は非常に劣悪です。鉄板で作られた屋根の中は常に混雑していて、道路や衛生設備などの基本的なインフラが不足しており、数か月も電力不足が続いたり、電力が供給されたとしても断続的だったりします。一部のレバノンのキャンプでは、冬に雨が降ると下水が人々の家に流れ込んでしまいます。
さらにパレスチナ人は、キャンプ内であっても、建物を修復したり建設したりすることは許可されていません。これは、家が何らかの形で損傷したり、学校などの施設に修理が必要になったりした場合でも、それらを修復することは違法であり、これを破れば重い罰金が科せられることを意味します。それだけでなく、過密状態や不十分なインフラ、医薬品や医療への限られたアクセス、栄養不足、紛争や事故によって起こる不衛生などといった理由のために、多くの健康問題に直面しています。国際機関とUNRWAは、場所に関係なく、すべてのパレスチナ難民キャンプに医療を提供しています。しかし、援助機関によって提供されていないヘルスケアが必要となることも多く、地域の医療価格によっては高額となってしまいます。そのため、パレスチナ難民の家族は厳しい決断をしなければなりません。例えば、家族の中で複数の子どもが病気の場合、1人は治療を受けることができますが、他の兄弟は治療を受けることができないという状況です。
パレスチナ難民キャンプにおけるもう一つの深刻な問題は、教育の欠如です。 UNRWAは、さまざまなパレスチナ難民キャンプで50万人の子どもたちに教育資源を提供し、また国際援助組織も更なる資金を提供しています。しかし、これらの教育支援では、将来仕事を得るために必要なスキルをパレスチナの若者に提供できているわけではありません。alresalahウェブサイトの最新の統計によれば、パレスチナ難民の失業率は恐ろしい数値となっています。レバノンでは、パレスチナ難民の70パーセントが失業しており、ほとんどのパレスチナ難民が1日2ドル相当で生活しています。また、人口の約50%は仕事に必要な最小限のスキルしか持っておらず、さらに10パーセントの人びとは一度も学校に通ったことがありません。
このように、レバノンのパレスチナ難民キャンプで生まれた多くの人びとにとって、仕事を見つけることができない理由は教育の欠如にあるといえます。シリア危機により200万人のシリア難民がレバノンに避難したこともあり、仕事をめぐる競争は一層激化しています。その結果、パレスチナ難民は、衛生や農業、建設業、繊維業、洗車、電気関係などといった低賃金労働に従事することが多く、その他の仕事を見つけることは困難です。またパレスチナ難民の女性の多くは、乳母、看護師、または使用人として働きます。
難民は、政治、戦争、強制移住や第三国定住のために非常に過酷な経験を強いられてきています。一方で、占領に苦しんでいるパレスチナに住んでいるパレスチナ人は、教育を受け、仕事をし、ビジネスを営むことができれば、よりよい生活を送り、自分たちの国のなかで疎外感を感じることも無くなるでしょう。
今こそ、世界中のすべての難民の苦しみの連鎖を止め、より良い生活を提供するべきなのではないでしょうか。
(パレスチナ事務所 ヤラ)