PARCIC

自然・文化

十三浜の伝統芸能 『南部神楽』地元の力で復興へスタート


▲大室南部神楽保存会が探し当てた、
大室南部神楽の演目ビデオより。

「南部神楽」は、宮城県北部から岩手県南部まで広く継承されている民俗芸能。旧来の神楽が明治維新後に農民によって一般化し、鮮やかな衣装をまとった演者 が、神話・伝説などを桶胴(おけどう)太鼓と鉦(しょう)の囃子(はやし)に合わせて演じ唄い舞う、迫力ある芸能です。石巻市北上町十三浜には、相川、大 室、長塩谷・立神地区に保存されていました。いずれも、石巻市指定無形民俗文化財です。

2011年3月11日の津波は、十三浜の南部神楽が保存されているすべての浜を襲いました。囃子道具、お面、衣装、さらには演目・台詞が記されていた「か んでぼ(神台簿、神台本)」まで、保管されていたあらゆるものが波にのまれ、消え、衣装の端切や海水を浴びてぼろぼろになった道具が発見できた程度でし た。

これまで、被災された大室の方が、何度か南部神楽の話をしてくれたことがありました。
「〇〇さんはうんと唄がうまいんだ」
「みんな神楽が好きでね」
「屋島合戦は泣きの演目で、際立って上手な人でないとだめなんだ。うまい人がやると、もうみんな泣いてしまうよ」(とくに、たくさんの亡くなった兵士の中、兄を懸命に探す場面は涙を流さずにはいられないとか)
「こういう台詞なんだ。これが泣けるんだ。『忠信と一声、呼びたまえ~~~』」


▲屋島合戦の台詞を唄いながら書き記してくださいました。

▲こうした長台詞が書かれていたものもすべて失いました。

年が明けた2012年1月初旬、十三浜小室の獅子舞の件もあり、石巻市教育委員会の文化保存を担当する方を訪ねました。担当してくれたのは木暮さんという方、訪ねた時、驚かれながらこう話してくれました。

「ずっと浜の方が気がかりだった。まして北上町は役場ごと壊滅、職員もみな被災し、大変な状況であることは分かっていた。だから獅子舞は、神楽は大丈夫 だったかとは到底、聞けなかった。(パルシックから)事情を聞き、迷ったが、地元が復活させたいと言っているなら、その“今”が、文化・芸能の復興のタイ ミングなのだと思った」。

この木暮さんの一言から、十三浜の神楽復興への道のりがスタートしました。2月には被災した長塩谷南部神楽、相川南部神楽、大室南部神楽が集まり、各保存 会の組織体制、運営、練習場所、道具の確保について話し合われました。これまで、「おらほの神楽が一番」と思ってきたそれぞれの保存会。ですが、木暮さん により、体力を蓄え、保存会を残していくためにも、独自性を大事に活動しながらも、例えば「十三浜南部神楽連合」としてゆるやかに連携してお互い励まし 合って行こうということが提案されました。それから、資金調達や道具の作り手探しなどそれぞれに動き始めました。しかし、後継者がいない保存会もありま す。今後、南部神楽はどうなっていくのか、先が見えない保存会もあります。お金さえあれば復活できるものではありません。現保存会の思いと、我慢強く道具 の作り手を探しできるまでを待つ、そう簡単に「復興」とはいきません。そんな中、大室南部神楽はいち早く、大室出身の若手が動き始めました。

もともと南部神楽は子供や女性が演じるものではありませんでした。南部神楽は、明治初期の修験制度廃絶後農民に広がり伝承されていくまでは、岩手県 を巡る修験者たちが継承してきた「山伏神楽」というものであり、おそらく厳格な規則により守られてきたと想像します。ですが大室では、20~30年前、文 化芸能の継承・後継者の育成のため、そして何より当時の子どもたちが南部神楽に憧れて師に「踊りたい」と何度も頼み込んだことから、神楽を演りたい男の 子・女の子への継承がはじまりました。子どもであっても妥協を許さない当時の師匠。下手な踊りをすると「だいにおしぇらいだ!(誰に教えられた!お前の師 は誰か!)」と怒られたといいます。台詞も長く、そして体力も相当に必要です。後に、当時のビデオが見つかったのですが、小学生がこのような舞ができるの かと驚かされました。

「子供神楽」であちこちのイベントに引っ張りだこだった当時の小学生たちは、現在20代~30代。大室を離れ、皆ばらばらに家族や仕事を持っています。で すが、自分たちの生まれ故郷のために何かできないか、悲しみを背負ったおじいさんおばあさんの笑顔がみたい、その思いから、道具だけでなく、神楽の恩師ま でも津波で失いましたが、お互いに連絡を取り合い、懸命に復活に向けて頑張っています。

大室は十三浜の中でも一番、冗談や笑いが多く、真面目な顔で冗談を言うので真に受けてちゃかされるということもある地域です。身内・家族を失った方も多 く、ほんの少し高いところにあった2軒を残し、浜全体が壊滅しました。若者の手によって、少しずつ元の笑顔が取り戻されるかもしれません。

大室ならではの面白いコラムがたっぷり掲載されている「大室南部神楽保存会」のホームページがあります。
大室南部神楽保存会

そして大室だけでなく、相川も長塩谷も、それぞれに踏ん張ってがんばっています。よかったら皆さんも一緒に、十三浜の南部神楽を見守り応援してください。 民俗芸能は集落が育て伝承していくもの。パルシックは、事務方など後方からお手伝いが必要なところで、できることをして、応援しています。


▲お幣束づくりの様子。神楽の演者は右手に扇子(刀に代わることも)、左手にこのお幣束を持って舞います。演じた後、お幣束は観覧に来た方に贈呈され、渡された方は家の神棚に飾るのだとか。(大室)

▲神楽の衣装は地元の方たちが縫います。生地ひとつ、生地の名前を探すところから始まりました。その生地で地元のお母さんたちが仮設住宅に集まって、ひとつひとつ確かめながら縫い上げています。(大室)

 

(パルシック 日方里砂)