PARCIC

インドネシア中部 スラウェシの地震・津波被災者支援

中央スラウェシ州での活動を終えて

2年8か月と14日間。日数計算のサイトで中央スラウェシ州での地震・津波被災者支援の開始日と終了日を入力してみたら出てきた数字です。決して長くはないけれど、スラウェシの地に愛着と親しみを持ち、友達を作るには十分な時間でした。

現地での活動は6月いっぱいまでだったので、6月は事業のモニタリングや事務所を閉じる作業、関わってきた方たちとのお別れで慌ただしく過ごしました。支援をしてきた女性たちは、自家製のコーヒーや乾き菓子をたくさん持たせてくださり、「次は家族で来るんだよ」と声をかけてくれました。女性の生計支援活動(2019年10月~)から共に活動してきた現地提携団体の代表は「パルシックは今まで出会ってきた国際NGOと全く違った。私たちと対等に同じ目線で共に活動し、とても嬉しかった」と女性たちとの修了式兼お別れ会で述べてくれました。

修了式兼お別れ会にはシギ県の県知事代理など政府関係者も参加

私たちがスラウェシの地で活動を開始したのは2018年10月26日。中央スラウェシ地震から1ヶ月が経とうとする頃です。見た目ではヒビが入った程度の建物が続き「意外にも被害が少ない…?」と思った空港からホテルへの道中、かと思えば大きな商業施設が1階部分から潰れていたりと、ひどい有様でした。道を挟んでこっち側とあっち側で壊れ具合が違う、そんな状態に驚きました。この商業施設には、逃げ遅れた人が埋まったままだと聞かされました。

津波の大きな被害を受けた沿岸のホテル

被災から約1ヶ月後の液状化現象の跡地。鉄くずを集める人が多く見られた

液状化現象の被災地、津波に一掃された沿岸部、避難キャンプなどを見て回り、食糧・生活用品の配布から支援を開始しました。その後、2018年の12月には子どもの居場所活動を開始。保護者が生活の建て直しに忙しく、まだまだ瓦礫が残り余震も続くなか子どもたちが安心して遊び過ごせる場所を提供しました。

この頃から20代の若い現地スタッフが働き出し、以降の事業期間中、多い時は10人以上の現地スタッフがいました。2020年8月で子どもの居場所活動を終了してからは、その後続く女性の生計支援で大きく活躍してくれました。彼らの多くは自身も地震の被災者であり、また複雑な家庭環境を持つスタッフもいました。子どもの居場所活動について「自分も子どもの頃に、こんな場所が欲しかった」と、あるスタッフが泣きながら話し、「自分が欲しかった場所を今の子どもたちに作ってあげて、それを一緒に楽しもう」と話したことは忘れられません。

障がいを持った子どもが輪に入りづらいこともあったが、活動を続けるうちに一緒に遊ぶ場面が多く見られるようになった。この時は突然歌い出した障がいを持った子どもに合わせて、2人の子どもがタンバリンと太鼓を叩き出し自然な音楽セッションとなった

子どもたちが歌をうたう様子を、外からたくさんの保護者が見守っていた

食糧の配布は1,200世帯、生活用品は1,130世帯に行いました。また仮設住宅資材の配布を357世帯に、145基のトイレ新設、122基のトイレ修復、193基の水タンク設置も行いました。1村から始まった子どもの居場所活動は3村まで活動を拡げました。女性の生計支援は2019年末に子どもの居場所活動を行う3村から始まり、最終的には5村で支援を行いました。

生活用品の配布の様子

仮設住宅の前の親子

生計支援は農家の女性たちを対象とし、軽食や生菓子・乾き菓子などの加工販売の研修、必要資材の配布を行い、なかなか農業分野の復興が進まない状況で女性たちが追加収入を得られるようになりました。2020年3月以降には新型コロナウィルスの感染が拡大し、集会の規制や経済活動の停滞など様々な困難が生じました。そんな中、家庭での消費や販売からの収入にも回せるようにと、女性たちを対象に、養鶏の研修と鶏・資材の配布、もしくは野菜栽培の研修と種・資材の配布のいずれかひとつを希望に合わせて行いました。

液体肥料の作り方をレクチャーする現地スタッフ

傾斜部の畑を案内する女性

特に大変だったのは、養鶏です。予想だにしなかった数の鶏が病気の流行で死に、新たな対応を迫られました。生き物を扱うことは、思い通りに行かないことだらけだと心底思わされました。野菜栽培では、土日に村に泊まり込み、なかなか作付けにすすまない女性の畑で一緒に鍬を持って土を耕し、草抜きをしたこともあります。

水は、何世帯かが共同で汲み上げ式の井戸を使って水タンクに貯めて使っているのですが、その日は朝から土を耕して、さあ午後に水を使おうとしたら水タンクから水が流れず 長々と待たなくてはいけませんでした。事業地では水が不足していて、時間やタイミングによって水が出やすい、出にくい、という状態なのですが、情報として「水が少ない」と理解していても、汗水流して作業をしたあと、いざ水がいる!という時に水がない時の「はー、もう今日はしゃーないわ」という気持ちは、一緒にやってみないとわかりませんでした。

野菜栽培選択の女性の中には、それまでの軽食販売をやめて野菜の販売に絞り、大きな売り上げを出した人もいます。「軽食販売と比べてどうですか?」と聞くと「そりゃもう野菜販売がいいよ!夫といる時間が増えたんだもの。仲良しなの、ふふふ。一緒に畑やって、売り上げも大きいよ」と言って、アハハハハと大きな笑い声をあげて話してくれました。

鶏小屋資材を配布するスタッフ

家畜衛生局と協力しワクチン接種をする様子

女性の生計支援では、共同生産所も作りました。そこでは主に乾き物のお菓子を女性たちが共同で作っています。村を訪れた際に寄ると、集まった女性たちとお喋りになり、「美味しい美味しい」とついつい勧められるがままにお菓子をいただきました。女性たちの社交の場にもなっていたようです。特に「ピア」というお菓子と、紅芋やドラゴンフルーツなどから作ったチップスが美味しくて、おすすめです。

共同生産所でピアを作っているところ

家計簿のつけ方、パッケージについてなど生計に関する研修を受ける女性たち

パルシックの事業は終了しましたが、研修で学んだことを活かし女性たちは養鶏や野菜栽培、軽食やお菓子の製造販売を続けています。みなさまのこれまでのご支援、心からありがとうございました。

さきに載せた液状化被災地跡の2021年6月の様子。すっかり草が生え緑の更地となっていた

(スラウェシ事務所 松村多悠子)

※この事業はジャパン・プラットフォームの助成と皆さまからのご寄付で実施しました。

関連プロジェクト