PARCIC

インドネシア中部 スラウェシの地震・津波被災者支援

コロナ禍のインドネシア国内移動と事業地の様子

2021年3月24日、ほぼ丸1年ぶりとなる中央スラウェシ州パルに到着しました。昨年3月16日、事業地のある中央スラウェシ州が新型コロナウィルス感染予防の観点から、外国人の入域を禁止したため、私はこの1年間、自宅のあるティモール島(インドネシア側)のアタンブアから遠隔で事業に携わってきました。

1年ぶりの事業地の様子をお伝えする前に、インドネシアにおけるコロナ禍の国内移動についてお話しようと思います。州ごとに規制や抗原検査・PCR検査その他の有無、陰性証明の有効期間が多少変わりますので、あくまで今回の場合の一例です。まずパルに向かう前にバリに用事があったので、アタンブア出発前日に病院で抗原検査を受け、無事に陰性でした。初めての抗原検査、鼻に細長い綿棒のようなものを入れグリグリとされ結構痛かったです、涙目。「ああ、これから何度もこれやるのか…」と憂鬱な気持ちになったのを覚えています。

この当時(3月上旬)、バリに入るには24時間以内の抗原検査陰性証明が必要でした。その後、バリで用事を済ませ、パルへ向かう前にまたしても抗原検査!パル入りに関しては、当時48時間以内の陰性証明でした。覚悟を決めて、鼻の穴を突き出すと、スルッ、くるくるっと軽やかに回され、ほとんど痛みを感じませんでした。やはり人も多いバリでは検査をこなしてきた数が恐らく桁違いだからでしょうか。この陰性証明は、出発地の空港でチェックイン時またはその前に確認され、その後は通常の流れで飛行機に乗ります。目的地に到着すると、特に陰性証明の提示は求められませんが、事前にインストールしておいた「eHac Indonesia」というスマホアプリに、個人情報や目的地までの便名、滞在先などを記入し、空港を出る前に認証を受けます。もしアプリがなかったり、エラーになったりした場合は紙に記入します。

eHac Indonesiaの設定画面

久々の事業地では、30名以上の女性たちから実際に話を聞くことができました。生の声が聞けるのは嬉しいものです。いくつかのお話を紹介します。まず、こちら。真ん中の女性たちの中で見覚えのある顔はないでしょうか…?

中央の並びの1番右がウチアナさん

そう!オンラインイベントの動画に出演をしてくださったナモ村のウチアナさんです。 ウチアナさんは焼き魚やお菓子の販売を続けながら、お店をやり、現在では養鶏の支援も受けています。「商売も養鶏も順調!鶏はまだ当分売りませんよ、まだまだ数を増やして、新しいメニューを作ったり、良い値段の時に売りたい」と言っていました。「ここらへんの名物で竹をつかった鶏料理があるでしょう?あれはどうですか?私も食べてみたいです」と言うと、「いいね。今度来た時に作ってあげるよ」とのこと。動画作成に奔走したファシリテーターが「ウチアナさんはどんどん話をしてくれるから、おもしろい」と言っていましたが、なるほど、よくわかりました。

1番真ん中の女性、左の女性も養鶏の支援を受けており、おおむね順調にいっているとのこと。左の女性は鶏の餌用にトウモロコシを畑で植えているそうです。「自分でもどうにかしないとね!」と言っていました。

お話を聞いた小屋の左手がちょうど鶏の餌用トウモロコシ畑

続いては、野菜栽培支援です。

ナモ村の通称チャーリーのパパとママ。支援の対象は女性ですが、夫婦で協力して畑仕事をしています。つい最近トマトの収穫でまとまった収入となり、そのお金で商品を仕入れ、閉じていた商店を再オープンさせることができました。「しばらく閉じていたけど、また商店を再開することができて嬉しい」と言っていました。トマトのほかに、唐辛子、空芯菜、青菜などを植えていて、セロリは発芽させているところです。

家の前の商店は真新しい商品で溢れていました。

続いて、シデラ村の生産所の様子です。この生産所では8人の女性がグループとなって協力して活動しています。この日は、残念ながら隣村で不幸があったため、3人だけが生産所にいました(左から2番目はパルシックの現地ファシリテーター)。こちらの生産所の1番の売れ筋はトルティーラ。トルティーラと名がついていますが、アメリカやメキシコで食べられる薄焼きのパンではなく、果物や野菜、芋類の薄いチップスです。ちょうど、この時作っていたのは、ドラゴンフルーツのトルティーラ、チーズ風味。チップスにふりかかっているパウダーも「自分達で作れるものなんだ!」とびっくりしました。パウダーの作り方を教わったので、今度作ってみて、あれこれふりかけてみたいです。

ドラゴンフルーツというと、震災後間もない頃に液状化現象のひどかったシギ県ジョノオゲ村を訪れた時の光景が思い出されます。橋が崩壊し、家や商店も壊れ流され、「道だった場所」には数キロ先から流されてきたドラゴンフルーツの畑があり、その実や木がぐちゃぐちゃに倒れていました。あのドラゴンフルーツが、今はこうしてシギ県名物トルティーラになっているのかと思うと、震災からの時間を感じると共に嬉しくなります。 

真ん中の鮮やかなピンク色がドラゴンフルーツのトルティーラ

あっという間に事業期間も後半に差し迫ってきましたが、引き続きパルシックは少しでも女性たちの生活が良くなり、より多くの笑顔が見られるようにサポートしていきます。

(スラウェシ事務所 松村多悠子)

※この事業はジャパン・プラットフォームの助成と皆さまからのご寄付で実施しています。

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