今年の「東ティモールのコーヒー生産者を訪ねる旅」は、実に4年ぶりに、コーヒーの収穫時期の開催となりました。「ずっと待っていた!」というお声もいただき、ツアーは募集開始から早々に満席となり、参加者は総勢12名、81歳から19歳までと幅広い年齢の顔ぶれとなりました。
東ティモールに着いて、最初に訪れたのは「サンタクルス事件」の現場、サンタクルス墓地です。お墓の間を縫うように、ときにはお墓の上を歩いてたどり着いたのは、事件のきっかけとなったセバスティアォン・ゴメスのお墓でした。墓標には、「1973年生まれ、1991年没」の文字が。自分たちとそんなに生まれた年の変わらない多くの若者たちが、この場所で、あるいは運ばれた病院で殺され、捨てられた…。墓標にきざまれた物言わぬその数字は、よりリアルに、この凄惨な出来事が遠い昔のことではない、同時代にあったことなのだ、と伝えてくるようでした。
このツアーのハイライトは、なんといってもコーヒー生産者の集落での民泊とコーヒーの収穫体験です。集落に向かう前に、まず山間部の中心地マウベシに滞在します。いかにも南国らしい気候のディリから、ぐねぐね道(車酔い注意!)を登っていくとみるみると気温が下がります。ツアーの前週に出張に行った同僚から「夜はダウンとヒートテック必須ですよ」と言われたときは、「盛ってるな」と内心半信半疑だったのですが、本当に夜は寒かったです。
翌朝、山の朝の清涼な空気を満喫しながら、マウベシを散歩し、市場で食料を調達し、いざ集落へ!今回お世話になるのは「クロロ」という集落です。クロロは、地図上で見ると、そんなにマウベシから遠くは見えないのですが、道が険しく、車が入るのが困難なため、これまでのツアーでは重い荷物を背負って徒歩で訪れていました。昨年、日本のNPOと協働して村の人たちが道を舗装し、車でのアクセスが改善したため、今回の訪問先となりました。
「馬もまっすぐに登れないほどの急坂(記事参照)」がいったいどんな道になったのか、「道」も楽しみに車に乗り込んだのでした。しかし、その「道」までの道が大変だったのです。パジェロやランクルといった日本が誇る高性能SUV車でさえ、ぬかるんだ急坂をなかなか登れず、何度もスタックする羽目に。(一番の難所だった急坂を昨年舗装したとのこと)
心配した集落の人たちが迎えにきて、車を押したり、石を積んだりしているなか、車を降りて見た風景は、絶景そのものでした。眼下には、陽の光を受けてきらきらと輝く川。谷を囲む山々の斜面には家々がへばりつくように点在し、山を抜ける風にモクマオウの森がサワサワと心地よい音をたてて揺れています。車が大変なことになっているのに、すっかりその風景に心を奪われてしまいました。
集落では2泊滞在しました。電気も水もガスもない、そして寝袋持参という事前の情報に 「なかなかすごいところなんだろうな」と予想はしていたものの、実際には想像していたよりも、(いい意味で)ずっと原始的でした。
コンクリートにトタン屋根の家は、床は土間であまり家具らしい家具もありません。ソーラー蓄電池を持っている家は明かりがついていますが、私がお世話になった家にはなく、懐中電灯をつけてくれました。台所は茅葺き屋根の建物にあります。薪を集めて、集落の入口近くにある水場で水を汲んできて、三石かまどで料理をします。近代的なインフラという意味でいえば、ほぼ何も整っていない環境です。
でも、集落を歩いていると、いたるところに動物がいます。鶏、犬(番犬でもあり食料にもなる)、豚、馬。そして、バナナやイモといった食料となる作物もいっぱい見かけます。気温の下がる山の朝夕、料理をしながらみんなで火を囲んでいると、犬が「丸焼きになっちゃう!」とこちらが心配になるぐらい火の近くに寄ってきました。たしかに何もないところなのかもしれない。それでも、こんな風に火を囲んでいるとすべてに満ち足りている、そんな不思議な気分になりました。
このツアーの最大の目玉であるコーヒー収穫体験については、長くなるのでこのレポートでは割愛させていただきます(笑)。ただ一つ、収穫から加工、最後はカッピングまですべて見れます!とだけお伝えしたいと思います。
コーヒー収穫体験については、ぜひ、こちらのオンラインツアーをご覧ください。(YouTube動画)
過程を一つ一つ見て思ったのは、「私たちの手に届くのは、本当に一握り」ということです。 何度も何度も人の手、あるいは機械によって、豆は選別されていきます。高い品質を守る、という消費者との約束が、こんなにも律儀に誠実に守られているのだなと実感しました。
旅を終えてから、一か月。今でも脳裏に浮かぶのは、集落へと続く、ぬかるんだあの一本の道です。成田空港に着き、入国審査のゲートまで歩いているとき、隣を歩いていた参加者の一人が誰に聞かせるでもなく「ああ、クロロにずっといたかったな」とポツリと言いました。
今はまだ、簡単に行ける場所とはいいがたいかもしれません。でもいつか、あの道を通って彼がまたクロロを訪れる、そんな未来があるといいなと思いました。
(東京事務所 今村仙子)