PARCIC

コーヒー生産者支援

亡き生産者たちの冥福を祈って

新年のあいさつをしてからひと月とたたないうちに、コカマウ女性メンバー2名の訃報に立て続けに遭遇しました。思えば02年にマウベシで生産者との活動を始めてから7年の間に、幾人かのメンバーとそれ以上に多くの子供たちの死に直面してきました。彼らすべてのことを思い返しながら、この女性2名のことを少し、みなさんに紹介したいと思います。


コーヒーの加工作業をするジョアナ(左)
(2003年)

ジョアナは享年24歳。03年のリタグループ結成時からのメンバーで、コーヒーの加工作業を見に行けば必ず選別作業をしている彼女に会い、グループでの会議の際にはいつも包丁を片手にやってきて、コーヒーを入れたり料理をしたり、明るく裏方を守ってきました。06年にリタで女性グループを作ると、マイクロクレジットでの養鶏にも参加しました。初年度は鶏が全滅して赤字になり、「養鶏より商売がしたい」と盛んに言っていましたが、07年から健闘し、08年には100ドル以上の収益を上げました。

幼くして両親を亡くし、家庭を持つ兄が親代わりだったジョアナ。そのお兄さんが07年に亡くなり、以降、トウモロコシや豆の植え付け、コーヒーの収穫など、ジョアナと弟の二人で切り盛りしていました。「畑が広すぎて大変」と会うたびに言っていましたが、09年からはソラマメ作りのグループにも参加しました。

ジョアナの死は本当に突然でした。1月19日、たった1週間ほど伏せっただけで亡くなったとメンバーから知らされました。マウベシの人びとは彼女の死を「身から出たサビ」と説明します。本当の死因がなんだったのか知る由もなく、彼女が抱えていた問題を死後に聞かされ、残念でなりません。


元気なころのマリアナさん(2004年)

マリアナさんは享年30歳。03年のレボテログループ結成時からのメンバーでした。勝気な女性でした。レボテログループでのミーティングにはいつも小さな男の子を連れて参加し、議論が白熱すると子守りも忘れてマンバエ語(東ティモール山岳地帯の言語)で叫んでいました。

いつの頃からか、マウベシ市場で毎日野菜を売るマリアナさんを見かけるようになりました。市場に買い物に行くと「マナ・ジュンコ(マナはテトゥン語で女性への一般的な呼称)、あたしの野菜買ってよ」と声をかけられ、よく立ち話もしました。コーヒー収穫期になっても市場にいるので、コーヒーは?と聞くと、実はあまり収穫がないのだ、と教えてくれました。植えたけれどもまだ実がつかないのだ、と。「野菜を売って、運がよければ一日5ドルくらいの売り上げになって子どもにご飯を食べさせられる」。「あたしたちかわいそうだから、マナ・ジュンコ助けてよ」ともよく言われました。コーヒーの共同加工や女性グループの活動に参加して、わたしなんかがいなくても生活がよくなるようにしなくちゃ、というと、意外にもしんみりとうなずいていたことを思い出します。結核を患っていたようでした。

1月28日、マウベシ墓地でのマリアナさんの埋葬に立ち会いました。参列者100数名はみな親族で、見慣れたメンバーたちの顔も多くみられました。男性たちが手際よくマリアナさんを埋葬する間、女性たちは手に手に小さな花束を持って祈りを捧げます。十字架や棺、鉄格子やセメントなど、埋葬に必要なものはすべて揃えられ、こんなにたくさんの人たちに手厚く葬られるマリアナさんは幸せだな、と思う心のどこかで、「マナ、助けてよ」といったやせ細ったマリアナさんの姿が消えません。植えたばかりのコーヒーの収穫を待つことなく、中学校2年生の女の子を筆頭に5人の子供を遺して、マリアナさん自身さぞかし心残りだったことでしょう。

貧しくともたくましく生きる生産者たちの日常を知るにつけ、ジョアナやマリアナさんのような死に向き合うことがつらくなります。彼ら、彼女らの冥福を祈るばかりです。