PARCIC

シリア国内避難民・帰還民の生活支援事業

10年以上ぶり!小麦の収穫祭が行われました

シリアの農村では毎年、小麦の収穫後に村人全員で収穫祭を行っていました。しかし紛争が2011年に始まり、国内の戦闘が落ち着きを見せ始めてきた今も、種や肥料の値段の高騰や畑の水をやるために利用するポンプや発電機用の燃料が手に入らず、小麦生産を止めたままの農家が多く、長い間収穫祭も行われなくなっていました。

しかし今年、パルシックが活動しているホムス県の村では、農家への支援により10年以上ぶりにまとまった小麦の収穫ができたことから、収穫祭を再開することになりました。紛争が始まってから生まれた子どもたちにとっては初めての収穫祭です。

収穫祭では、まず収穫祭の前に、収穫された小麦を3回洗って異物を取り除き、一度乾燥させます。そして収穫祭の日に200Lの水を張った釜に入れ、一度湯通しします。ホムス県の小麦は、通常のパン用の柔らかい小麦ではなく、パスタで使うような固い小麦(デュラム小麦)のため、はじめに釜で小麦に熱を通します。そして湯通しをした後に屋根の上で3日間干し、その後工場でさらに細かくして(昔は石臼で砕いていた)ブルゴルの出来上がりです。

パン用の小麦粉が手に入りにくくなっているシリアでは、このブルゴルをご飯のようにして食べる人が増え、パン不足に対応しています。紛争前はどの世帯にも、このブルゴル作りに使う大きな釜が1つありましたが、紛争で壊されたり、お金のために売ったりして、今ではほとんどの家で釜はなくなってしまいました。

収穫祭では、小麦を湯通しした後に、皆で食事会をします。湯通しした小麦にチョコや飴を混ぜて、Silaka(シラカ)と呼ばれる食べ物を作ります。このSilakaは収穫祭以外でも、キリスト教徒は毎年12月4日に、イスラム教徒は日付に関係なく、赤ん坊の歯が生えたことを祝って食べたりします。

シリアにとって小麦は、大事な産業の1つです。そのため、市場での小麦の販売価格や、農家からの買い取り価格を政府が設定し、小麦産業を維持しています。紛争により、小麦の生産量は紛争前と比べ50%以上減ってしまいましたが、紛争が落ち着き始めたここ3年ほどは、政府も国内の小麦生産に力を入れています。農家は小麦の収穫後、収穫の80%から90%を政府管理の小麦倉庫に搬送し、残りは、各自の食卓用や、近所で分けたり、一部は来年度の種として保管したりしています。

村では、今回紛争以前の生産量と同じくらいの収穫ができたからでしょうか。収穫祭での村の人たちの表情はとても明るい印象でした。今のところ、経済がこれ以上悪化しなければ、来年の小麦生産は、今年の小麦を販売した収益で継続できるとのことでした。

紛争が始まってから、村を離れたり、若者が徴兵で村からいなくなったり、大変な状況の中で人びとは生活をしています。そしてそんな大変な状況でも、村の中でそれぞれが助け合って生きてきました。パルシックの活動でもその経緯を尊重し、収穫した小麦は、まずは各自の食糧事情に合わせて残し、次に、必要であれば近所に分けることを優先、残った分を販売してはと伝えています。

ホムス県では、紛争による被害を受けた家の修復が終わっていない家もまだ多くあるので、各自の小麦から得る収益は、農業の継続だけでなく、家の修復や、子どもの学費等に使用されたりもしています。今回の活動を通して、紛争時や食糧状況が困難な時に、各村や地域がどのように協力しあって対応しているのかを垣間見ることができました。今後も地域ごとの伝統や人びとの関係性を学び、それを損なうことなく、大事に守りながら活動を継続していきたいと思っています。

小麦収穫の様子

小麦収穫の様子

小麦収穫の様子

収穫祭前に小麦を洗っている様子

収穫後小麦を3度洗い、殻を取り除いて乾燥させます

収穫祭。200Lの大釜で小麦を煮ている様子

2011年に紛争が始まってからずっと行われていなかったため、一大イベントです

小麦を煮た後、屋上に運ぶ

屋上で干している様子

屋上で5日間干し、その後工場でさらに細かくしてブルゴルになります

村で現在も利用している石臼と小麦を細かく砕く石

 

煮た後の小麦をチョコと一緒に(Silaka)。

収穫祭後の食事の様子

紛争の被害を受け、まだ修復されていない村の家

紛争の被害を受け、まだ修復されていない村の家

関連プロジェクト