PARCIC

トルコにおけるシリア難民支援事業

“シリア難民”としてのトルコ

トルコ事務所のシリア人スタッフであるムナが、故郷シリアの生活や、約3年間にわたるトルコでの生活を綴ってくれました。

私の家であり、心であり、愛する母であるシリアについてちゃんと伝えようとすると、どのような言葉も見つからない気がします。その国はすべてのシリア人を、すべての子ども達を暖かく安全に抱きしめてくれていました。

まずお話しできるのは、シリアが平和だった頃のシンプルで美しい生活です。子どもの頃は毎朝、友だちみんなとふざけて話して遊びながら登校していました。学校から帰ってくると、まず勉強をしたり宿題を終わらせてから、昼食をとっていました。その後は、冬であれば家のなかで過ごしたり、近所の人を訪ねたり、夏であれば家の前の通りに近所の人たちと座って紅茶を飲んだり、夜中まで一緒に素敵な時間を過ごしていました。

なにより素晴らしく幸せな時間は、近所の人たちや親戚が婚約や結婚をした時で、誰もがきれいなドレスを着てダンスをして楽しみました。私はシリアのアル・ハサカに住んでいましたが、この街の伝統として結婚式前の3日間はみなで踊り続けます。4日目の結婚式当日では、親戚や近所の人びと全員がホールに集まります。冬であれば午後1時頃から、夏であれば午後5時頃から結婚式が始まります。また、家族はパンを作ったりラム肉の料理を用意したりして、親戚や訪問者に振る舞います。

このほか特に夏には親戚や友だちと、食べ物やおやつを持って農場へピクニックをしに行ったり、家族とラタキアやタルトゥスなどの街へ出かけたりして、楽しい時間を過ごしました。

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円になってみんなで踊るシリアの結婚式*2

残念ながら、戦争が始まるとシリアのすべてが最悪の状態へ変わってしまいました。人びとは決して安心して過ごせなくなりました。職場も学校も、大学も閉まり、食べ物や家賃、水道代、光熱費などすべての価格が上昇しました。最悪の状況から逃れるため、またこれ以上のリスクを避けるため、次第に多くの家族、特に30歳未満の男性がいる家庭はイラク(クルド地区)やヨルダン、トルコ、レバノンといった他国へ移住するようになりました。

シリア北部のアル・ハサカに住んでいた私の家族が、トルコに渡った時のことをお話しします。なによりまず、シリア国内でも、ある場所から他の場所へ移動したければ、たくさんの検問所を通過しなければなりません。しかも、その検問所を管理するグループは1つ1つ異なるのです。例えば、最初にYPK(クルド人により構成された対ISの人民保護部隊)、2番目がIS(イスラミック・ステート)、その次にアル・アサド勢力の検問所で、それぞれを通過することはとても危険で高いリスクがあります。また、シリアからトルコに越境するためのバスに乗る時には、高額な料金を支払わなければなりませんでした。私たちは午前4時にシリアの自宅を出て、昼の12時にトルコとの国境(タル・アビード)に到着しました。そこはとても混雑していて、何千人というシリア人の人びとが集まっていました。

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トルコへの越境を待つシリア人の人びと*3

国境に到着してからも国境が開くまで丸一日間、同じ場所で待機しなければなりませんでした。それは夏の非常に暑い時期で、とてもつらかったです。周りに水道や配給される水もなく、高いお金を払ってペットボトルの水を買いました。家族で1日間待った後の夜、トルコ政府はやっと国境を開け、私たちが入国することを許可しました。良かった点は、私たちが文句を言わずただ待ち続けたため、トルコ側もシリア側も私たちを悪くは扱わなかったことです。なにも問題はなく、ただただ炎天下を耐えることが大変でした。

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トルコの国境前で待機するシリア人の家族*4

国境を越えてしまえば、当時トルコ国内のどこへでも行くことはできましたが[注1]、知り合いや親戚がトルコ国内にいればとても助かります。私の家族の場合は、まずはすぐに叔父の家へ行き1泊し、その後1ヶ月間は家を借りました。家賃はとても高額でしたが、当時そのほかの選択肢を見つけることができませんでした。引っ越しをして仕事を探し始めましたが、トルコでの職探しはとても困難でした。生活状況はよくなく、トルコでの生活のなにもかもが困難で危険でした。

特に職探しをしているシリア人女性にとって、本当に嫌な思いをすることがあります。例えば、男性のトルコ人オーナーに商店や工場、ヘルスセンターでの働き口をもらっても、シリア人女性は仕事の代わりに性的なハラスメントを受けることがあります。トルコに来て間もない頃、私自身にも、とても嫌なことが起こりました。私はある工場で1週間働いていましたが、仕事を始めた当初から、トルコ人の上司が私のことを性的な目線で見ていることに気づいていました。ある日彼は私を自分の部屋に呼び、話し始めました。すると突然ドアを閉め、私の身体に触れようとしました。私は彼を押し返し、「今すぐドアを開けないなら、叫んで同僚を呼んで、あなたが私になにをしているか、みんなに見せます」と言いました。彼はドアを開け、私はカバンを抱えてその場を去りました。

このほか、例えばシリア人の女性が道を歩いていると、トルコ人の人たちはヒジャブ(ムスリムの女性が頭を覆う布)でそれがシリア人だとわかります。シリアのヒジャブの巻き方は、トルコの巻き方と異なるのです。シリア人の女性に対し、路上でもトルコ人の男性は声をかけ、車でどこかへ連れて行こうとし、またトルコ人の女性は、とても失礼な言葉をかけてきたりします。なぜなら、シリア人の女性のなかにはトルコ人男性と結婚する人もいるので、シリア人女性を「トルコから男性を奪う泥棒」だと考える人がいるのです。

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シリアでのヒジャブの巻き方 *5

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トルコでのヒジャブの巻き方(未婚の場合) *6

“難民”として生活するシリア人はどこにおいても、とても困難な状況で暮らしています。私は心の底から平和を望み、すぐにでも戦争が終わってあの温かな私たちの家、シリアに帰ることを願っています。

(シャンルウルファ事務所 ムナ)

[注1] 2016年現在、シリア難民としてトルコ国内に滞在しているシリア人の人びとは、各県庁からの許可なく自由にトルコ国内を移動することができない。シリア国境付近隣県(シャンルウルファ、ガジアンテップ、ハタイ、キリスなど)以外の遠方へ移動する際は、許可証がないと違法とみなされる。ただし、ムナがシリアからトルコへ越境した2013年8月時点では、この許可証のシステムは設置されておらず、シリア人も自由にトルコ国内を移動できた。

※この事業は、サポート・トゥ・ライフ(Support to Life)の協力のもと、ジャパンプラットフォームの助成により実施しています。

写真出典

*1: http://www.esyria.sy/ehasakeh/index.php?p=stories&category=transportations&filename=201408220147304

*2: http://www.esyria.sy/ehasakeh/index.php?p=stories&category=community&filename=201103210945021

*3: https://www.al-jazirahonline.com/news/2015/20150615/53137

*4: https://alkhaleejonline.net/articles/1434634572852342900/%D9%88%D8%AD%D8%AF%D8%A7%D8%AA-%D8%AD%D9%85%D8%A7%D9%8A%D8%A9-%D8%A7%D9%84%D8%B4%D8%B9%D8%A8-%D8%A7%D9%84%D9%83%D8%B1%D8%AF%D9%8A%D8%A9-%D8%AA%D9%85%D9%86%D8%B9-%D9%86%D8%A7%D8%B2%D8%AD%D9%8A%D9%86-%D8%B3%D9%88%D8%B1%D9%8A%D9%8A%D9%86-%D9%85%D9%86-%D8%A7%D9%84%D8%B9%D9%88%D8%AF%D8%A9/

*5: https://tvdrama010.blogspot.com.tr/2015/07/blog-post.html

*6: http://forum.khleeg.com/250314.html