PARCIC

トルコにおけるシリア難民支援事業

シリアってどんなところ? −シリア人が抱える国への想い−

 

「シリアはとても美しいところです」 「シリアに帰りたいとは思いません」
シリアから着の身着のままトルコへ逃れてきた人びとに、自分たちの国について聞いてみました。

ビドゥールさん(22歳)

ラッカのアハワス村で暮らしていました。トルコに来て4年になり、同じ村でずっと生活しています。シリアでは農地を持っていたので、そこで農家を営んでいました。トルコでも農作業をしていますが、常に仕事があるわけではなく、綿花の収穫など特定の時期にしか仕事がありません。

親戚はまだシリアに残っています。 シリアにあった私たちの家はとても美しく、家の周りにはたくさんのオリーブの木がありました。よくラッカの市街地に行き、フラットダムにも遊びに行きました。アル・フラット・ダム[1]は公園のようになっていて、ピクニックをしたり泳いだり、釣りをして楽しみました。家族が楽しく生活できるための充分な収入がありましたし、シリアでの暮らしはここよりずっとよかったです。ここにいると、トルコ社会から屈辱を受けているように感じ、まったく気分のいいものではありません。私の子どもがトルコ人の家の前を通ると「ものを乞いに来た」と言われ、私たち女性に対しては「シリアからトルコ人の夫を奪いにきた」と言われます。

ビドゥールさんの息子

ビドゥールさんの息子

リハムさん(9歳)

4人の姉妹と4人の兄弟と一緒に暮らしています。ラッカのヒシャ村から来ました。トルコに来て1年になります。シリアでは小学校に通っていて、1年生のクラスで勉強していました。今住んでいる場所にはシリア人の子どものための学校がないので、勉強できるところがありません。

シリアでは戦争をしていて危険すぎるので、帰ることはできません。今はトルコで生活して、この村で姉や妹と遊んでいるほうが安心です。

リハムさんの父親

シリアでは大きな農場を所有しており、そこで働いていました。しかし現在は、私たちの家や農場がある村はイスラム国(ISIL)が占領していて、すべてをコントロールしています。しかも、村全体に地雷が埋め込まれており、危険すぎて、あそこで生活することなんてできません。

リハムさんと妹

リハムさんと妹

ファティマさん(30歳・女性)

35歳の夫と1歳半になる息子と一緒に暮らしています。1年と2ヶ月前にトルコに避難してきて、避難当初からこの村で暮らしています。夫は日雇い労働者として働いていますが、1週間に2、3日ほどしか仕事はありません。シリアでは農家をしていましたが、ここでの暮らしよりずっと幸せでした。

シリアではラッカのヒシャ村で暮らしていました。家族で親戚や知人の結婚式に参加したり、ピクニックをしていた頃が懐かしいです。ヒシャ村はすべてが美しいところで、毎週末には特別な料理、例えばセアイール(ラッカの伝統的な家庭のお菓子で、小麦粉で作ったパンにナッツやシナモン、セミナ・アラビーヤ(乳製品から作ったバター状のもの)、砂糖を加えて焼き上げる)やアイーシュ・イルラバン(ラッカの伝統的な家庭料理で、ヨーグルトにトウモロコシや肉を加えて煮詰めスープ状にする)を作ったり、服を買ったりしにラッカの市街地まで行っていました。

シリアでは家族や親戚、友人に囲まれて生活し、トルコでの生活よりずっとよかったのですが、家が爆破され、仕方なくここで生活しています。

ファティマさんがトルコで暮らす家

ファティマさんがトルコで暮らす家

アリくん(13歳)

ラッカのアリ・バジリア村に住んでいましたが、1年前にトルコに来ました。トルコに来てから初めはカイサラ市に住んでいて、それからハラン市に来ました。ハラン市に来てからも1度住む場所を変えたので、この1年でもう2回移住しています。

シリアでは小学校に通っていて6年生でした。弟のフサイン(12歳)は4年生のクラスで勉強していました。僕たち2人とも、とにかく学校に行って勉強したいのですが、このハラン市にはシリア人のための学校がありません。

僕は正直、シリアが大嫌いになってきています。暮らすにはとっても危険なところだからです。トルコでは少なくとも安全に生活することができるし、家の周りのどこへでも行けるし、遊ぶことができます。

アリくんと弟のフサインくん

アリくんと弟のフサインくん

アヌードさん(29歳)

夫と3人の息子、4人の娘と暮らしています。このうち3人の子ども達は学齢期にあたるのですが、ここではどうシリア人の子ども達に教育を受けさせていいのか分からず、手段もなく勉強させてあげることができません。

トルコに来て3年になり、ずっと同じ村で生活しています。シリアの家はラッカのスローク村にあり、農業を営んでいました。ここでも農業をして収入を得ていますが、綿花の収穫期しか仕事がありません。シリアでの生活はとてもよく、ここよりずっと快適でした。毎日食べるパンも、シリアのほうがずっと安かったです。シリアでは移動も自由で[2]、友人や親戚を訪ねて色々な村へ行っていました。

アヌードさんの子ども達

アヌードさんの子ども達

オサマくん(10歳)

トルコには5ヶ月前、この村には2ヶ月前に来ました。シリアのハサカで暮らしていました。ハサカにいた時は小学校に通っていて2年生でした。トルコではどうやったら学校に入れるのか分からないし、まだトルコに来てから、勉強はずっとしていません。

戦争の前は、シリアはとってもきれいなところだったと思います。でも今はハサカが嫌いだし、帰りたいとも思いません。シリアではそこらじゅうで爆弾が落とされているし、全く安全ではないからです。今はトルコが好きだし、ここに住んでいたいです。トルコ人の友だちと遊ぶのも楽しいです。

オサマくんや友だちが遊ぶ丘

オサマくんや友だちが遊ぶ丘

話を聞いた人びとの出身地 ハサカ、ラッカの場所

話を聞いた人びとの出身地:ハサカ、ラッカ

 

[1]アル・フラット・ダム
ラッカの西部に位置するシリア最大のダムで、1960年代に建設された。ダムが位置するのは当時「Tabqa」と呼ばれていた街で、現在では「Thawra」と改名し、これはアラビア語で「革命」という意味がある。ラッカ、ハサカ、アレッポ、ディール・エル・ズールなどシリアの大部分の電気供給に使用されていたほか、シリア国民が休日を楽しむ場所でもあった。 このダムも、2013年にはシリア解放軍により制圧。

[2]シリア難民のトルコ国内の移動
シリア難民としてトルコ国内に滞在しているシリア人の人びとは、県庁からの許可証無しに、自由にトルコ国内を移動することができない。 それがないと、チェックポイントで違法とみなされ逮捕される場合もある。 許可証はシリア難民に対してのみ求められるもので、シリア国境付近隣県(シャンルウルファ、ガジアンテップ、ハタイ、キリスなど)間の移動は可能だが、遠方への移動は許可証が必要となる。また、移動に必要な交通費を支払えるほどの余裕がない世帯も多いのが現状。

 

(シャンルウルファ事務所 高田)

※この事業は、サポート・トゥ・ライフ(Support to Life)との協力のもと、ジャパンプラットフォームの助成により実施しています。
https://www.japanplatform.org/programs/syria-iraq-conflict2015/