PARCIC

トルコにおけるシリア難民支援事業

学校に行かれない、仕事がない − シリア人のトルコ生活

「配ってもらった電子バウチャーを使って、お父さんとお母さんがお菓子を買ってくれたの!」

満面の笑みでスタッフに話してくれたのは、9歳のシリア人の少女、ファーティマ。大切そうにチョコレートやビスケットを握りしめます。平日の午前、“ふつう”なら、ファーティマは小学校3年生のクラスで算数の授業を受けている時間かもしれません。しかしトルコ南部のシャンルウルファ県ハラン市に難民として逃れてきた今のファーティマは、家の周辺で4歳の妹シャハドや3歳の弟ハスーンの世話をしながら、毎日を過ごしています。

きょうだいの世話をしながら過ごすファーティマ

きょうだいの世話をしながら過ごすファーティマ

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4歳の妹シャハドや3歳の弟ハスーン

「ハラン市にある、そこらじゅうの学校に頼みに行ったのです。すべて無駄でした。」

3人の学齢期の子どもを抱える母親サロワは、無念そうに語ります。ハラン市内には公立のシリア人学校がなく、公立のトルコ人学校の授業はすべてトルコ語でおこなわれ、アラビア語が母国語であるシリア人の子ども達に対応することができません。ほとんどのトルコの公立学校では、シリア人の子ども達の受入れをおこなっていません。親達がどんなに頼み込んでも、ハラン市内の公立学校はシリア人の子ども達を入学・転入させることを拒否し続けています。サロワの家族は8人家族ですが、いまは家族全員が1日をほぼ家の周辺で過ごしています。夫のモハメドは胃に疾患があり働くことができません。サロワは綿の収穫期に農家で日雇いの仕事をしていましたが、収穫期が終わってしまってからは、仕事をみつけられていません。現在は近所に住むトルコ人の家庭からサポート を受けながら、生活をしています。

サロワの子ども達

シリアのアレッポから2年前にトルコへ逃れてきたアハマドは14人家族。家族のなかで彼だけが仕事をしていますが、定職についているわけではありません。見つけられた日雇いの仕事をなんでも引き受けながら、家族を支えるためになんとか収入を得ています。トルコではシリア危機勃発後、難民として逃れてきたシリア人に対して労働許可証を発行していません。ハラン市内で仕事をしているシリア人の多くはトルコ人オーナーのもと、低賃金・長時間の労働を強いられています。 家族14人はたった2部屋を住まいとして暮らしていますが、狭い2部屋を清潔に保つことは難しく、衛生的にも決して快適な住まいとはいえません。学齢期の子ども達5人全員も、トルコに逃れてきてから学校に行ったことがありません。

家族14人が2部屋で暮らす部屋の1部屋

家族14人が2部屋で暮らす部屋の1部屋

「学校にも行かれない。仕事にも就けない。それでも、生きるためには、ここにいるしか選択肢がない。」 ハラン市に滞在するほとんどの家族は、今日も強い思いを抱えながら1日を過ごしています。

家の周辺で遊ぶ子ども達

家の周辺で遊ぶ子ども達

(シャンルウルファ事務所 高田)

※この事業は、サポート・トゥ・ライフ(Support to Life)との協力のもと、ジャパンプラットフォームの助成により実施しています。
https://www.japanplatform.org/programs/syria-iraq-conflict2015/