「戦争が終わってぼくらは生まれた 戦争を知らずにぼくらは育った・・・」小学生のわたしは口ずさみ、同級生たちと声高らかに唄った。これは平和の歌なんだと思いながら。小学生のわたしにとって「戦争」は祖母が話す昔話で、父や母が話す子どもの時の思い出話に過ぎなかった。わたしがいる世界のどこにも「戦争」はなく、世界は平和だと信じていた。戦争は終わったのだと。しかし、わたしがこの歌を口ずさんでいるその時にも、世界のどこかで「戦争」はあり、人々は命を失い、故郷を追われていた。そして、「戦争」は今も続いている。
昨秋、友人から「この映画観たいんだけど、行けないから代わりに行って」というメールが届いた。メールには『ソフラ ~夢をキッチンカーにのせて』『UNHCR 難民映画祭2018』と題された予告編が添付してあった。予告編が始まると「LEBANON」という文字が読めた。そして、ヒジャブを纏った女性たちが色鮮やかな野菜を次から次へとおいしそうな料理に変えていく。女性たちの活気に満ちた笑顔が印象に残った。見たことも食べたこともない料理は、たまらなくおいしそうで美しい。わたしは映画の予約をしようと『UNHCR 難民映画祭2018』のホームページへアクセスした。「観る、という支援。」と書いてあった。
その日、会場へ向かう足取りは少し重かった。予告編のおいしそうな料理と女性たちの笑顔に魅せられてチケットを予約したが、『難民』をテーマにした映画を観るのである。「中東」「難民」「戦争」「内戦」、ニュースで見聞きするだけで、耳を塞いでしまえば、目を閉じてしまえば痛さも辛さも感じずに日々を送ることができる。わたしは不安を抱いたまま席に着いた。
『SOUFRA』は、LEBANONの難民キャンプで生まれ育ったパレスチナ難民のマリアムさんを中心に、パレスチナ、シリア、イラク難民の女性たちが、子どもの未来の為、暮らしをよくする為、今を生きていく為に、自分たちの得意とする料理でケータリング事業を行う姿を描いたドキュメンタリー映画である。映画では、キッチンカーを取得し、移動販売を開始するまでの日々が描かれている。クラウドファンディングを成功させ、意気揚々とキッチンカーの購入に向かう。そのシーンでわたしは初めて『難民』の意味を少し知ることとなった。LEBANONの難民キャンプで生まれ育ったマリアムさんには、国籍がない。「国籍がないってどういうこと?」理解出来なかった。それがどういうことなのか、想像すらできない。当たり前のように、何も考えることなく日本国籍を有しているわたしには実感が持てなかった。
観終えた時、わたしは『SOUFRA』の上映会をやりたいと思っていた。不安を抱いたことなど忘れていた。一人でも多くの人に彼女たちの作り出すSOUFRA(=ご馳走)と笑顔を観て欲しいと思った。そう思うとSOUFRAの皆さんに会いたい、会わなくてはと思い、昨年末ベイルートへ向かった。会えるかどうかもわからずに。
不思議なことは起こるもので、人が人を繋いでくれ、ホテルに迎えの車がやって来て、なんと、わたしは無事に彼女たちに会うことが出来たのである。
SOUFRAのあるキャンプは蜘蛛の巣のように電線が頭上に張り巡らされ、迷路のような道が続いていた。映画と同じ風景だった。そして、映画と同じ笑顔で彼女たちは迎えてくれた。わたしは映画の中に入り込んでしまったようだった。 ふと思った。彼女たちの笑顔と作り出す料理は、わたしに現実を見る。知る。勇気を与えてくれたのかもしれない。(相原木ノ実)
(パレスチナの平和を考える会 発行 ミフターフVol.51より転載)