PARCIC

ガザの人びとの声

サハルの冒険1 旅の準備は何から?<前編>

2018年、日本のパスポートが、パスポートランキングなるもので「世界最強」を勝ち取った。もちろん防弾仕様とか耐熱加工、はたまた鉄板などが埋め込まれていて物理的に強く、防犯対策もバッチリ、などというSFチックな(?)話ではなく、ビザなしで渡航できる国の数が199か国中、シンガポールと同率最多の180か国となったのだ。

なんと!めでたい。

日本人としては素直にありがたい話だ。パスポート片手にうきうきと脳内で行く予定もない旅行計画が立ち上がり始める。

そこで、ふと気になって「ところで、パレスチナは……」と見てみると、ずずい、とリストを一気にさがって「39か国ビザなしOK」でエチオピア、南スーダンと同率の世界ランキング96位だ。ちなみに、パルシックの海外事務所のあるトルコは49位(111か国)、東ティモール57位(85か国)、スリランカ94位(42か国)、レバノン97位(38か国)。最下位は103位シリア(28か国)、104位イラク(27か国)、105位アフガニスタン(24か国)と軒並み中央・西アジア諸国が並ぶ。一概に判断はできないが、下位の国になればなるほど、「海外への旅」は容易ではなくなる。その苦労を思えば、ふわふわの脳内旅行計画は一気にしぼんだ。

8月、パレスチナ事務所ガザオフィス代表、一番の古株スタッフでもあるサハルを日本に招聘する話が持ち上がった。ガザ地区において外務省のNGO連携無償資金の助成を受けて実施中の「ガザ南部における酪農を通した女性グループの生計支援」事業の打ち合わせや報告、調査などを行うためだ。パレスチナを含む西アジア地域から現地の方を招聘することは、パルシックでは初めて行う試み。ヨルダン川西岸地区ナブルス県で行う「地域循環型社会の促進」事業に従事する農業専門家・サーデクもサハルに少し先行するスケジュールで、日本で技術研修を受けることが決まり、2人の日本渡航の準備が急ピッチで始まった。

ヨルダンパスポートを持つパレスチナ人は多い

ヨルダンパスポートを持つパレスチナ人は多い

とはいえ、何事も一筋縄ではいかないのがパレスチナ。日本のように「思い立ったら週末にパスポートを持ってひらりと空港」、なんてわけにはいかない。旅行計画は綿密に。さて、では、何から準備しよう?
素敵なデザインのスーツケースを新調……ではなく、日本人でなければまずは「ビザ」だ。
繰り返すがパレスチナは世界パスポートランキング96位、日本への渡航には当然ビザが要る。が、ここですでに問題発生。

「どうやってビザをとろう?」

日本はパレスチナを国家承認していない。それがどうしたと言いたいところだが、これがなかなかの難問だ。日本は、在イスラエル日本大使館を地中海に面した都市テルアビブ、在パレスチナ日本代表事務所をパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の中心的都市ラマッラーに置いている。日本代表事務所、とは聞きなれない響き。簡単に言うと、国家承認をしていないからパレスチナに大使館は置けないが、その代わり日本政府が外交を行う拠点として代表事務所を置いている。大使館に似た機能を持つ日本政府の事務所といったところだ。

ところが、である。パレスチナ人の日本ビザ取得について大使館に問い合わせたところ、ラマッラーの代表事務所ではビザの発行を含む領事業務は行っていないとのこと。つまり、申請人がパレスチナ人であっても、ビザを取るにはイスラエル国内のテルアビブまで出向かなければならないのだ。ラマッラーからテルアビブまでは公共交通機関を乗り継いで4時間程度。遠いが行けない距離でもない。

「じゃあ、今週末、ちょっくらテルアビブ行ってくるから!」

そうは問屋が卸さない。パレスチナ人がイスラエル領内に行こうとすれば、高い高い壁が立ちはだかることになる。これは比喩ではない。

 

パレスチナ自治区と呼ばれる地域は、現在イスラエルの軍事占領下にある。

ガザ地区は、2007年からイスラエルによる軍事封鎖下におかれ、人とモノの移動は厳しく制限・コントロールされている。人の出入りができるのはイスラエルの管理するエレツ検問所とエジプトの管理するラファ検問所の2か所、物の出入りができるのはケレム・シャローム検問所の1か所のみ。そして、ラファ検問所は常時は閉鎖されていて不定期にしか開かない。エレツ検問所は外国人であれ、住民であれ、一般人の出入りはほとんど不可能だ。

他方、ヨルダン川西岸地区はと言えば、西岸地区とイスラエルの間に分離壁が築かれ[1]、両地域の自由な行き来を阻んでいる。移動するには要所要所に設置された軍事検問所を通り、イスラエル当局から発行された「ビザ」(外国人)や「入域許可証」(パレスチナ住民)を見せなければならない。そして「許可証」を持たない西岸地区のパレスチナ人は、イスラエル領内およびエルサレムへ行くことはできないのだ。日本大使館も、そこはパレスチナの特殊な事情を考慮し、代理人による査証申請を認めている。

エルサレムの分離壁

エルサレムの分離壁

ならば今こそ「最強のパスポート」をもつ日本人の出番!

――とは、ならなかった。諸事情あって、現在駐在員のもつビザには滞在可能な地域に制限がかかっている。「最強」もここでは例外。誰が大使館に行くか、それが問題だ。

・・・後編へ続く

ベツレヘムの分離壁。トランプ大統領の顔に×が

ベツレヘムの分離壁。トランプ大統領の顔に×が

[1] 高いところで8m、ベルリンの壁の約4倍の長さがある。より正確には、分離壁のほとんどは1967年停戦ラインよりヨルダン川西岸内部へ食い込む形で建てられている。国際司法裁判所では、2004年、分離壁の建設を国際法違反との判決を出している。

(パレスチナ事務所 盛田)