PARCIC

ガザ地区女性世帯への生計支援

ガザ 停戦から1か月

5月の戦争停戦から約1か月、ガザは少しずつ元の生活に戻りつつあります。家族や友人を亡くした人や、家が被害にあった人たちは、今も辛い日々を過ごしていますが、通りから聞こえてくる「アル・ハムドゥリラ(神さまに感謝します;「おかげさまで」のように挨拶で使われている言葉)」と言う人びとの明るい声が、私の頭の中に響いてきます。 家族や友人たちが元気でいるというのは幸せなことです。もうあの過酷な日々には戻りたくありません。

最近、パルシックが支援している女性たちに会い、空襲中どんな風に過ごしていたか、どんな被害を受け、どれだけ怖かったかなどを語り合いました。女性たちとおしゃべりをしていると、戦争前、というより新型コロナウィルス発生前の日々を思い出しました。

彼女たちの話をご紹介します。

ラファ県アルショカ村  アイシャさん

人生でこれほど怖い思いをしたことはありません。2014年、イスラエル軍に家を取り壊されたときでさえ、これほど怖がっていなかったと思います。戦争が始まってから3日後、私は子供たちの何人かをラファ市の叔父の家に送り出しました。爆撃が開始されたため、私もその家に行き、2日間泊まらせてもらったのですが、1つの家に40人もいたのです…カオス状態でした!その後、私は子どもを連れてUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校に行き、最後の5日間はそこで過ごしました。

※パレスチナにはUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が運営する学校があり、イスラエルとの戦闘中は避難所として開放された。今回の攻撃で、48,000人以上がガザ内部で避難民となった。

避難先の学校で寝泊まりするのは簡単ではありませんでした。文化的に男女が同じ場所に集まることは許されないので、男性は廊下で、女性は子供たちと教室で寝ました。トイレには列ができていました。学校にプライバシーはありませんでした。

2014年の戦争の時にひどい経験をした17歳の息子は、軍事衝突が始まった日、自分の顔を平手打ちし始め、「また戦争だ…また戦争だ…」と繰り返しながら、祖父母の家に急いで向かいました。息子は停戦まで、祖父母の家にいました。受験生の娘は、軍事衝突の日から数日後、勉強に専念できるように私の姉の家に行きました。自宅では怖がって、勉強どころではありませんでした。

空襲中は、飼っている羊の世話も十分にできませんでした。学校に避難してからは、夫が毎日1時間かけて自宅の羊小屋に通い、餌やりをしてくれました。

5月20日、木曜日の夕方に停戦が発表され、翌金曜日の夜明けから合意が発効しました。すぐにタクシーを呼んで、午前2時に学校から家に帰りました。家に帰る途中も、本当に安全なのかが分からず、ずっと祈っていました。前回の戦争の時のように、停戦合意が破られてしまうのではないかと恐れていました。

ラファ県アルショカ村 エクラムさん

2014年の戦争の時、休戦が発表された後、私は家に帰っていました。羊小屋の被害などを確認していたら、突然、叔父やいとこから電話があったのです。彼らは私に、(停戦が破られたため)すぐに家を出るようにと言いました。それで、娘と妹と一緒に自宅からユーセフ・アル・ナジャール病院まで歩いて行ったのですが、通りには砲弾や弾丸が落ちていました。そして、多くの遺体も見ました。人が亡くなっていくのを見るのは恐ろしくて、私たちは彼らのために何もできず、ただ必死で逃げました。 その日以来、娘はふさぎこむようになりました。

最近の軍事衝突で、こういった過去のことが彼女の心に戻ってきてしまいました。再び不眠症になり、食欲もなくなりました。数日間ほとんど食事をせず、顔色も悪くなり、爪を噛み始め、数晩眠ることができませんでした。私は娘を自宅より安全な祖父母の家に行かせました。

23歳の息子は、「家を出たくない、家を出るくらいならここで死ぬ」と言ったので、私は夫や息子、もう1人の娘と一緒に家にいましたが、イスラエル軍が地上侵攻する可能性があるとニュースで聞き、義理の父の住むハン・ユニス市に行きました。たった2つの部屋に18人もいました。場所は狭いですが、受験生の子供がいなかったのはラッキーでした!子供たちの間のいざこざを解決するのは大変でしたが…。親戚の子どもたちは皆、退屈していて、何もすることもなく、居候している私たちに対して「早く自分の家に帰ってほしい」 といつも不平を言っていました。

一番辛かったのは、皆が小さなスペースに押し込まれたことです。私たちの文化では、男の子と女の子を同じ部屋に寝かせるということは普通ないことですから…。

羊の世話についても、干し草がなくなってしまい困りました。外に買いに行くのは危険でしたが、兄がお金を借りて、トゥクトゥクで干し草を買ってきてくれたので、世話を続けることができました。

現在は羊の世話や女性組合の活動に邁進しています(左から3番目がエクラムさん)

エクラムさん

(ガザ事務所 タグリード)

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