2014年9月イスラエルのガザに対する攻撃が停止してから、約9ヶ月が経ちました。しかし、この攻撃で被災した家屋を再建するための建築資材は、イスラエルによってガザへの搬入を規制され、このままでは復興までに100年かかるとも言われています。
今回の攻撃によって多くの医療施設も被災しました。負傷者が増加し、医薬品や医療機器が不足して緊急性が高まっていた中、パルシックは停戦後からガザ地区で医薬品と医療器具を配布する緊急支援を実施しました。パルシックが支援した病院の1つ、アウーダ病院にはガザ北部で唯一、産婦人科が入っています。この病院で出産を終えたばかりのサマヘールさんは、以前、十分な医薬品がないため流産してしまった辛い経験を持っていますが「今回は十分な医薬 品が病院にストックされていたことで、安心してお産に望めた」とほっとした表情で話してくれました。
他方、ガザでは食糧難も深刻化していました。人びとは攻撃以前から国連等から食糧配給を受けていましたが、米や小麦、砂糖といった調味料のみで、野菜等の生鮮食品は手に入りにくい状況でした。攻撃後、生鮮食品の値段が高騰したことで貧困世帯にとってはますます手が届かなくなり、健康への影響が心配されていました。パルシックはそうした状況にあるガザ地区中部デルアルバラ地域の貧困家庭、933世帯を対象に、野菜や鶏を含む食糧バスケットを配布しました。
今年3月からは新しいプロジェクトがスタートしました。前回の活動から、貧困層の食糧不足がいまだ深刻であると同時に、ガザ地区の小規模農家も被災して農作物の生産に行き詰っていることが分かってきました。1世帯当たりの平均月収は攻撃前の約200から現在は半分まで落ち込み、攻撃による平均被害総額は10,000ドルに上ります。ガザ地区の食糧生産のために、これらの農家の生業再開は不可欠です。パルシックは被災した小規模農家100世帯に対し、農機具や種・苗を提供し、彼らの生計を支えるとともに、その生産物の一部を買い取って貧困世帯に新鮮な野菜を配布する予定です。
また、社会的脆弱性の高い人びとも支援しています。
ハムダさんは2012年の攻撃で夫を亡くし、2人の子どもと義母を養うため、小さな家禽を育てて収入を得ていました。2年かけて少しずつ収入を増やしてきましたが、昨年夏の攻撃で家畜のほとんどが全滅し、停戦後も政府などから支援はなく困窮していました。ハムダさんのような寡婦世帯はガザの1割を占めるといわれます。パルシックの聞取りでも、多くの寡婦世帯で攻撃以降の月収が4分の1以下になり、破壊された家や家族の医療費、子どもの学費などが家計を圧迫していました。今回、特に貧しい21の寡婦世帯を対象に、食用・販売用の鳩とウサギを配布し、家庭の栄養状況の改善と生計向上を支援しています。鳩とウサギを受け取ったハムダさんは「今回の支援のおかげでたくさん収入が得られるようになると思います」と期待をにじませます。
ガザ中部の2か所の施設では、戦争で心に深い傷を負った子どもたちに対する心のケアを開始しています。2008年より既に三度の戦争を経験している子どもたちは、大きな音が爆撃に似ていることから恐怖心を持っていたり、暗闇や1人になることが怖かったりと、トラウマを抱えています。ガザの未来を担う子どもたちが明るい笑顔を取り戻せるよう、デルアルバラ地区の子ども300人を対象に心理劇やアート療法を通したケアを継続しています。
活動内容 | 支援対象者数 |
---|---|
医薬品/医療機器配布 |
患者約7,000人 |
食料配布 |
貧困世帯933世帯(5,984人) |
毛布配布 |
仮設住宅に住む520世帯(1,060枚) |
ガザ・釜石凧揚げ交流会参加 |
子ども200名 |
農機具/種・苗配布 |
小規模農家100世帯 |
食用うさぎ・鳩配布 |
女性世帯21世帯 |
子どもケア |
子ども300名 |
※この事業はジャパン・プラットフォームの助成および皆さまからのご支援によって実施しています。