PARCIC

ガザ人道支援

戦争を知る子どもたち② ― アブダッラーのケース

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9歳になるアブダッラー・ワーヘド・アブサモール(Abdallah Wahed Abu Samor)は、1歳の時に髄膜炎を患って以来、ほとんど耳が聞こえません。そのため、話すことも難しく、なかなか友達もできませんでした 。またアブダッラーには6歳、10歳、16歳、17歳の4人姉妹がいますが、年が近い兄弟がおらず、家で手話ができるのが母親だけでした。そんなアブダッラーにとって、隣に住む8歳のいとこアフマドは、自分のことをよく理解してくれる数少ない大親友であり、また心の支えでもありました。二人はいつも一緒に遊んでいました。

2014年7月、ガザ攻撃が始まります。

爆発音は難聴のアブダッラーにも聞こえるほどの轟音で、テレビではいつも攻撃の様子が流れていました。アブダッラーはひどく怯え、次第に泣きながらお母さんにアフマドやみんなを連れて逃げようと訴えるようになりました。アブダッラーの家は攻撃の激しかったイスラエル国境にほど近いアッザンナ(Azzana)という地区にあり、家族も頻繁に避難しては戻るという生活を繰り返すようになりました。そうしたなかで、アブダッラーの心に深い傷を残す出来事が起こります。

それは、アブダッラーが家族と共に親戚の家に避難していたときのことでした。無二の親友アフマドが、イスラエルの攻撃により亡くなったのです。

その日、アフマドのお父さんとアフマドは家の前で夜のお祈りを捧げており、家の前ではたまたま通りかかった一人の男性が立ち止まって電話で話していました。ちょうどその時、イスラエルのロケットがこの男性をめがけて落下し着弾、アフマドの目の前で爆発しました。アフマド親子は爆発に巻き込まれ、アフマドは頭を負傷し、すぐさま病院に運ばれました。その知らせはアブダッラーの家族のもとにもすぐに伝えられ、家族は慌てて家に戻ってきました。この時、アブダッラーは家の前に残されたアフマドの血の跡やロケットの破片を目の当たりにします。家族はアブダッラーを連れて、アフマドの入院していた病院にも行きましたが、アフマドは集中治療室に入れられるほど重体でした。さらなる治療のためエジプトに移送されましたが、運ばれて3日後、アフマドはエジプトで亡くなりました。ガザに戻ってきたアフマドの遺体を見て、アブダッラーは懸命に彼を起こそうとしました。

この事件以降、アブダッラーは食が細り、頻繁にアフマドのことを尋ねるようになりました。お母さんはアブダッラーが尋ねるたびに「天国にいるのよ」と繰り返しました。

また、戦争が始まった直後からアブダッラーはおねしょをするようになっていましたが、アフマドが亡くなって以降はそれがほぼ毎日のこととなり、更には悪夢を見るようになりました。それは死や爆発に関連するとても怖い夢で、アブダッラーは「思い出したくない」と言います。アブダッラーのケアを担当する心理療法士は、おねしょを直すために夕方6時以降は水を飲むことを控え、夜はおねしょをする前に起こしてトイレに連れていくなど、習慣を変えるようアドバイスしましたが、お母さんは眠り込んだアブダッラーを起こすのはとても難しいと感じています。アブダッラーはおねしょをすると、こっそり服を替え、濡れたマットレスを隠そうとするなど、おねしょをとても恥ずかしく思っており、お母さんにいつも「誰にも言わないで」と念を押します。そのため、お母さんは心理療法士に相談し、彼らから直接アブダッラーにおねしょについて尋ねないようにしています。

現在も習慣を変える方法は実践しており、2時間おきに彼を起こしてはトイレに連れていきます。その甲斐あってか、現在おねしょは週2回までに減りました。

ただし、まだまだ回復には遠いと感じることもあります。

戦争以降、アブダッラーはとても暴力的になり、姉妹や道端・学校で会った人を叩くようになりました。集中力も落ち、自分の欲求のみを頑固に繰り返すようになり、これらの点に関してはなかなか改善がみられていません。

アブダッラーの場合、治療には別の難しさもあります。難聴を患っているため、言語がとても重要な意味を持つ心理療法では効果が小さくなってしまうのです。例えば、心理療法のセッションでは、療法士が子どもたちに目を閉じるように言い、穏やかな心地よい音楽を聞かせた後で、どんなことを考えたかを話すように促す、というアクティビティがあります。難聴を患う子どもたちの場合、療法士は子どもたちに全てを最初に説明した後で、横になって目を閉じ、療法士が手を触るなどして合図するまで瞑想し、そのあとで何を考えていたのか話してもらいます。よく集中している子どももいますが、中には目を開けたまま他の子が何をしているのかチェックしたり、笑い続けていたり、なかなか集中できない子もいます。

そうはいっても、パルシックの提供している心理ケアプログラムでは絵を描いたり、遊んだり、体を動かす活動もあり、特に絵を描くアクティビティでは、障害を持つ子どもたちはより自分の感情を表現できています。それでも障害を持つ子どもたちの回復は、障害を持たない子どもたちに比べ、小さいのが現状です。

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(ラマッラー事務所 盛田)