過去4ヶ月間にイスラエルの非道な行動がもたらした闇のなかで、「帰還の大行進」はパレスチナの抵抗運動に特別な光を差し込んだ。
「帰還の大行進」は、パレスチナの問題がアラブ諸国やイスラム世界によって、またアメリカや強大な西側諸国によって解決されるものではないという、パレスチナ人自身の気づきと認識の刷新、新たな抵抗の形である。世界が沈黙し、目を逸らし続ける中、エルサレムとバグダードを売った者たちが、今日のダマスカスの代償を払うことはないだろう。こうした教訓からパレスチナ人がたどりついた答えは、ガザの問題もまた同様になおざりにされるだろうというものである。いまも昔も代償を払い続けているのはガザの人びとである。彼らはガザ、ヨルダン川西岸、1948年占領地[イスラエル内部]のすべてのパレスチナ人に向けて、帰還権とガザの封鎖解除を求める市民運動を組織するため、行動を起こすよう呼びかけた。
1万人以上のパレスチナ人が、ナクバ70周年に向け、ガザ地区東部の境界線数キロメートル沿いに集まり、トランプ・アメリカ代表団によってイスラエルの首都と宣言されたエルサレムのために行動を起こした。抵抗の形は集会だけでなく、デモではパレスチナの大きな旗が掲げられ、ダプカ(パレスチナ伝統舞踊)が披露され、殉教者の名前で飾られた風船が揚げられた。ラマッラーとハイファでも大規模デモが行われた[1]。
境界線沿いに設置されたフェンス近くのいくつかの地点から、イスラエル軍がデモ参加者に向けて発射した銃弾や催涙ガス、爆弾によって、3月30日から6月30日の期間に少なくとも135人のパレスチナ人が死亡し、15,501人が負傷した[2]。
ガザの人びとは冷酷な者たちによって殺された。その多くは非武装の子ども、女性、男性、老人、看護師、ジャーナリストであった。殺害された人々の中には、婚約中の人、卒業を待ちわびる人がいた。デモへの平和的な参加を理由に命を奪われた障がいをもつ人がいた。彼らは、尊厳をもって生きるための基本的人権を求めていたために殺害された。私たちの犠牲者は、みな人生、志、そして語られるべき物語を持つひとりの人間であった。
大きな犠牲を払ったこの運動の取り組みはむなしく終わるのではない。「帰還の大行進」は、単に帰還権やアメリカ代表団への抵抗にのみ関わるものではなく、次の世代が土地を維持し守るための良き教訓となり、また父や祖父の世代とおなじく非常に単純な装備であっても催涙ガスに対処できるという良き教訓を伝えている。手作りオニオンマスクを顔につけた少年が示したように [3]。
「帰還の大行進」は過ぎ去った歴史的出来事や、過去の悲しい時間を追悼しているのではない。パレスチナ人の多くは今もなお、ナクバという現実を生きている。開いたままの傷の痛みは癒されていない。
大行進デモの始まった3月から現在、そしてこの先もずっと、占領によってあらゆる障害と障壁があっても、私たちは荒廃と絶望のなか、辛抱強く、希望を求めていく。恐れることはない。なぜなら、私たちは自分たちに権利があることを、土地があることを知っているから。パレスチナを感じ、両親や祖父母が植えたオリーブの木を記憶しているから。私たちは市民による非暴力の抵抗活動と政治的、法的努力によって、自由と権利、尊厳のために奮闘し続ける。この厳しい状況を乗り越えなければならないこと、いや乗り越えるのだと信じている。なぜならここは私たちの生きる場所であり、ここは私たちのパレスチナなのだから。
[1] 他にも西岸地区のベツレヘム、ナブルスで小規模なデモが行われ、国外においてもヨルダン、チュニジア、レバノン、またロンドンでもデモが行われた。
[2] パレスチナ保健省。30-6-Israeli-Aggression-Against-Peaceful-Return-March-Final-edits.pdf
[3] “Homemade Gas Masks in Gaza,” Reuters,
(パレスチナ事務所)
2018年3月30日の「土地の日」に、イスラエルとの停戦ライン「緩衝地帯」沿いで始まった市民による大規模デモの影響はガザ地区の主要産業である農業にも及んでいます。パルシックは収入を失った農家世帯に対し、夏季の緊急食糧支援を実施します。ご寄付でのご協力をお願いいたします。