2017年12月6日、トランプ米大統領は、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムへ移転させる計画とともに、イスラエルの首都をエルサレムと認める公式の宣言を発表しました[1]。現地パレスチナではすでに日をまたぎ、7日深夜の出来事でした。
7日朝、西岸全域で一斉ストライキが実施されました。いつもは通勤者で騒がしいラマラ市内も、ほとんどの商店、レストランがシャッターを閉め、人通りも寂しくなっていました。
その日、ナブルス県ジャマイン町で実施している事業に関連して、北部のカルキリヤ県の業者を訪ねていた私も、街中で顔をクーフィーヤ[2]で覆った子どもたちや青年たちが、手にスプレーを持って通りに繰り出す姿を見かけました。壁には「エルサレムを奪うなら対価を払え」という文字が書かれ、あちこちでタイヤを燃やす黒煙が上がっていました。
帰る道すがら、ラマッラーへ向かう主要道路も所々封鎖されていました。民家の間や山あいの下道を迷いながらも進む乗り合いバスで、私は何とかラマッラー市内へ戻ることができました。
トランプの宣言がなされて以来、連日、東エルサレム、西岸C地区[3]、入植地近辺、難民キャンプ、検問所、そしてガザ地区にて、イスラエル兵とパレスチナ人との衝突が続いています。死者はすでに8人。負傷者は3,400人を超え、未成年者を含む逮捕者も多数出ています(2017年12月18日時点)。
一方、こうしたホットスポットに比べ、ラマッラー市内は比較的落ち着いているように見えます。A地区[3]にあたるラマッラー市内では、イスラエル兵との直接的な接触は他エリアに比べると比較的少なく、クリスマスの電飾が煌々と輝く街中を歩いていると、エルサレムなどの状況が遠くの出来事のように感じられてしまいます。
それでも毎日何かしらのデモや集会は行われています。先週末にもボーイスカウトの子どもたちが旗や写真を掲げ、太鼓を鳴らしながら町中を行進していました。たまたま行き会ったデモの様子を見ていた私は、スマホで辺りを撮影していた男性に話を聞きました。
ちょうど仕事が終わって同僚と街に出てきたという彼は、モスクワで大学院を卒業し、英語、ロシア語、アラビア語を話す優秀な青年でした。しかし、それでもパレスチナでは満足な職に就くことができず、毎日9時間働いても、物価の高いラマッラーでは十分な生活ができないそうです。
そんな中、トランプによってなされたエルサレムを首都とする宣言。自分たちにはどうすることもできない問題だと彼は言います。
「だって、イスラエルの占領と闘う以前に、自分の生活と闘わなければならないから。」
占領下パレスチナにおける就職難、安月給、物価上昇は、ジワリジワリと若者たちの首を締めています。それに加え、正当な指導者を欠いたパレスチナ社会では、今イスラエルに抵抗する大きなモチベーションも、革命のパワーもないと彼は言います。占領下の社会で生きるとはどういうことなのかをもっとも理解しているのは、パレスチナ人自身なのだということを感じた瞬間でした。
ここ数日で数人のパレスチナ人と話をする機会がありました。皆状況を把握しきれずにいる、というよりも、この状況に対してどう反応すべきか分からない様子でした。地域ごとに分断されたパレスチナ社会では、住む場所によって状況が大きく異なります。けれども全ての地域に共通するのは、様々な形のフラストレーション、そして多くの市民がイスラエルとパレスチナとの圧倒的な力の差を自覚しているということ。
検問所の数キロ先から車が動かず、ドライバーたちのいら立ちが募るなか、クラクションを鳴らしながらイスラエル軍のジープが割込みをしてくる。こうした光景は、例えトランプ宣言がなかったとしても日々パレスチナの日常に埋め込まれています。
今後状況がどう変化していくか。
トランプのエルサレム首都宣言後、世界各地でデモが起っています。そうした各地の抗議は、聖地エルサレムの問題だけではなく、パレスチナ人への人権抑圧反対を求める大きな連帯運動へと発展していくでしょうか。
[1] 「オスロ合意」においてエルサレムの最終的地位は和平交渉で協議される事項となっている。トランプ政権の「今回の宣言は和平交渉に資する」という主張は明らかに和平交渉の趣旨と相いれないことがわかる。12月21日、国連総会ではアメリカのエルサレム首都認定撤回決議案が賛成多数で可決されている。
[2] パレスチナの伝統的なスカーフ。もともとは男性の頭を覆うものだったが、女性も首に巻いている姿をよく見かける。
[3] ガザ地区と西岸地区エリコにおける先行自治の拡大を取り決めた1995年のオスロ合意IIにおいて、西岸地区は3地区(パレスチナ自治政府が行政、治安維持を管轄するA地区、パレスチナ自治政府が行政をイスラエル軍が治安維持を管轄するB地区、イスラエル軍が行政、治安維持を管轄するC地区)に分類された。
(パレスチナ事務所 関口)