「スキーの後は、海水浴」が謳い文句のレバノン。「レバノン」とはアラビア語で「白」の意味です。地中海岸に並列する1,000~3,000m級のレバノン山脈とアンチレバノン山脈は、冬は美しく冠雪します。雪は春に溶け出し、2つの山脈に挟まれた標高1,000mのベカー高原に豊富な地下水をもたらし、ミネラル豊富な石灰質の土壌で栽培される葡萄からは、良質なワインが生まれます。
レバノンの葡萄栽培は5,000年前に遡ります。ベカー高原には、ワインの神バッカス(ギリシャ神話のディオニソス)を祀るローマ時代の神殿が残っており、1984年には世界遺産に登録されました。現在もカベルネ・ソーヴィニヨン、サンソー種の葡萄が栽培され、レバノン随一のワイン産地であるベカーですが、200年前に遡れば、農業の中心となる作物はマルベリーでした。
マルベリーは「トゥト」と呼ばれ、シロップやアイスクリームで親しまれています。当時の栽培の目的は、実よりむしろその葉で、養蚕業のためでした。生産されたシルクはレバノンの主要な輸出品として、フランス・リヨンに輸出されていました。しかしながら、1890年に「シルク危機」が訪れます。
1890年といえば、日本は明治時代。富国強兵・殖産興業の名のもと、外貨獲得のために生糸輸出が国策の1つとなり、1872年に日本初の官営模範製糸場、富岡製糸場が開業し、生糸輸出が著しく伸び始めた時期です。1930年までに日本は世界最大の生糸輸出国になった一方で、レバノンの養蚕業は衰退します。その後半世紀、日本は生糸から工業製品の輸出国となり、1980年には米国を抜いて世界最大の自動車生産国となった一方で、レバノンは海外移住者の増加やレバノン内戦(1975~1990年)に見舞われ、1990年には 世界最大規模(80%)の大麻、アヘンの輸出国になっていました。
レバノンの貧農家にとって、大麻栽培は違法でも、生活のために頼らざるを得ない作物で、社会問題になっていました。そこで、大麻撲滅キャンペーンが始まります。USAIDは酪農を、レバノン政府はジャガイモ栽培を勧めましたが、1,000平方m当たり$5,000 の利益があるとも言われる作物を栽培していた農家にとって、魅力的な代替品はありませんでした[1]。そこで2000年に、ベカーの11の村の農家たちが、フランスから技術支援を受けて立ち上げたのが、ヘリオポリス協同組合[2]でした。大麻やアヘンの畑を、シラー、カベルネ・ソーヴィニヨン、カラドック種の葡萄畑にする試みが始まり、今では250以上の農家がこれらの葡萄畑で働き、若者のドラッグ使用の撲滅、キリスト教徒とムスリムの協働も進められています。
2014年、富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録されたことは記憶に新しいところです。 若い日本人女性の労働で高品質の絹を生み、輸出産業が発展したことは嬉しい事ですが、外貨を得た日本がイギリスから軍艦を購入して、当時世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破りさらに軍国化し、数多の犠牲者を出した歴史を忘れてはならないでしょう。
現在、レバノンでは60以上のワイナリーが年間900万本のワインを生産しており、シャトー・ミュザール(Chateau Musar)などの銘柄は国際的に高い評価を得ています。そして「ローマの穀倉地帯」といわれたベカー高原では、葡萄畑やジャガイモ畑、放置された畑の合間に、シリア難民が暮らすテントが立ち並び、レバノンで最大規模のシリア難民が暮らしています。この豊かな土地に住む9割のシリア難民が食糧不足状態にあり、パルシックも越冬支援として食糧を脆弱なシリア難民に配布しています。人びとが豊かさを取り戻すためには、何ができるのか。この地のワインは、白い山脈がもたらす豊かさと、21世紀最大の人道危機が隣り合う、多様な背景と歴史の中で醸造されているのです。
[1] Financial Times, 2014 MAY 16, Lebanese cannabis growers thank Syrian war for flourishing trade
[2] ヘオポリス協同組合(Heliopolis Cooperative)の詳細はhttps://fairtradelebanon.org/en/stores/north-bekaa/coteaux-heliopolis-cooperative
(レバノン事務所 白井)