北上町は人も文化も彩り豊かです。北上町は石巻市となる前は北上町でありその北上町は旧橋浦村と旧十三浜村が合併してできた町です。海があり川(河口)があり山がある、それだけで村での生活も生業も違ったでしょうし、海側はリアス式海岸で複雑な形をしており、道路やトンネルが整備されるまでは行き来も大変だった場所もあったと聞きます。3年間ここに滞在させてもらっていると、隣集落同志であっても集落の雰囲気が異なることをよく感じます。“集落”というものも、もともとは隣近所の互助関係が広がり“契約講”としてまとまって独自の自治が生まれることで、集落ごとの性格や色ができていったのかもしれません。
そうした集落の色、習慣や文化は、その時々を生きるその地域の人の手によって次の世代へと受け継がれ、常に変化されていくものだと思います。各集落にある春祈祷(獅子舞)しかり、お祭りなどのハレの日にもその変化は表れます。
石巻市北上町十三浜の大室に伝承される神楽、大室南部神楽。時代の移り変わりとともに人々の働き方が変わり、地方から都市部へと居住を変える人が増えました。北上町でも人口は減少傾向、大室南部神楽保存会もその影響を受けて担い手不足により休止していました。2011年3月11日、東日本大震災の津波は十三浜を覆いました。あまりにも甚大な被災にみんなが落胆する中、小中学校の年頃に子ども神楽として舞台で大室南部神楽を披露していた現20代~40代の世代がお互いに連絡を取り合い、傷つき落ち込んでいる同郷の人々や北上への強い想いから、みんなが大好きだったお神楽をやろうと保存会に復帰しました。メンバーは、津波で今も見つからない師匠の言葉を思い出しながら、暇さえあればすべて失った道具ひとつひとつの由来を探り、同時に、遠方に住むメンバーでさえも毎週毎週仕事終わりに駆けつけて練習を続け、昨年5月4日ついに「大室南部神楽復活祭」を以てたくさんの拍手喝さいの中、復活しました。
大室南部神楽に魅了された応援者や全国の神楽ファン、地元からの声援を受けて、復活祭から間もなく来年の開催が検討されました。さらには故郷のために奮闘し、舞台でカッコ良く舞う親たちをみた子どもたちが意欲を出し、毎週の神楽練習に参加し練習しはじめていました。もしかしたら1年後の開催で披露できるかもしれない、大人たちもまだ披露したい演目がある・・・。
復活を手掛けた大室南部神楽保存会のメンバーの中には、新たなスタートを切った喜びとともに、来年の開催については「自分たちだけのお祭りでいいのか」という寂しさの入り混じる複雑な思いを持ちはじめているメンバーもいました。子どもの頃の先輩や後輩、同級生たちも、震災後も各々に立ちあがり北上で懸命にがんばっている。それに北上には他にも神楽団体があり、神楽以外の文化芸能もある。そして北上には美味しいものもたくさんある。もっと北上の魅力を発信するような、北上のみんなでつくる“北上のイベント”ができないか。さらにはお祭り開催をきっかけに、かつての集落や世代の縦の垣根を越えて横に横断し出会い、その横の繋がりがどんどん新たな復興ののろしになっていく、そういう北上の元気が生まれる機会になるといい・・・。
その思いから今年は大室南部神楽保存会主催で「きたかみ春まつり」という名でイベントが開催されました。獅子舞が手に入ったばかりの十三浜白浜、昨年の出雲大社の遷宮に招かれ披露した女川地区の女川法印神楽、力強い歌声が魅力の十三浜の演歌歌手の方、縁あって繋がった下大籠や埼玉の神楽団体、長く十三浜支援を続けている七ヶ宿のNPOなど、バラエティに富んだメンバーで舞台を飾りました。大室南部神楽保存会は、震災後初披露となる「羽衣」や「水神舞」という思い入れのある演目を披露、子どもたちはこの日が初舞台でしたがその堂々とした立派な姿に会場の笑顔と涙を誘い、目いっぱいの拍手が贈られました。会場の外では十三浜の美味しい海産物の料理や海の家のメニューが提供されました。きたかみ春まつりは開催だけでは終わりません。その日のうちに行われた打ち上げは、主催者、出店者はもちろん、お客さんも巻き込んで楽しめるようにセッティングされ、盛大な宴は夜中まで続きました。
このイベントをはじめ震災後、各々に踏ん張ってきた人たちが、点と点が、縦に分かれていた見えない壁を越えて、横に繋がって新たな北上の力が生まれようとしています。そのお話しはまたいつか。
(北上復興応援隊 日方里砂)