PARCIC

漁業復興支援

わかめ作業場プロジェクト

石巻は水産業が盛んで、石巻漁港周辺には水産加工場が多く置かれ、沿岸部では牡鹿から雄勝、北上町まで牡蠣やホタテ、ワカメの養殖を生業に、刺し網、定置 などでも実に豊かな魚種を収穫していました。しかし2011年3月11日に発生した東日本大震災では津波により沿岸部を中心に大変な被害を受け、生業とし ていた漁業のための漁具や船、作業場をも失いました。

石巻市北上町十三浜は石巻市の北東、南三陸町志津川の南にあります。外洋の荒々しい波と、北上川から流れてくる栄養たっぷりの淡水が混ざることで、非常に 恵まれた漁場でした。中でもわかめは「十三浜わかめ」として有名であり、石巻市街の方々からも口々に「十三浜のわかめは美味しいのよ」「触感が全然違う」 「ブランドよ」「ほかとは比べ物にならない」などの評判の声をよく聞きました。

十三浜の漁師さんたちは、ワカメ、昆布、ホタテの養殖業が中心でした。ホタテは2年、3年と出荷まで時間が必要ですが、十三浜におけるわかめ養殖は、10 月中旬からわかめの種付け作業を行えば、生わかめは2月から、塩蔵わかめは2月末から刈取りがはじめられます。このことから、宮城県漁業協同組合北上町十 三浜支所は、何もかも失った漁業者に一早く収入が得られるよう、わかめ養殖が年内に必ずスタートできることを目指して動き出しました。また、家も漁具もす べて失った方と、家が残ったものの船がない方など被災の大小に関わらず皆で支え合って復興に向けて一歩が進めるよう、組合員たちは共働での作業を考え始め ました。

そこでパルシックは十三浜の美味しいわかめの復活を支援することで十三浜の漁師の皆さんの復興をお手伝いすべく、生業と生活の再建のための支援を実施することを決めました。

漁師のみなさんは、まずはわかめの種付け作業ができることを目指して漁具の確保に動き始めていました。そんな中、県漁協十三浜支所からはこんな声が聞こえました。 「みなワカメでなんとか少しでも収入を得たいと、やっと気持ちが前に向き始めている。できるだけ早く漁具が手に入るようにしたい。しかし、もしわかめの収穫にこぎつけたとしても、雨風がしのげる場所がないと十三浜わかめを塩蔵加工することができない」。

十三浜では被災前、各家それぞれに“わかめの作業場”を持っており、みな収穫したワカメは岸壁で茹で上げて塩に漬けたあと、各家の作業場で圧搾作業や芯抜き、葉先の切取など商品化のための加工作業を家族単位で行っていました。

パルシックは、わかめの共働作業場を十三浜の各浜に建設をすべく、漁業支援をスタートさせました。


設営予定地はすべて津波をかぶった場所。各浜の組合員のみなさんや契約会の方々より、公民館や住居が“あった”場所を提供してもらうこととなりました。

全壊の家や瓦礫などは一見撤去されていますが、土の中にはまだたくさんの瓦礫が埋まっていました。

敷地を測るにも、敷地の境界線が分かりづらくなっており、困難を極めました。

基礎工事スタートです。被災地は土木建設業ラッシュのため、業者さんへの依頼も大変でした。

基礎工事は十三浜の出身の方にお願いすることができました。

十三浜の漁師のこともよくご存知で、安心してお任せできました。
   電気工事も十三浜の業者さんにお願いしました。東北電力への依頼も通常通りとはいかない上に、住家がなくなった集落へは電柱がないままのところもあり、通常より時間がかかりました。
 
1月末より作業場の組み立てスタート。
 
十三浜の港近くに6カ所、建設することができました。

十三浜大指の共働グループ。共働は初めての挑戦ですが、この機会に助け合って被災前よりも良くしようと頑張っています。
 

わかめ作業場建設を決めてから完成するまでの間に、わかめの種付け作業が行われ、十三浜の皆さんの表情がぐっと明るくなったことが印象的でした。震災後し ばらくは、何もかもを失ったショックから漁業を再開することなど考えられなかったといいます。ある漁師さんは十三浜に来てくれたさまざまなボランティアさ んについて「もう前を向くことなんてできなかった。でも、ボランティアさんが来て背中を押されて一歩、またボランティアさんに背中を押されて一歩、そうし て一歩ずつ進んでいるうちに気づいたら前を向いて歩いていたんだ」と話してくれました。震災から1年を迎える3月11日以降からちょうど、わかめの収穫は ピーク期を迎えます。ますます活気づく港の様子を、また報告します。


わかめの種付けが始まったころの様子。
大指にて

小室にて

(パルシック 日方里砂)