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大坂さんの東ティモール派遣日記

大坂さんの東ティモール派遣日記(7)

Botardi(こんにちは)! Diak ka lae(お元気ですか)?
こちらに来て4月18日でとうとう6か月が経ちました。4月上旬に日本へ一時帰国しておりましたので、そのことを含めお話させていただきたいと思います。

3月下旬、あと一週間で日本へ帰国と言う時に知らされた、【パスポートを紛失したかも知れない】と言う情報。ビザ申請のため東ティモールの入国管理局に1か月前に提出していたのですが、こともあろうに入管で無くなった、と言うのです。東ティモール大使館の領事の方にご相談させて頂いたりバタバタしていた所、『見つかりました』と入管から連絡を頂きました。どこにあったのか問い詰めると、雑多の中に紛れ込んでいた、と言うではありませんか。見つかったから良かったものの、それまでは本当にどこまでついていないのだろうと、ホトホト自分の運の悪さを真剣に悩んだりしました。

無事出国し、ようやく飛行機から見えた富士山。三陸の方々の事を思うと思わず涙が溢れ、ラメラウ山にお祈りしたのと同様、『どうか一人でも多くお助け下さい』と願わずにはいられませんでした。たった6か月なのに、この間私自身にもそして日本にとっても本当に色々なことがあり、実に感慨深い光景でした。帰国滞在中の2週間は、東京事務所へ行ったり、自分自身の勉強も含め現在行っている女性グループ活動に役立ちそうな場所へ視察に行ったり、また友人と思いっきり飲んだり(!)、お買い物したり、養護老人ホームにいる叔母や89歳で一人暮らしをしている祖母に会いに行ったり、とあっと言う間に過ぎていきました。しかし、何より一番楽しく嬉しかったのは、最愛の二人の甥と一緒に時間を過ごせたことでした。

また帰国最後の週末に、父と岩手県釜石市の叔父のところへ行こうとレンタカーを予約していましたが、予定していた前日に大きな余震があり、東北道が閉鎖となり行くことが出来ませんでした。他に私に出来ることは、家屋の被害を受けた他の親戚に少しばかりのお金を送る事くらいでした。
久しぶりの日本は、私が東ティモールへ旅立った昨年10月とは明らかに感じる雰囲気・空気が変わっていたように思います。そして人々も生活も変わってしまったのではないでしょうか?一瞬にして今まであった生活が一変し、数々の体験をテレビや新聞で拝見しました。その度に涙が止まりませんでした。犠牲や被災された方、またそのご家族にそれぞれひとつずつの体験・物語があるのです。

私が一番好きな言葉は「だいじょうぶ」です。人生の危機一髪に、歯を食いしばって何度も自分にこの言葉を言い聞かせてきました。そして実際に助けられました。簡単でよく使う言葉ですが、実はとても深い言葉だと思います。時には泣き言を言ったり、涙を流すことも人間には必要です。もう立ち直れない、と思うところまで落ち込んだり、深く傷ついたりすることもあるでしょう。時間はかかるかも知れませんが【だいじょうぶ】いつかは必ず元気になります。しかもひと回り大きく、強く、優しくなって。


▲コーヒーの実が赤くなってきました!

この女性グループ活動の担当者となり早2か月が経ちました。いざ実際の活動の話となるとまだコミュニケーション力が圧倒的に不足しており、壁にぶち当たり不安や迷いを感じることが次第に頻繁となってきました。予測していた事ですが【だいじょうぶ】一生懸命やっていれば、この土砂降りの雨も止みいつか晴れの日が来る、と自分に言い聞かせ日々を過ごしています。

さぁ、コーヒーの実も徐々に赤くなって来ました。収穫時期が近づき、とても楽しみです。

(東ティモール事務所 大坂智美)