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大坂さんの東ティモール派遣日記

大坂さんの東ティモール派遣日記(13)

「Bondia(おはようございます)。」東ティモールではこの言葉で一日が始まります。知らない人からも道端で【ボンディア】と次々声を掛けられ、ボンディア返しに忙しい事この上ありませんが、その実、とても嬉しいものです。そういえば小学校の頃、あいさつをしましょう、と教わりましたよね。


▲子供がたくさん。幸せって何だろう…

今月10月18日(火)で東ティモールに来て一年が経ちました。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、怖かったこと、様々な思い出が走馬灯のようによぎります。好きな言葉ではありませんが、いわゆる【途上国】で生活する事が初めてだった私にとって、来た当初毎日が驚きの連続でした。そして最近は何事にもそう驚くことがなくなった自分に、一年と言う月日の流れを感じます。またたくましくなった自分に正直とても驚いています。

ここ最近、自分の心の中で強く疑問に思うことがあります。【幸せって何だろう?】東ティモール事務所代表伊藤淳子の話では、ここ数年で急速な変化が見られると言います。車の台数の急増、建設ラッシュ、若者のオシャレ度アップ等。しかし、私が活動しているマウベシから先の集落へ行くとそこにはまだまだ変わらない人々の生活の営みを感じられます。そこで強く思うことは家族の繋がりの強さです。小さな子供もその辺にいっぱいいて、外国人である私の一挙一動をじ〜っと観察しています。気が付いて笑うと照れながら笑い返してくれます。また、少し大きくなった5歳くらいの女の子が妹・弟である赤ちゃんの世話を甲斐甲斐しくしています。男の子も女の子もお父さん、お母さんの「〜持って来い」などの言いつけをちゃんと手伝います。おもちゃがなくてもその辺から取ってきた木の枝や使えなくなったタイヤを上手に転がして遊んでいます。

私が子供の頃は両親が共働きのせいもあって、お母さんが自宅にいるご家庭より若干多めのお小遣いを貰っていました。決して豊かではありませんでしたが、お小遣いを貰えば欲しいものを買い、物に囲まれて生活していました。と言うより物に囲まれることでカギっ子の寂しさを紛らわせていたのかも知れません。団塊世代Jr.ど真ん中の私たちの世代は皆そうかも知れません。しかし、今思えば決して物質で満たされることはなかったと思います。本当に欲しかったもの、それはやはり母が「お帰り」と言ってくれることだったのかも知れません。 彼らをぼんやり眺めているとどうしても私が幼かった頃を思い出します。そしてお父さん・お母さん、兄弟がたくさんいて、そしてその上ご近所付き合いも家族同様、何だかんだあっても毎日賑やかに過ごしているところを見ると、本当の幸せとは実はこう言うことなんじゃないか、とふと思うのです。今日本では人々の【孤独】が問題視されています。家族の繋がりの希薄化、ネット上でしか繋がれない人々、自死…。皆寂しいのです。私も一時期そうだったような気がします。

決して東ティモールが天国だ、と言っている訳ではありません。DVや若者の高失業率、人々同士のトラブル、独立後10年の今後への不安。抱える問題は山のようにあります。ただ、日本も恐らく戦前は物質的には何もなくても様々な問題があっても人と人の繋がりは今よりも濃かったのでは、と想像します。東ティモールは助け合いの文化だ、と言われています。確かに知らない者同士が、些細なことでも助け合うのです。お互い様なんだそうです。そして冒頭に紹介した挨拶。これらは、日本が東ティモールから学ぶべき、また昔を取り戻すべき文化です。東ティモール政府も経済の発展を目指していますが、どうか良い文化を忘れないで欲しい。いい所はどうか残して欲しいと切に願います。何故ならこの国は人々が本当に素敵で魅力的で温かいからです。

(東ティモール事務所 大坂智美)