Bonoiti(こんばんは)!早いものであと1ヵ月で年の瀬ですね。ここ東ティモール首都ディリでは最近、路上で売り子さん達が子供向けの電池式ス ティック状の光る玩具を販売するのを見かけるようになりました。既にクリスマスモードですね。こちらでは、サンタさんが真夜中寝静まった頃に子供達にプレ ゼントを配るのではなく、新しい洋服を子供達や大人自身の為に購入しクリスマスと新年を迎えるのだと言うことを昨年末聞き、驚いたものでした。日本でも昔 は新年を迎えるに当たり、新品の下着・服を着た、と言う話を聞いたことがあります。一緒に働くマウベシのスタッフ、アンジェリーナとマリアも12月はディ リに子供達の服を買いに行くのよ!と意気盛んです。プレゼントを買う対象がいると言うことは、実に幸せなことです。
さて突然ですが、昨日観たドキュメンタリーフィルムを紹介させて下さい。その名も「Dalan ba Dame(平和への道)」。折しも今日は(11月28日)ポルトガルからの独立宣言36周年の記念日です。昨夜は国会議事堂で祝典が行われ、深夜12時に は花火も打ちあがっていました。この日に合わせてか、国内送電も日頃悩まされ続けた停電なしのものに切り替わりました(地方ではまだ全ての箇所には追いつ いていないものと思われます)。このフィルムはCAVR(Commission for Reception, Truth and Reconciliation in East Timor – 東ティモール受容真実和解委員会)が2005年に作成したものです。お恥ずかしながら今まで拝見したことがありませんでした。東ティモールの歴史について は書物を読んだりネットで調べたり、直接体験者から話は聞いていたものの、実際の映像を見るとなるとやはり想像していた以上の壮絶で過酷な歴史を背負って きた人々なのだ、と改めて思いました。何とか独立をと抵抗する東ティモールのゲリラ兵が山に籠り、それを陸・海・空で掃討しようとするインドネシア軍、ま たその側につくことを選んだ、またつかざるを得なかった人々。食料がなく飢え死にする多数の民。女性達は性の道具となりました。しかし蓋を開ければ選挙で 大多数の人々が独立を指示し、それに反発したインドネシア当局は民兵を使い破壊・虐殺行為を行いました。インドネシアの政策で多数の若者がジャカルタや他 の地域の大学へ行っていましたが、彼らも心の根底にあるのは祖国への想い。各大使館前でデモ活動を行いました。また東ティモール内でも「このままではいけ ない」と多くの若者がデモ活動をして粛清されたのです。
命を懸けて祖国の為に、また人々の為にデモ活動をした若者と私は同世代です。丁度、1991年11月12日のサンタクルス虐殺事件の頃は、1年のイギリス 留学から日本に戻り、就職をし半年経った頃です。東ティモールと言う名前も、これらの事件も聞いた記憶が全くありません。第二次世界大戦中やベトナム戦争 中ならまだしも、自分がのほほんと生きていた同じ時間に同じ世代の子が苦しんでいたなどと夢にも思いませんでした。そして無知だったことを恥ずかしく、ま た罪に感じています。人生には時として、知りませんでした、では済まないことがあります。サンタクルス虐殺事件の映像を見て、当時の年恰好と変わらない若 者が銃で撃たれ亡くなっていく映像を見て本当に胸が苦しくなりました。
今日、街に出て乗合バスに乗り高校生を観察したら、男女で冗談を言って小突き合い、青春を謳歌しているように見えました。いくらインフラが整備されようと も遊学させて貰えようとも、暴力による支配は恐怖と憎悪しか生み出しません。今日バスの中で会った若者達のように次の世代もその次も恋愛や勉強、進学で悩 み青春を謳歌して欲しい、決して暴力で支配された悲しみの時代は二度と来ないように願わずにいられませんでした。そして、それは東ティモールだけではあり ません。人間は、どれだけ悲しめばようやく気付いて学ぶことが出来るのでしょうか?
(東ティモール事務所 大坂智美)