3週間のテトゥン語レッスンが終わり、いよいよ現場での初仕事になりました。不安と期待が入り混じる中、農家の方へ配る苗木を引き取りに、リキサ県マウバラ郡にある農業省林業部門の育苗施設を訪れました。
この育苗施設では主に木材となる苗木を育てており、今回はモクマオウ、モンキーポッド(合歓木)、インディアンマホガニー、セイロンオーク(マホガニーの苗木がなかったので)の計4種類を引き取りました。
途中、トラックを運転していたMaritoさんが、2002年にPARCICが机や椅子の配布を行った学校や、日本のNGO“オイスカ”の圃場などを紹介してくれました。過去には、日本も東ティモールを占領していた時期があります。それでも歴史的事実を受け止め、戦後の国づくりを経験した日本が、東ティモールの国づくりに貢献できていることはとても意味のあることだ、と改めて思いました。
ところで、いよいよ現場に到着し、900株近くの苗をPARCICスタッフ3人と助っ人2人の計5人でトラックに積み込んだ時のこと。苗木を種類ごとに分け、必要数がきちんと揃っているかどうかを、拙いテトゥン語で再三確認したのですが、返ってくる答えが何を言っているのかよく分からないんです。それもそのはず、数字は‘インドネシア語’が使われていたんです!買い物する時も同じです。不思議!・・・ということで、僕はテトゥン語に加え、簡単なインドネシア語(最低でも数字は)も勉強する必要性が出てきました。英語にテトゥン語にインドネシア語・・・これも「郷に入っては郷に従え」のことわざにあるように、東ティモールの人たちに合わせる努力をしろということでしょう。テトゥン語に言い直してもらったり、紙に書いてもらいながら、何とかマウバラでの苗木の積み込みを終えることができました。
夕暮れが近づく頃、施設を出発してディリに向かいました。帰り道、道端で売られていたバナナをMaritoさんが買ってくれました。日本で売られているバナナと違い、丈は短く、しかしながら味は濃厚でした。食べ終えた後、少し喉に乾きを感じましたが、お腹もすっかり満たされ、海を横目にディリへと帰りました。
(東ティモール事務所 宮田悠史)