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中村尚司理事 寄稿:ウクライナの民族抗争と民際運動体

日本政府や国会によれば、2022年2月以降にウクライナで進行している事態は、ロシア軍による侵略戦争である。「ウクライナの主権および領土の一体性を侵害し、武力による一方的な現状変更は断じて認められない。ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難する」という国会決議(3月1日)は、ほとんどすべての会派の賛同を得た。議会史上、画期的な決議である。この決議に反対した会派は、「れいわ新撰組」のみである。「れいわ新撰組」も、「ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難し、即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める」が、国会決議には具体性がないから反対だというのである。しかし同党の声明にも、戦争を止める具体策は何も示されていない。言い換えると、すべての党派がウクライナ国家を支持し、もっぱらロシアを非難したことになる。

長くスリランカの民族抗争に付き合ってきた体験から見ると、はるか遠方の地における民族紛争に対して、日本の議会がかくも過大な反応を表明している事態に驚くよりほかない。日本社会の伝統文化ともいうべき、付和雷同と同調圧力の産物であろう。しかしながら、ウクライナの問題の根本は、日本の国会が誤解するような国家間の戦争ではなく、スラブ民族間の紛争である。

ロシアが戦争ではなく、特別軍事作戦と呼んでいるのは、民族問題を解決するための二つの「ミンスク合意」が、前提になるからである。第1のミンスク議定書は、2014年9月5日にウクライナ、ロシア連邦、「ドネツク人民共和国」、「ルガンスク人民共和国」が調印した。ドンパス地域における戦闘の停止について合意した文書であり、欧州安全保障協力機構(OSCE)の援助の下、隣国ベラルーシのミンスクで結ばれた。

「ミンスク合意」だけでは休戦が達成されなかったので、その欠陥を補うべく「ミンスク2」と呼ばれる、ドンバスでの戦闘停止を意図する新しい措置が、ドイツとフランスの仲介によって、2015年2月12日に合意された。内容は、ウクライナと分離独立派双方の武器使用の即時停止、ウクライナ領内の不法武装勢力や戦闘員・傭兵の撤退、 ドンバスの「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」 の特別な地位に関する法律の採択、及び選挙の実施などである。しかし、二つの「ミンスク合意」は、独仏の努力にもかかわらず、双方の民族主義者によって遵守されなかった。

もともと近代国家の範囲は、領土、主権、通貨、軍隊などによって守られている。そのぶん、国家主義者の自意識も明瞭である。他方、人類がすべてホモ・サピエンスである事情から、国家と異なる民族の範囲は揺れ動く。ゼレンスキー大統領の言動は、いかにもウクライナ民族主義者とうなずくことはあっても、ロシア民族主義者のプーチン大統領が非難するようなナチストやファシストと呼ぶことはできない。ウクライナの東部や南部には、ロシア語を母語とする住民が多い。しかし、すべてがロシア軍を支持しているわけではない。逆に、プーチン大統領からナチスと名指しされたアゾフ連隊の勇猛な兵士も、現状ではウクライナ民族主義者の範囲に収まっている。

日本民族はなぜか、スラブ民族に親近感を持つ。チャイコフスキーの音楽やトルストイの作品に強い魅力を感じる。帝国陸軍の歴史も、スラブ民族に学んでいる。幕末の薩摩藩士が志願兵としてクリミヤ戦争に参加して、帝国陸軍の徴兵制を補完することになった。同じ薩摩藩から在フランス大使館の陸軍武官に昇進した山澤静吾陸軍中佐は、露土戦争に参戦して軍功を上げ、ロシア皇帝から勲章を授けられた。明石元次郎陸軍大佐は、レーニンやトロツキーなどロシア革命指導部に巨額の資金援助をした。民族的な親近感は、人為的な構築物である国家を超えがちである。

戦争や民族抗争には、いかなる場合にも、争いの当事者が存在する。外部の第三者の目から見れば、ゼレンスキーだけが正しいわけではない。プーチンだけが正しいとも言えない。紛争解決に資するためには、どこかで妥協して、停戦ラインを定めることになろう。国際的な停戦監視団も必要であろう。国家主義者にとっても、民族主義者にとっても難しい課題である。

第二次世界大戦後のさまざまな国際紛争と違って、今回はアメリカ合州国の特異な役割がある。「世界の憲兵」として国際紛争に介入してきた過去は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争など、アメリカ兵の直接的な参戦が基軸であった。しかし、現代のウクライナにおいては、米軍兵が姿を見せることはない。その代り直接的な交戦はウクライナ兵に任せ、武器弾薬などの軍事援助と金融・経済制裁が代理戦争の主流となった。とはいえ最大の利益を得たのは、言うまでもなく米国である。武器輸出ばかりでなく、原油、液化天然ガス、小麦や大豆などの穀物輸出でも世界市場を独占している。ウクライナの軍事作戦で誰が最も利益を得たかを考えると、情報作戦の専門家であるプーチンではなく、朴訥な顔をしているバイデンの一人勝ちが明白である。

スラブ民族の側に立てば、現代のウクライナ問題は、1930年代の「満洲国」に似ている。日本の帝国陸軍はシベリヤ出兵、満州事変、上海事変、シナ事変という呼称で、宣戦布告することなく、大規模な軍事作戦を展開してきた。そのうえ日本民族主義の高揚が、神風特攻隊まで誕生させた。日本政府が戦争ではなく、事変だと言い張ったように、ロシア政府も戦争ではなく、特別軍事作戦だと言い張っている。ウクライナ民族主義のアゾフ連隊は、かつての帝国陸軍のように、戦闘で負けても捕虜になることを潔しとせず、最後の一兵までも戦い抜くと、公言している。

過去の世界大戦が教えるように、国家連合間の戦争は、エスカレートしがちである。ウクライナ国家を応援する西側諸国の連合(NATOなど)が、あまりに熱狂的な贔屓の引き倒しをすれば、戦線はヨーロッパの国境を越えて拡大する恐れがある。枢軸国の日本も国家主義の妄想を肥大させて、原爆の投下を受けるまで戦争を止め、降伏することができなかった。その悲惨な史実を、忘れてはいけないはずである。

国家主義に比べると、民族主義の方が戦闘から退却する道を選び易い。とりわけロシアにとってもウクライナにとっても、民族自決権の理念は親和的である。オデッサにおける戦艦ポチョムキンの反乱は、ウクライナとロシアの民族自決権を掲げた革命の出発点である。レーニンたちがソ連邦を結成した時、構成民族の分離独立権は第一義的な要件でもあった。レーニンから権力を受け継いだスターリンは、革命政府における民族問題担当の人民委員であった。第2次世界大戦後に結成された国際連合でも、民族自決権はその憲章第一条に定められている。これ以上多くの人命を犠牲にしないために、当面考えうる妥当な解決案は、東部州とクリミヤ半島のロシア系住民に対して、一定の自治権を容認するウクライナ連邦共和国の制度ではなかろうか。この民族自決権を基礎に、和平交渉を進める道が最も手近な解決案と思われる。

主権国家は、国際法によって認知された機構であるが、無味乾燥なシステムである。それに比べて民族には、土と血の香りがする。ゼレンスキーもプーチンも、主権国家より民族の伝統を好む。ウクライナ人の8割がゼレンスキーを支持し、ロシア人の8割がプーチンを支持する。しかし両者とも、民族に安住できず、国家の暴力装置に頼ろうとする。暴力装置の機械化、大規模化、システム化は、恐るべき効果を生む。

それゆえ、国家であれ、民族であれ、戦端を開いた当事者間の和平交渉は、決して容易ではない。まして当事者の一方が軍事的なスーパーパワーであったり、それ以上に強力なス-パーパワーが応援団についていたりすると、犠牲者の数は甚大である。人類は、いまだ核兵器保有国間の交戦を経験したことがない。しかし、核兵器が戦争指揮者の身近にある限り、核戦争も指呼の間である。民族自決権の主体は、核兵器のトリガーに指をかけそうにないことが、せめてのなぐさみである。

国家や民族の他に、抗争のオールタナテイブはないだろうか。あっても極めて弱いか、当事者としては無力である。とはいえ、まったくの不存在ではない。NPO法人PARCICは、その本性から、国家や民族とは無縁である。国家のような好戦性がなく、民族のような伝統文化にこだわらない。武器を携行せず、民衆と民衆の間を軽やかに駆け抜ける、風のような民際運動体である。

中村尚司(PARCIC理事)2022年4月

中村 尚司(なかむら ひさし)

パルシック理事。1961年京都大学文学部卒業後に、アジア経済研究所勤務を経て龍谷大学経済学部教授、京都大学東南アジア研究センター客員教授。専攻は、地域経済論、南アジア研究などをフィールドにした「民際学」。著作に「豊かなアジア 貧しい日本」「地域自立の経済学」「人びとのアジア」など。スリランカ研究者として、長年にわたりスリランカの内戦の平和的解決のために尽力した。