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[開催報告]ベイルート大規模爆発から2か月:現場から伝える

こんにちは。
東京事務所インターンの久保です。

今回は2020年10月16日(金)に行われました『オンライン集会 ベイルート大規模爆発から2か月:現場から伝える』についてご報告させていただきます。

本イベントでは、ベイルート大規模爆発事故から2か月たった現状や現地の人びとの状況、パルシックが行ってきた支援、今後の活動予定についてシェアされました。

今回私からは、現在レバノンに駐在されていて戦争・人道支援等をテーマに取材されているドキュメンタリー・ディレクター、ライターの伊藤めぐみさんから伺ったお話を中心に報告させていただきます。

パルシックからは、レバノン事務所代表の大野木、同じくプロジェクト・オフィサーで教育事業担当の南、同じくプロジェクト・オフィサーで食糧事業担当の風間と共にお送りしました。

ベイルート大規模爆発事故

2020年8月4日現地時間18時にレバノンのベイルート港で発生した爆発事故は、死者200人、負傷者6500人を被った非常に大きな事故でした。また、爆発によって住む場所を失った人は25万~30万人にのぼります。

爆発事故の正確な原因は未だ明らかにされていませんが、ベイルート港にある政府によって6年間保管されていた約2750万トン硝酸アンモニウムが周辺での作業中に引火したためと言われています。

大統領は正確な事故経緯の追及や国際的な第三者機関による調査介入を拒否し、事故の解明は未だ謎に包まれたままです。

また、この爆発の後も同じ場所で国際赤十字が保管していた援助物質が消失する火災が起こっており、市民は解決を急がない政府に対して大きく不満を募らせています。

ベイルートの現状

昨年から続く経済危機による物価の高騰や、新型コロナウィルスの感染拡大によって、大規模爆発が発生する以前から人びとの生活は逼迫していました。事故から2か月経った今もなお、多くの被災者が生活再建の目途がたっていない状況です。

特に爆発地周辺で生活していた人びとは、家を再建する経済力も乏しく、家具やカーペットを売ってその日暮らしの生活をする人も多いといいます。

伊藤さんは爆発翌日に取材に訪れましたが、石や建物の破片、ガラス等が散乱し、疲れた人たちがようやく片付けを始めている様子だったと言います。また、当日、現場にいた人からは、あちこちに人が倒れ、誰を助けていいのか分からないような状態だった、病院は治療を待つ人びとであふれ、カウンターの上に横になっている人や、トイレの中で点滴を受けている人がいたといった話を聞いたそうです。

事後その後とベイルートの人々

爆発事故の4日後には、大規模な反政府抗議デモが起こり、市民を政府の間で催涙ガスや銃を用いての激しい対立となりました。デモには爆発事故によって住処を失った者、失業した者、大学入学を絶たれた者、大切な人を失った者など、事故によって大きな苦しみを背負った多くの人びとが参加しました。

生後6カ月の子どもを持つ母親は「爆発がトラウマになっている。爆発の寸前で自分の子どもを必死に守ることが出来た。しかしそのすぐに子どものベッドの上の窓ガラスが割れ、散乱したガラスがベッドに降りかかった。自分の家のベッドに寝る子どもすら守ることが出来ないなんて。防ぐことが出来たはずの事故を、政府は起こした。今の政府では安全は守れない。だから私は今ここにいる。デモに参加している。」と語ります。

市民は、「支援や寄付は政府に送るのではなく、NGOや赤十字にしてほしい」と声をあげています。現に、スリランカが食糧支援として政府に寄付した紅茶が政府関連組織の軍人のみに配給されるという事実が起こっています。高齢者が残るマルミハイル地区の人びとは「家の再建はNGO頼みだ」と口を揃えます。

市民の中には政府をあてにせず、自分たちで何とかしようと志す人びとも多く、爆発翌日にはボランティアによってがれきの撤去作業がなされたり、寄付活動が広がったりしています。

なぜ、市民は政府に対してこうにも強い反感を抱いているのか、その理由はレバノン政府の利害性重視の政治にあります。内戦を終わらせるために作られた宗派ごとに議席を置く政治システムは、宗派間の競争を終わらせた一方で、宗派によって自分たちで固まってビジネスをする利害集団になってしまいました。また、最近では異なる宗派同士がビジネスのために結託してしまうなどといった事態になっています。これらの政治のシステムに多くの国民が辟易しているのです。

事故の影響

この爆発事故は思わぬところへも影響を与えました。それは、レバノン人とシリア難民、パレスチナ難民の関係の悪化です。食糧の配給などをめぐって、難民への支給に強い反感を示したりなど関係は悪化しています。

また、子どもへの心理的ダメージも大きく、爆発のショックによって声が突然出なくなってしまった子や、家族の死によって心に大きな傷を負った子がいます。学校に行けない子どもたちも大勢います。

移民や移住をするレバノン人も多く存在します。住む場所を失ったり、職を失ったりしたレバノン人にとって「移民になる」という選択肢は身近な決断です。国内では生活できないから、仕事のため、生きるために国を出て行かざるを得ないレバノン人が増えています。

Q&Aコーナー

Q1.電気やガスのインフラは通常に戻っているのか?
A. レバノンではガスボンベを使うため、ガスのインフラは問題ないものの、爆発の事故現場においては電気等のインフラ供給は未だに厳しい状況が続いています。爆発現場から離れたその他の地域はだんだんと修復されています。

Q2.なぜ当日や翌日などにすぐに支援活動が行えたのか?
A. シリア難民支援などで食糧、衛生用品の貯えやストックが準備されていました。そのため、その日の夜から被災者に炊き出しを行うなど迅速な支援活動ができました。

Q3. デモに対してその後政府は何らかの対応をとったのか?
A. 爆発4日後に起こったデモほど大きなデモはありませんでしたが、その数日後に首相が変わったり、数人の閣僚が辞任したりするなどの変化はありました。ですが、根本的な解決に至る対応策はとられていません。

Q4. 事故によって住処を失ってしまった人びとはどこへ避難しているのか?
A. 家屋が崩れてしまった人はNGOが提供するホテル、空き部屋などで暮らしています。親戚や知り合いの家を頼っている人も多いです。しかし、頼るつてがない場合や、新しい住処にありつけない場合、経済的余裕がない場合などによって壊れた家に住み続ける人も中にはいます。

Q5. 移民の人が解雇されたりしているそうだが、そういった人たちによる政府に対しての抗議活動や暴動は頻繁に起こっているのか?
A. 領事館の前で抗議活動をしている人はいます。しかし、不法移民の人もいて、そういった人たちは抗議することで立場が危うくなることもあるので暴動といったことまでは起きていません。また、必ずしも声をあげたり、抗議したりすることが暴動とは限りません。抗議活動とはいっても、自分たちの権利を主張しているということであって、抗議をする多くの人々は平和的に訴えています。

Q6. そもそもなにがきっかけに抗議活動が始まったのか?
A.  事故が起こる以前に、WHATUPという通話アプリにおいて、そのアプリ内におけるメッセージのやり取りに税金をかける、という政府の意図に対して反対の声をあげるところから抗議活動が始まりました。

感想

ベイルート爆発事故から2か月、、、現在もなお多くの被災者の生活が困窮しており、助けが必要になっています。市民は政府に対して不信感を抱いており、彼らへの助けはNGOや他の市民団体やボランティア頼みになっています。今回私が印象的だった言葉に、「抗議=暴動とは限らない。」という言葉があります。市民や人びとがデモを起こしたり、抗議活動をしたりしている場面を見ると、中には彼らが暴動を起こしているように感じる人もいるかもしれません。しかし、彼らは事故の原因を不透明なままにする政府に対して、デモや抗議で憤りを表現しているわけで、決してそのことは暴動であるとは限らないのです。

自分たちの意見を主張することは重要で、例えばベイルート政府への意思表示になったり、周囲への共感や影響につながったりします。

この世の中には、自分の声をあげられずに何かに葛藤したり、苦しんで悩んでいたりする人が存在します。時には、生きることを辞めてしまいと感じることもあるかもしれません。しかし、そんな時は、大規模な爆発事故の後に声をあげたベイルートの市民たちのように、声をあげる、誰かに訴える、話してみてはどうでしょうか。そこにはきっと協力してくれたり、助けになってくれたりする存在がいるはずです。

集会の最後には、レバノン北部アルサールのシリア難民キャンプの様子が報告されました。

(東京事務所インターン 久保裕花)