生活 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Wed, 28 Dec 2022 06:16:40 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 インターン黒沢 東ティモール日誌Vol.3 アッサベでの料理教室 https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_life/21619/ Thu, 08 Dec 2022 03:08:42 +0000 https://www.parcic.org/?p=21619 Botardi!インターンの黒沢舞衣です。
8月22日から26日まで、栄養チームが実施する、給食調理担当者を対象とした料理教室に同行しました。栄養改善事業は、この夏、クラウドファンディングに挑戦し、日本の皆さまからいただいたご寄付で、特に子どもの栄養状態の悪いエルメラ県中心に料理教室を実施しています。今回はアッサベにある小学校2校に2日間ずつ行きました。(詳しい事業内容はこちらをご覧ください。) 

アッサベまでは途中からとても道が悪く、昼過ぎに出発して到着したのは夜でした。グラグラと揺れる真っ暗な車内から顔を出すと、物凄い数の星が広がっていて本当に綺麗でした。

翌朝、市場で料理教室に使う野菜を購入しました。材料は首都ディリでも買っていきますが、基本的にはその地のものを使うそうです。料理教室は朝9時頃から人が集まりだし、10時頃から始まります。中には1時間、2時間かけて山道を歩いてきた方もいて驚きました。

まずは栄養に関する講義を1時間ほど行います。私は撮影をしながら、参加者の方と一緒に栄養士のスタッフ、マリアさんの話を聞きました。少ない予算の中でも、栄養バランスの取れた給食を作ることが大切だそうです。講義といいつつ、問いかけに皆さんがああだこうだと答えていたことや、時には話が盛り上がっていたことが印象的でした。マリアさんに聞いたところ、東ティモールの人は、学校での先生のように一方的に話をされることを嫌うそうです。対話をするように、一緒に空間を作ることを心がけていると教えてくれました。

ポスターを使って視覚的に分かりやすく説明しています

その後は、講義の内容に沿ったメニューを作ります。皆さんは慣れた手つきでどんどん作業を進めていました。東ティモールではたいてい、まな板はあまり使わずに手元で野菜を切ります。大きな中華鍋のようなものを使って、みじん切りにした小さな紫のエシャロットとガーリックをたっぷりの油で炒めてから他の野菜を投入するのが東ティモール流です。

日本で全然料理をしなかった私は、この四日間で料理を教わりました

完成した料理を、おしゃべりをしながら一緒に食べるのは本当においしかったです。参加者の一人は「栄養について知らないことも多かった、バランスを考えてメニューを組もうと思う」と言っていて、この取り組みが子どもの栄養状態改善に役立てばいいなと思いました。

料理教室後に参加者の方々と観光スポットであるモタバンデイラ(直訳すると旗の川)に行きました。草むらをかき分け岩を登り進んだ先にあった滝は迫力満点でした!

(インターン 黒沢舞衣)

インターン黒沢 東ティモール日誌Vol.2 首都ディリでの生活へ

インターン黒沢 東ティモール日誌Vol.4 多言語社会の東ティモール

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インターン黒沢 東ティモール日誌Vol.2 首都ディリでの生活 https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_life/21538/ Thu, 24 Nov 2022 07:27:53 +0000 https://www.parcic.org/?p=21538 Botardi!こんにちは、インターンの黒沢舞衣です。
私は首都ディリにいるときは、パルシックの事務所の1部屋に住んでいます。

大家さんが以前住んでいたという立派な建物

普段の買い物は、事務所の1本後ろの道にある、スーパー「メイマート」に行きます。中国系の大きなスーパーで、大体何でも揃います。クレジットカードも使えます。東ティモールには中国系のお店がたくさんあります。

いつも店員さんが一生懸命商品をきれいに並べているのが印象的です

野菜は、夕方になるとスーパーの前に現れる市場で買います。安くてフレッシュです。大抵1つの束やかごで50センタボ(*)から1ドルで買えます。「トマテ リマプルセン~(トマト50センタボだよ~)」とよく声をかけられます。

たくさんの人が、地面や台車の上に野菜を並べて売っています

海が近いので、夕方は夕陽を見にいくこともあります。とてもきれいです、本当に本当にきれいです、、、

以前、見とれていたら日が暮れてしまって焦りました

移動はミクロレットと呼ばれる、12路線ある循環バスに乗ります。やっとそれぞれのルートを覚えてきました。路線によって色が違い、手で合図して乗車します。目的地に近づいたらコインで車内の鉄棒などを叩き、降車時に25センタボを運転手に支払います。

混雑時はぎゅうぎゅうに座り、男性は立ち乗りすることもよくあります

慣れない環境に苦戦もしています。例えば、水がめや桶に溜めた水を手桶ですくって水浴びをすることです。シャワーがないのはもちろん、冷たい水で髪や体を洗うのは慣れるまでとても大変でした。(今はお湯を沸かして水と混ぜていますが、、、笑)

また、首都ディリは毎日30℃くらいになるとても暑い場所なので、虫がたくさんいます。特にゴキブリは初日に数匹も遭遇しました。セキュリティのおじさんが靴を手に、叩いて駆除してくれたので心強かったです。(生活を始めてからは出なくなりました)

それから蚊はどんなに頑張っても刺されます。蚊帳は必須です。病気には気を付けたいです。

*センタボ(centavo)・・アメリカドルの補助通貨として独自に発行されている通貨、1センタボ=1セント。以前はインドネシアルピア、オーストラリアドル、アメリカドルなど、統一性のない通貨が使用されていたが、2002年の独立以後は、アメリカドルによる通貨代替が行われている。センタボは、1ドル以下の硬貨にのみ使用されている。

(インターン 黒沢舞衣)

インターン黒沢 東ティモール日誌 Vol.1 自己紹介へ

インターン黒沢 東ティモール日誌Vol.3 アッサベでの料理教室へ

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コーヒーの淹れ方(工藤式と東ティモール農村式) https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_eat/16679/ Mon, 27 Apr 2020 06:55:07 +0000 https://www.parcic.org/?p=16679 みなさんこんにちは。
新型コロナウイルス(COVID-19)の影響により東ティモールから一時帰国中の工藤です。
おうち時間をいかがお過ごしでしょうか。

緊急事態宣言から約3週間が経過しましたが、なかなか気軽に美味しいコーヒーを飲みに出られない日々が続いています。
そんな中でも東ティモール、マウベシの生豆を焙煎したりコーヒーを提供したりしてくれているみなさん、いつもありがとうございます。
おかげで私たちはおいしいコーヒーを飲めていて、その様子や喜んでくれるお客様の顔を想像することで私も東ティモールでの活動を頑張ることができています。

さて、もちろんお店で飲むコーヒーは美味しいのですが、おうちでも美味しいコーヒーが飲みたい!
ということで、東ティモールではコーヒー事業に関わっていて元バリスタの私が、自宅でのリモートワークにメリハリをつけたいとき、ほっと一息入れたいときに実践しているコーヒーの淹れ方を、東ティモールの農村部でのコーヒーの淹れ方の一例と比較しながら紹介していきたいと思います。

左上に工藤家の生活感が垣間見えます

左上に工藤家の生活感が垣間見えます

① 焙煎したコーヒー豆の準備
工藤:パルシックのオンラインフェアトレードショップで購入
東ティモール(以下、東テ):料理でもよく使われる中華鍋で焙煎

私は現地ではこれでチャーハンを作っていました

私は現地ではこれでチャーハンを作っていました

② お湯を沸かす
工藤:コンロでコトコト
東テ:鍋でグラグラ

グラグラ

グラグラ

③ コーヒー豆を挽く
工藤:手挽きミルで
東テ:杵と臼でついて

一家に一台ありますよね?

一家に一台ありますよね?

④ コーヒーの分量をはかる
工藤:軽量スプーンでお湯180mlに対してコーヒー豆10gを量る
東テ:適量(?)

⑤ 蒸らす
工藤:豆をセットしてまんべんなくお湯を注ぎ30秒蒸らす
東テ:沸騰したお湯の入った鍋にコーヒーを全量豪快に

グラグラという擬音を考えた人はすごい

グラグラという擬音を考えた人はすごい

⑥ 抽出する
工藤:豆の中心にお湯をゆっくり『の』の字を書くように2、3回に分けて落としていく
東テ:よく混ぜてお湯に浸した液をフィルターで濾す

⑦ 飲む
工藤:マグカップに移して気分に合わせてシロップやミルクを入れて飲む
東テ:砂糖をたっぷり入れてプラスチックのカップで飲む

現地で飲むあまーいコーヒーの美味しさは訪れた人だけが体験できます

現地で飲むあまーいコーヒーの美味しさは訪れた人だけが体験できます

いかがでしょうか。
ぜひみなさんも東ティモール式のコーヒーの淹れ方にも挑戦してみてください。

ちなみにマウベシ産のカフェ・ティモールはコクや甘みをしっかり感じることができるコーヒーなので、ミルクを入れてカフェオレにしたり、シナモンをかけてアレンジしたりしてみても美味しいですよ。

カフェ・ティモールを飲みながら、早くまたマウベシの仲間たちに会えることを祈りつつ日本からでもできることを考えていきたいと思います。
不安な日々が続きストレスも少しずつ溜まってきていると思いますが、コーヒーで息抜きをしながら今はおうち時間を楽しんでいきましょう。

(東ティモール事務所 工藤 竜彦)

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東ティモールの犬 https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_life/13526/ Mon, 30 Jul 2018 11:14:20 +0000 https://www.parcic.org/?p=13526  フェルナンドが僕を見て

「アステカ―!」

 と叫んでいる。といってもこれは、15世紀のメキシコの文明のことではない。
 ちょっと前にフェルナンドは、足に擦り傷をつくった。テトゥン語では怪我のことをカネックというのだが

「日本語で足のカネックは何ていうの?」

 とフェルナンドに聞かれた。それで僕は

「日本語では『足、怪我』っていうんだよ」

 と教えてあげた。こういうとき助詞は面倒なので省略することにしている。
 それからというものフェルナンドは、僕を見ると「あしけがー!」と、早押しクイズの回答者のように叫ぶようになった。それが「あしけが」→「あすけが」→「あすてが」と変形していって、今では「アステカ―!」とメキシコの文明を叫ぶに至ったのである。ちなみにフェルナンドの足はとっくに完治している。

石を運ぶフェルナンド。長靴を買ったらすぐにネズミが食べて穴が開いた。

石を運ぶフェルナンド。長靴を買ったらすぐにネズミが食べて穴が開いた。

「じゃあ事務所まで歩いて帰ろうかな」

 と僕がいうと、ペドロに

「やめた方がいいよ」

 と真剣に止められた。

「道の途中に凶暴な犬がいて、人が近づいていくと噛むんだ」。

 それを聞いてほかのスタッフも口々に

「あのでかい犬なー」
「後ろから近づいてきてガブッと噛むんだよ」
「こないだは危ないところだったよな」

 などと恐ろしいことを言っている。
 上水事業の3年次の現場は事務所から近い。徒歩でも40分くらいだろうか。現場は山の上にあるので、帰りは下っていくだけだと思ったら、道中にそんな危険トラップが待ち受けているとは……。

 東ティモールの犬は基本的に放し飼いだが、道を歩いている限り、吠えられはしても突然噛みついてきたりはしない(たぶん)。家の敷地内まで侵入したらどうなるかわからないが。

 そんなわけで、その日はペドロがついてきてくれた。途中に建設をあきらめて放り出したような家があって、そこから茶色い犬が我々のことをじいっと見ていた。たしかに大きな犬だった。目つきがどことなく陰湿である。

これが襲い掛かってくるという凶暴な犬、ではなく道にいた子犬。かわいさだけでできている。

これが襲い掛かってくるという凶暴な犬、ではなく道にいた子犬。かわいさだけでできている。

「あいつだ、マウン・ダイ」

 とペドロ。

「あいつは性格が悪い。こっちが2、3人でいるとびびって来ないんだけど、1人だと襲ってくるんだ」

 ペドロはここまで来れば安心という場所まで送ってくれて

「もし犬が追いかけてきたら、マウン・ダイのiPhoneを投げろ」

 とアドバイスをくれた。なぜiPhoneなのかは謎だったが、もちろん投げるのは嫌なので、かわりに小石を3個、手に握りしめて帰った。犬対策に小石を持って歩くなんて、ティモール人が聞いたら爆笑するだろうから、スタッフには内緒である。

「犬が襲ってきたらiPhoneを投げろ!」とアドバイスをしたペドロ。

「犬が襲ってきたらiPhoneを投げろ!」とアドバイスをしたペドロ。

 それから数日がたってまた現場から歩いて帰ろうと思い、犬のことを思い出した。それで

「ねえ、あの犬ってまだいるかな」

 とペドロに聞くと

「あの犬ならもういないよ」

 という。

「え、ほんと? どっか行っちゃったの?」
「あの犬は見境なく誰でも噛むから、集落の人たちが食べちゃったんだよ」
「食べた?」
「うん、俺もいっしょに食べたよ。甘かったなあ……」

 東ティモールでは、食用の犬が1匹30~50ドルで売買されている。現地の物価からするとかなり高額だ(鶏は1羽12~15ドル)。ティモール人は犬肉を「甘い」と表現するが、実際に食べた感想としては「え、これが甘いの?」という感じだった。硬くて独特の臭いがして、鶏肉の方がずっとおいしいと思う。

 とくに好んでは食べたくない犬肉だが、ここではスペシャルな時のご馳走なので、村人に囲まれて

「さあ、もっとたくさん食べて!」

 と勧められると断ることはむずかしい。

「私はポリシーとして犬は食べません」

 などと、とてもじゃないが言えない雰囲気なのだ。

資材の名前が分からなかったら絵を書いてもらうしかない。「おお、必要なのはバケツだったか!」

資材の名前が分からなかったら絵を書いてもらうしかない。「おお、必要なのはバケツだったか!」

 先日、近所の人から子犬をもらった。お母さん犬にせっせと残飯をあげていたら3匹生まれたうちの1匹を、飼い主がくれたのである。ティモール人にならって放し飼いにしていたが、僕を見るとすっ飛んでくる姿がかわいかった。

 子犬はしばらくのあいだ、元気いっぱい事務所の周りを走り回っていたが、スタッフたちがだんだん手を焼き始めたころ(それはつまり僕に白い眼が向けられ始めたころ)、病気にかかってあっけなく死んでしまった。

 その日は日曜日で事務所にだれもいなかったので、僕は1人で事務所の裏を掘って子犬を埋めた。翌日ドライバーのアグスに犬が死んだことを告げると、彼はこう言った。

「そうか、マウン・ダイの犬は死んじゃったか。それで埋めたのか? 食べたのか?」

ドライバーのアグス。一見武骨なルックスだが細やかな心遣いと運転をする。

ドライバーのアグス。一見武骨なルックスだが細やかな心遣いと運転をする。

 東ティモールでは犬は家族であり、家のセキュリティ要員であり、たまのご馳走でもある。時代も場所も異なるが、フェルナンドが叫ぶメキシコのアステカ文明も犬との関係は深く、犬は人間の最良の友であり、時には食料にもなったという。

 アステカの神話で象徴的な役割を担っていた犬は、死後も飼い主に仕えると信じられていたという。もし東ティモールでも同じなら、またあのふわふわした子犬が駆け寄ってこないかなあと待っているのだが、それはまだない。あの子犬はちょっと頭が悪そうだったから、今ごろ僕を探して走り回っているのかもしれない。

近所の人からもらった子犬。とにかくいつも走り回っていた。

近所の人からもらった子犬。とにかくいつも走り回っていた。

(マウベシ事務所 大島大)

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外国語とテトゥン語、女性のワイルド化について https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_life/13149/ Tue, 27 Mar 2018 07:27:58 +0000 https://www.parcic.org/?p=13149 首都ディリのファーストフード店では、かなりの確率で店員にインドネシア語で話しかけられる。ファーストフード店だけでなく、ふつうのレストランでもこれは何度かあった。僕は最初、店員がインドネシア人なのかと思っていた。見た目では区別がつきづらいけれど、ディリで働いているインドネシア人は多いと聞く。でもどうやらそれは違うようである。店員どうしの会話で聞こえてくるのはテトゥン語だからだ。

マウベシの市場。ここはテトゥン語と、方言のマンバイ語オンリーの世界。「ホラ・サイダ?」といわれたら「なに買うの?」と聞かれています。

マウベシの市場。ここはテトゥン語と、方言のマンバイ語オンリーの世界。「ホラ・サイダ?」といわれたら「なに買うの?」と聞かれています。

ではなぜインドネシア語なのかというと、おそらく外国人の客には外国語、外国語といったらインドネシア語、という考え方がティモール人の中に(とくに若い人に)あるのではないだろうか。

注文のときのインドネシア語くらいはわかるので、僕はそのまま片言のインドネシア語で受け答えをする。店員の女の子はすました顔でインドネシア語で注文をとり、テトゥン語でオーダーを通す。そのあと「きのうさー、ともだちがねー」などと、またテトゥン語で話している。のんびりとした光景である。ちなみにディリのファーストフードはちっともfastではない。

そういうのをぼうっと観察していると、今度は欧米人の客がやってくる。欧米人は一方的に英語をまくしたてて注文をする。これには有無をいわさぬ迫力がある。パワーバランスがぐっと欧米人に傾いて、店員はソーリー? とかパードン? を連発しているが、注文を取り終えているのを見ると、なんとかなっているみたいである。

マウベシの市場の中。去年、日本から来た大学生を案内したとき「ここにファミリーマートがあればいいんだけど」といってみたら、黙殺された。

マウベシの市場の中。去年、日本から来た大学生を案内したとき「ここにファミリーマートがあればいいんだけど」といってみたら、黙殺された。

東ティモールに来て1年がたとうとしているけれど、僕のテトゥン語は、パタリと進歩を止めたようだ。それでもたまにティモール人にテトゥン語をほめられることがある。でもそれを真に受けて喜んではいけない。ティモール人は、僕が「sin(はい)」と答えただけでも「テトゥン語、うまいねっ!」とほめてくれるからだ。

東ティモール在住の日本人はその点正直だ。会話の中で僕がおおげさに「いやあ、テトゥン語ぜんぜん話せなくって」というと、「そんなことないですよ」とは言わない。ほとんどの人がスッと目をそらすか、居心地悪そうに話題を変える。それを見て、僕のテトゥン語は本当にだめなんだな、と確信する。きびしい現実がそこにある。

「外国人のなかでも韓国人と日本人は好き。テトゥン語を話すから」というティモール人の発言を、どこかで耳にしたことがある。たしかに欧米人はあまりテトゥン語を話さないようだし、中国人もそうだ。一方、僕が習った語学学校の先生は「韓国人と日本人はテトゥン語がうまい」といっていた。

先日一時帰国の際に空港で、一年ぶりに韓国人のスージーさんと再会した。スージーさんは、20代前半のNGOのボランティアだ。東ティモールの前はミャンマーにいたという。僕と彼女は去年の3月、語学学校で机を並べて、一緒にテトゥン語を勉強した仲である。2人だけのクラスだったのですっかり仲良くなり、クラスの後にカフェに行ってお茶をしたりしていた。

マウベシにある英語の学校。この前を歩いているとgood afternoon! などと声をかけられる。それ以上の会話に発展したことはない。

マウベシにある英語の学校。この前を歩いているとgood afternoon! などと声をかけられる。それ以上の会話に発展したことはない。

その頃はお互いまだテトゥン語が分からなかったので、会話は英語だった。でも1年後、空港での会話はすべてテトゥン語になっていた。僕は近くでワイワイ騒いでいる若者たちは韓国人だろうと思っていたが、その中にスージーさんがいることに気づかなかった。向こうが声をかけてくれて、ああ、あのスージーさんだ、と初めて分かった。

1年前は色白で、頬がふっくらとして笑顔がかわいらしかった彼女は、まだどこか学生の雰囲気があった。それが今ではやせて身体はシャープになり、頬も引き締まり、目元にきゅっと力が入って、陽に焼けた肌は浅黒かった。声も前より低く力強くなって、すっかりワイルドな女性に変身していたのだった。

こんな感じの女性が身近にもいたような気がする、としばらく考えて頭に浮かんだのは、パルシック東ティモール代表の伊藤だった。2人に共通するルックスと雰囲気は、東ティモールにおける東アジア人女性の、ひとつの傾向なのかもしれない。

マウベシスタッフのヴェナンシオ君。働き者で性格もおだやか。ランドセルは友達からただでもらったという。「このかばんは便利でいいね。今は雨季だから、中に雨具を入れているよ」。

マウベシスタッフのヴェナンシオ君。働き者で性格もおだやか。ランドセルは友達からただでもらったという。「このかばんは便利でいいね。今は雨季だから、中に雨具を入れているよ」。

「男子、三日会わざれば刮目してみよ」という慣用句があるけれど、「女子、一年経ったら別人でびっくり」ということがあるのだなあと勉強になった。ひるがえって僕はどうかといえば、長期にわたるダニとの戦いで、腕や脚が傷だらけになったほかは、とくに変わったことはない。

でもそういえば、一時帰国後に復帰してからは、スタッフから「いま、日本のこと考えているだろう? もう日本に帰りたいのか」とよく言われている。知らないうちに、ただでさえぼんやりとした顔が、ますます弛緩していたようである。

(東ティモール事務所 大島大)

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目に見える関係 https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_eat/12526/ Thu, 09 Nov 2017 09:10:53 +0000 https://www.parcic.org/?p=12526 東ティモールのマウベシ事務所でコーヒー事業のインターンをしています煙草です。東ティモールに来て早3ヶ月が経とうとしています。

当国に来て1ヶ月ほどは毎日お腹を壊していましたが、ようやくその腹痛も2週間に1度というペースに落ち着いたぐらい、生活にも慣れて来ました。

さまざまな方から「東ティモールの食事には慣れましたか?」と聞かれます。いつも私は「ここの料理はすごく好きです。」と答えます。すると大概驚かれます。というのも、東ティモール料理はお世辞にも豊かであるとはいえず、どの料理も大体味付けが同じで、メニューのバラエティも多くありません。日本食が世界一おいしいと思っている私にとって、料理自体に驚くほどおいしい思うことはありません。にもかかわらず、わたしがここでの食事を好んでいるのは“食材が新鮮で、なおかつ目に見える関係で生産者と消費者がつながっている”からなのです。マウベシには冷蔵庫もスーパーマーケットもないので、その日に必要な食材を必要な分だけ市場で買います。日本では、スーパーに行ってとりあえず安い野菜を買い込んで調理するということをしていましたが、マウベシでは消費者と生産者が直接つながり、農家の人から直接、新鮮な野菜を買うことができます。私が特に気に入っているのは朝食で、いつもパンにイチゴジャムをつけてコーヒーと一緒に食べています。パンは市場でその日の朝にパン売りの兄ちゃんからできたてのものを買い、ジャムはマウベシでの女性の加工品作り事業スタッフが手作りしたもので、一緒に飲むコーヒーも、私が毎日事業のため訪れるマウベシ郡の集落の人たちが作ったものなのです。

パン屋の兄ちゃん

パン屋の兄ちゃん

それは、私が関わっているコーヒー生産者支援事業にもいえることです。先にお話したように、私は日々マウベシ郡の集落を回り、コーヒー豆の品質と水分量のチェックをしています。その際、1日に多いときで3回ほどコーヒーを振舞ってもらうことがあります。これまで様々な場所でコーヒーを飲んできましたが、農家で飲むコーヒーに勝るものはありません。新鮮であることはもちろん、目の前にいる農家のお父さんが一生懸命作ったものだということが分かるからです。私が振舞われたコーヒーを飲んで「おいしい」というと、農家の人たちは決まってちょっと照れたように笑います。

ルムルリ集落のご家族

ルムルリ集落のご家族

コーヒーは、東ティモールのような赤道近くの国(コーヒーベルト一帯)で、なおかつ標高が高い山中で生産されています。私たちが普段日本で口にするものの中では、もっとも日本との距離が離れた場所でつくられる食品のひとつです。そのコーヒー生産者と直につながること、生産者の姿を想像することは非常に難しいことですが、フェアトレードを通して、日本の皆さんにマウベシのコーヒー農家の方たちを知ってもらい、またコーヒー農家の方にも日本でどのような人たちがコーヒーを買ってくれているかを伝えていきたいと思います。

(マウベシ事務所 煙草将央)

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何もなくない国 https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_see/12498/ Tue, 07 Nov 2017 06:54:40 +0000 https://www.parcic.org/?p=12498 はじめまして、7月から東ティモールのマウベシ事務所で半年間インターンをしております煙草将央です。第一次産業支援に興味があり、大学を休学してパルシックのコーヒー事業に参加しています。

もともと東ティモールに行きたいと思っていたわけではなく、あまり人が行かないような国に行きたいと思っていた時に、たまたま縁があり当団体を通じて東ティモールに渡航することになりました。それより前に、東ティモールに行ったことのある知人たちから聞いていたことは「何もない国」であるということ。旅人のブログでもそのように書かれているのをよく見ていました。

「何もない国」その言葉に心を奪われ、早く行ってみたいと思っていました。そして、この国に来てわかったことは「何もない国ではない」ことです。首都のディリでは、映画館があるショッピングセンターがあるし、そこでは日本のソースやふりかけなども買えます。私が今住んでいるマウベシという町は山の中にありますが、生活に困ることはほとんどありません。東ティモール人はまず買わないであろう、パスタやオリーブオイルだって買えます。

確かに、日本では当たり前にあるものがなかったりします。例えば、ここマウベシではシャワーのための安定した水の供給がありません。しかし、その代わりに友達と滝に行って水浴びをする時間があります。停電で昼夜を問わず電気が使えないことがあります。しかし、そのおかげで、きれいな星空眺める時間があり、ろうそくを灯しながら過す夜があります。また、電波が強いWi-Fiがないので、SNSを1日に何度もチェックすることは難しいです。その代わりに、スタッフや友達や近所の子どもたちと遊んだりくだらないことで笑ったりする時間がたくさんあります。

滝に飛び込む

滝に飛び込む

停電時のキッチン

停電時のキッチン

「何もない国」と人は言いますが、私はこの国が「先進国が失ってしまったものがまだ残っている国」なのではないかと思っています。

(マウベシ事務所 煙草将央)

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フェリペ君は見た ー 大島の東ティモール生活② https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_life/12217/ Wed, 30 Aug 2017 05:09:11 +0000 https://www.parcic.org/?p=12217 「このまえの金曜日、コルメラを歩いてたでしょ」

 ドライバーのフェリペ君に言われて、ああまたか、と思った。
 ディリの街は狭いので、どこにいても誰かに目撃されている。
 フェリペ君は車で走っていて、段ボール箱を抱えて歩いている僕を見かけたらしい。
 先週の金曜日は、昼前にマウベシからアングナ(トラックの荷台を座席にした長距離バス)に乗ってディリに行った。
 4週間ぶりの首都だ。
 アングナに乗るのは初めてだったので、どこが終点なのか知らなかった。

「ディリに着いたら事務所に電話するといいよ。マリトさんがバイクで迎えに来てくれるから」

 ローカルスタッフはそう言っていたけれど、僕はしなかった。
 なぜなら1人で、バーガーキングに行って、先進国のジャンクフードを食べたかったからだ。
 マリトさんと一緒だとバーガーキングは行きづらい。
 「ランチに8ドルも払うなんて!」とか「しょせんマウン・ダイも外国人だな」などと思われたくなかったのだ。

 アングナがディリの外れのタイベシ・マーケットに着いたのが午後3時。
 11時過ぎの出発だったから4時間近くかかったことになる。
 バーガーキングに向かってウキウキと「ワッパー、ワッパー」と考えながら歩いていた時に、フェリペ君に目撃されたのだろう。

 東南アジアの中で、ダントツに旅行者が少ないと思われる東ティモールでも、旅行でやってくる人はいる。
 バックパッカーだ。
 東ティモールを旅した日本人バックパッカーのブログを読むと、だいたいみんな同じ感想を書いている。

「しばらく滞在してみたけれど、けっきょく街の中心がどこだか、最後まで分からなかった」

 10年くらい前まで、ディリの繁華街といえばコルメラだったらしい。
 らしい、というのは、今は違うからなのだが、今でもこのエリアには、洋服店だとか電化製品、車のパーツを売る店が、道の両端に並んでいる。
 しかし、人通りは多くない。
 休みの日でもたいしてにぎわっていない。
 アメリカの田舎町のメインロードのようである。
 わりと大きな店が多いのだが、客が少ないので、がらーんとした印象をうける。
 店に入ると客よりも、マネキンの数の方が多いくらいだ。
 マネキンが着せられている服にはうっすらと埃が積もっている。

 なぜコルメラに人が来なくなったのか。

 その理由はかんたんで、ティモールプラザができたからだ。
 ティモールプラザは、ディリの街の西に建つ、東南アジアによくあるいわゆるモールで、日本のデパートを小型化したようなものだ。
 最上階にホテルがあり、下の階にはレストランや洋服屋、電化製品店、美容院などが入っている。
 1階には大きな高級スーパーマーケットもあって、援助関係の外国人の姿もよく見かける。
 ワインとかビールなどのアルコール類も棚にずらっと並んでいる。
 ここにはカマンベールチーズもあるし、キムチも売っている。
 カチコチに凍っているけど納豆だってある。

 休日だけではなく、平日の昼間でも、ティモールプラザはいつだってお客さんでいっぱいだ。
 ディリの人たちはみんな、ティモールプラザ大好き! なのである。

 このスーパーマーケットのレジで、白人の男性客が50ドル札で支払っているのを見かけたことがある。
 そのとき僕は「ああ、ここは都会なんだなあ」と思った。
 なぜならマウベシの雑貨屋だと、つり銭の心配がたえずつきまとうからである。

 例えば1ドルの買い物に10ドル札で支払いをしたとする。
 100円のものを1000円で買うような感覚である。
 するとたいてい

「つり銭がない!」

 と、ちょっとしたドタバタ騒ぎになる。 

 店の中のお金をかき集め、それでも足りないと店員の財布の小銭まで引っ張り出す。
 そんなことをしたら、この後のおつりはどうするんだ? と思うが店員も必死である。
 あるいは10ドル札を出した時点で

「つり銭はないからほかに行ってくれ」

 と言われることもある。
 カスタマーサービス、という概念はここにはまったくない。

 逆に言えば、そんな高額紙幣(10ドルだけど)で支払いをする人は、めったにいないのだろうと思われる。
 50ドル札なんて存在しないも同然かもしれない。
 100ドル札に至っては、もはや月給の額に近づくので、これはもう「使える」紙幣ではないだろう。

 話を戻すと、僕もディリに来ると、ティモールプラザに行く。
 そしてスーパーでポン酢とかめんつゆを、日本の4倍くらいの値段で買ったりする。
 ローカルの行く美容室の3倍くらいの値段で(それでも5ドルだが)髪を切ったりしている。

 ディリ人が集まるティモールプラザでは、ほぼ毎回、知り合いに会うことになる。
 会わなくたって誰かに見られている、ような気がいつもしている。

 一度、先ほどのスーパーマーケットで、パルシック東ティモール代表の伊藤を見かけたことがある。
 小学校高学年くらいのきれいな女の子がフロアをふらふらしていて「あれ、あの子見たことあるな」と思ったら、伊藤の次女だった。
 そしてその向こうで、眉間にしわを寄せて、ものすごく真剣に玉ねぎを1つずつ手に取って厳選中だったのが、伊藤だった。
 なんとなく声をかけられなくて、そのまま出てきてしまった。

 東ティモールは小さな国だし、首都のディリは狭い。
 僕は知った顔を見かけても声をかけないこともあるし、逆の場合もあるだろう。
 仕事でもプライベートでもしょっちゅう顔を合わしていたら疲れてしまう。
 だから人付き合いもほどほどに距離を取って、というのがこの街の(少なくとも外国人の)マナーなのではないだろうか。

 しかしである。

 ティモールプラザを出るとすぐにプルサ(携帯電話用のプリペイドカード)売りの兄ちゃんたちが、わらわらと群がってくる。
 外国人はよいお客さんなのだ。
 その兄ちゃんたちからプルサを買うと

「コレガ! 10ドルじゃなくて20ドルいっちゃおうよー」

 などと、べたべたとボディタッチをしてくる。
 その湿った手のひらのやわらかな感触に、どこかホッとするのも事実なのである。

ティモールプラザ TIMOR PLAZA

ティモールプラザ TIMOR PLAZA

ティモールプラザに入っている BURGER KING

ティモールプラザに入っている BURGER KING

ホテルやアパートも併設

(東ティモール事務所 大島 大)

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東ティモール、マウベシの停電と水事情 ー 大島の東ティモール生活① https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_life/12000/ Wed, 05 Jul 2017 07:30:57 +0000 https://www.parcic.org/?p=12000 こちらに来て3か月、だいぶ生活にも慣れてきましたが、日本と違うのは、東ティモールではよく停電することです。首都のディリでの停電は1、2時間で直ることがほとんどですが、マウベシはもっと本格的で、これまで2度、電気が復帰するまでに1週間ほどかかったことがありました。

電気というのは不思議なもので、停電して1日、2日は不便を感じますが、3日目くらいからは、ない状態に慣れてきます。昼間はジェネレーターの電気でパソコンなどを使いますが、夜はロウソク生活になります。食事をしていても何を食べているのかよくわからないので、おいしさ半減です。ロウソクの光で読書もしてみましたが、5本並べてもまだ明るさは頼りなく、風情はありましたが目が悪くなりそうだったので、すぐにやめました。

3日もすれば慣れる停電ですが、なにより楽しいのは、電気がふいに、何の前触れもなく復帰した時です。その瞬間の「電気があるってこんなに便利!」という喜びは圧倒的です。しかし悲しいかな、私も現代人なので、電気がある生活にもあっという間に慣れてしまいます。「こんなもの、使っていたねえ」とロウソクもさっさと片付けます。

いっぽう水が止まると電気とは比較にならないほど大変です。普段からトイレの水桶に水を溜めていますが、水が止まるといろいろな苦労がスタートします。トイレを流すのもいつもの半分の量に、体を洗うのにも、ちびちびと水をケチるようになります。拭き掃除もできないので部屋はどんどん埃っぽくなっていきます。

水桶に水を張って備えます

水桶に水を張って断水に備えます

先日、5日間ほど水が止まった時、ティモール人スタッフが困った顔で「こっちの部屋にはもう水がない」と言ってきました。本当は私の方には(まだ少しは)あったのですが、「ごめん、こっちも……」と、思わず嘘をついてしまいました。

水が止まると、体や部屋が汚れるだけでなく、心まで荒みます。あるいは、たんに私の本性がにじみ出てくるのかもしれません。私は、山岳地帯の水供給システムを造っていますが、思いがけず自らの生活で、水は大事だなあと、身に染みて感じている今日この頃です。

(マウベシ事務所 大島大)

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東ティモールに赴任して、早2ヶ月 https://www.parcic.org/report/timor-leste/timor_nature_culture/11810/ Thu, 08 Jun 2017 01:59:51 +0000 https://www.parcic.org/?p=11810 東ティモールに来て2か月が経ちました。着いて10日目にデング熱にかかって入院したこと以外は、まずまず順調です。こちらに来て1か月間はテトゥン語を習うために語学学校に通ったり、病室の天井を眺めて過ごしていましたが、今は水利事業を行っているマウベシに滞在しています。

マウベシは海抜1,400~1,700mの高所にあります。そのため市場で売っているスナック菓子の袋が富士山の売店のもののようにパンパンに膨らんでいます。日中の日差しは強いですが、朝と晩はかなり冷え込みます。まだ6月ですが、私はセーターとウールの靴下を身に着けて、夜は毛布にくるまって寝ています。持ってきた防寒具はこれで最大限なため、もっとも寒くなるという8月はどうなることかと、今からおびえています。しかしこれだけ寒くても、蚊がたくさん飛んでいるのは意外でした。

事務所からの眺め

事務所からの眺め

水利事業の作業現場は山の中なので毎日が山登りです。山道を登ったり下りたりしていると、標高が高いためかすぐに息が切れ、頭がふらふらします。村の人と一緒に歩きますが、彼らは信じられないくらいの速さで歩きます。雨が降って地面がぬかるんでいてもまったく関係ありません。煙草を吸いながら鼻歌まじりにスタスタ歩いていきます。しかも私はしっかりとした長靴を履いていて、彼らはビーチサンダルか裸足です。それでよくよく観察してみると、ティモール人は小柄な人が多いのですが、足は日本人に比べると大きい気がします。その足で地面をつかむようにして歩くのでしょう。息を切らして必死でついていくと、その横を子どもたちが(もちろん裸足で)笑いながら走って私を追い抜いていきます。

山の中での測量

山の中での測量

ふくらむスナック菓子

ふくらむスナック菓子

マウベシの子どもは、首都のディリに比べると人懐こいです。道を歩いていると「ボンディア!(おはよう)」「ボタルディ!(こんにちは)」と大きな声で挨拶をされます。私も挨拶を返すと、なぜか恥ずかしそうにしています。

子どもたちといえば、休みの日になると事務所の前のテラスが広くてちょうどいいからか、男の子たちがサッカーを始めます。これがものすごくうるさいのです。ほとんど金切り声をあげてボールを蹴っています。あまりにうるさいので注意をしようと出ていくと、「コレガ!コレガ!(友達)」と笑顔で握手を求めてきました。それでこちらもつられて「コ、コレガ・・・」となってしまって、けっきょく彼らが疲れ果てて帰るまで待っていました。

私は都会育ちなので、静かな田舎の生活に憧れを抱いていました。ところがこちらに来て判明したのは、田舎の生活はぜんぜん静かではないことです。

まず朝はまだ日が昇らないうちから、気の早いどこかの鶏が「コケコッコオォォォ!」と鳴き始めます。それにつられるようにほかの鶏も遠く近くで鳴き始めます。また民家では馬や牛、ヤギ、豚などを飼っていて、それら動物たちの鳴き声も聞こえます。犬もその辺をうろうろしていて、朝から晩まで吠えています。夜になるとカエルが草むらから「グエエ、グエエ」、部屋の中ではヤモリが「チチチッ」、道を歩いていると子どもたちが挨拶を・・・、とあげたらきりがないですが、とにかく田舎はちっとも静かではありませんでした。ただどういうわけか、マウベシでは夜はぐっすり眠れ、朝はすっきり起きられるのが不思議です。

子犬ものびのび

子犬ものびのび

(マウベシ事務所 大島大)

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