ベイルート大規模爆発被災者支援 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Fri, 14 Oct 2022 05:25:37 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 ベイルート爆発により破壊された歴史的建造物の修復、ビフォーアフターのご報告 https://www.parcic.org/report/syria_turkey_lebanon/beirut-explosion/21363/ Fri, 14 Oct 2022 05:25:37 +0000 https://www.parcic.org/?p=21363 2020年8月4日にベイルートで発生した大規模爆発。衝撃的な映像が日本のメディアでも流れて、覚えていらっしゃる方も多いかと思います。パルシックは、2021年、国際連合人間居住計画(UN Habitat)が開始した歴史的建物群等の補修事業に参加しました。このたびようやく事業が終了しましたので、前回記事での予告どおり修復された建物の様子をご報告します。

まず、本事業が始まるきっかけとなった、2020年8月4日のベイルート大規模爆発の発生地点(ベイルート港)の最近の様子を紹介します。

爆発地点の目の前に位置し、爆発で大きく破壊された穀物倉庫(サイロ)を覚えていますでしょうか。このサイロは、レバノン最大級であり、レバノン人の主食であるパンの原料の輸入小麦等を船から積み出し保管する保管庫でした。サイロを爆発後に完全に壊すか、負の遺産として記念公園のように残すか、さまざまな意見が飛び交う中、肝心なサイロは適切な処置がなされないまま2年間放置され、2022年7月、あろうことか発酵した穀物が発火し、煙が周辺住民を毎日悩ますようになりました。

そして、恐れていたことが起きたのです。7月31日、1回目のサイロ倒壊が、8月23日に2回目の倒壊があり、現在ではサイロの半分も残存していません。この倒壊では、爆発当時を思わせる大きな土煙を伴ったため、大規模爆発で身体的、精神的被害を受けた多くの市民のトラウマを呼び起こしました。

2020年8月4日のベイルート大爆発から2年後、放置され続けたサイロが倒壊する様子(Al Jazeera English)

レバノンでは、貨幣価値が暴落し、最低賃金の実質価値はこの2年間で月額450米ドルから実質30米ドル弱になりました。それに加えて物価の高騰により、シリア難民の9割が「生きるのに最低限必要な支出(SMEB)」以下で暮らし、レバノン人ですら2021年3月時点で78%が貧困ライン以下で生活する状況です。

この緊急事態に対応すべく、この歴史的建造物の補修事業では、補修に携わる人たちに貨幣価値の安定したアメリカドルで賃金の支払いをしました。最終的には100人以上が登録し、毎週細かな計算や微調整をしながら賃金を週払いで支払うことができました。

その中で、私が最も印象的だった、参加者のオクラさんを紹介します。 人懐っこそうな目が魅力的なオクラさんは、30年以上のキャリアのある木工職人で、この事業では爆発で損傷した木製の扉や窓等の補修を担当しました。オクラさんは、親切にも一度お話を伺ったことを機に、会うたびに手招きして私たちを仕事場に招いてくれて、自身が補修した窓や扉、またこれまでやってきた仕事や熟練スキルなどを熱心に、誇らしげに説明してくれました。私が他の用事で話ができそうにないとわかると、とても悲しい目をされたので、慌てて仕事場に話を聞きに行ったこともありました。

補修したガラス戸について説明してくれているオクラさん

深刻な経済危機に陥っているレバノンでは、スキルや学歴があっても仕事を見つけることが難しく、多くの人が国外に住む家族からの送金や、支援団体からの金員・物資支援で何とか生活を繋いでいます。そうした中で、生き生きと、誇りをもって働くオクラさんを見て、パルシックが労働機会を提供できたことの意義を感じるとともに、人間らしく尊厳をもって生きるとは何か、本当に必要な「支援」とは何か、改めて考えさせられる事業となりました。

それでは補修された建物のビフォーアフターを見てみましょう!

Before

爆発地点から1km弱にあるルメイル地区内の建物(番号711、712、713、695)の修復前の様子。修復を始めたばかりの2021/10/08に撮影。メンテナンス不足で建物が傷んでいたところに大規模爆発が発生し、大きく損傷していた

After

補修完工式典が行われた2022年9月7に撮影した番号711、712、713、695の建物

Before

別角度から見た番号711、712、713、695の建物の 2022年2月11日の様子。非常に寒い中でも補修作業が続けられました

After

修復後の同物件。文化財であるため、建物が建てられた100年前当時の伝統的な方法と材料を使って補修を行いつつ、現代的にカラフルにペイントされた建物が街を明るく彩ります。 2022年9月7日の補修完工式典では、屋上でレバノン料理がふるまわれました

Before

修復工事を始めたばかりの2021年10月8日に撮った、建物番号711, 713, 712, 715, 716の間にある共有スペース。石垣は崩れ、草木が無造作に生えていた

2022年3月17に撮った建物番号711, 713, 712, 715, 716の間にある共有スペース(別角度から撮影)。爆発で破壊され、再利用が難しい扉などの廃材が積まれていた

After

修繕及び土地の整備後の様子(2022年9月7日撮影)。廃材は撤去され、無造作に生えていた草木も除去し整地、石垣も元の石材を利用してきれいに組み直された

Before

ルメイル地区の物件711から714間の通路の様子(2021年12月17日撮影)。冬は雨季で冷たい雨が降る中で作業することもありました

上の写真と同じ場所。修復の様子(2022年3月17日撮影) 外壁の補修や、通路の整地などが行われていた

After

完成後の様子。モダンな建物とおしゃれな通路に生まれ変わりました(2022年9月7日撮影) 通路はタイルで舗装され、排水路も作られ、石垣もきれいに組み直されました

被害が大きすぎる建物や、崩れた石材の組み直しの承認に時間を要する等を理由に、補修作業が事業内で困難と見越した物件は、補修の対象外とされました。そのため、前回の記事でお見せした建物すべてが補修されたわけではありません。しかし、それでも11棟からなる建物群が補修(9棟の補修と2棟の構造補強)され、その間にある小道や共同スペースがより美しい形で再び蘇りました。

ルメイル地区713 建物に設置されたプレート。資金を援助した日本の国旗、事業を請け負ったUN Habitat、補修作業の計画・管理を行ったLIVE LOVE、またパルシック等の事業に関わった団体のロゴが施されている

補修事業の完工を祝う式典は、補修した建物群の中で行われ、レバノン市長、資金を提供した日本から在レバノン日本大使、また爆発以前に同物件に住んでいた住人たちも出席しました。

爆発で破壊されたもののきれいに補修された建物群に対し、未だに大きく破壊されたままのレバノン電力公社のビル、1日の大半が停電のため暗くなった街並み、またその奥で延焼を続けるサイロから漂う煙の悪臭というコントラストは、2年以上前に起こった大規模爆発が未だに清算されていないこと、またこの国が抱える政治的、経済的、社会的危機が解決したわけではないことを出席した人たちに再認識させるには十分過ぎるものとなりました。

補修された建物群の中のスペースで完工式典を行った。 写真の手前左は補修されたルメイル物件716、中央の建物は破壊されたままのレバノン電力公社ビル、その後ろは爆発地点であるサイロがある

(レバノン事務所 風間)

 

]]>
爆発事故で破壊された歴史的建造物を修復しています https://www.parcic.org/report/syria_turkey_lebanon/beirut-explosion/20121/ Fri, 14 Jan 2022 05:28:42 +0000 https://www.parcic.org/?p=20121 1. レバノンの状況アップデート

2021年後半のレバノンは、「シリア難民への教育支援事業 アルサールの学校でコロナ対策をやっています」でも述べた通り、経済・社会状況がますます悪化した時期でした。

貨幣価値が暴落、レバノンポンドで支払われる給与価値も合わせて暴落し、最低賃金の実質的価値はこの2年間で月額450米ドルから実質30米ドル弱になった一方、財政破綻したレバノン政府は物価上昇を抑制するための補助金をどんどんカットし、物価はうなぎのぼり。燃料が輸入できず、電気や車用燃料が不足・高騰、医薬品は手に入りません。通りを歩いても、タクシーに乗っても、聞こえてくるのはこうした話ばかり。

シリア難民の9割が、「生きるのに最低限必要な支出(SMEB)」以下で暮らし、レバノン人ですら、2021年3月時点で既に78%が貧困ライン以下で生活し、過去30日間で子どもが食事をとることができなかった日があった世帯が4月に37%であったものが、10月には53%まで上昇しています[1]

さらにこの年末からレバノンでもオミクロン株が確認され、新規感染者数が2,000人前後から過去最高の7,000人以上にまで急上昇[2]し、再度厳しいロックダウンがかかるかの瀬戸際の状況です。

2020年8月4日にベイルート港で発生した大規模爆発ですが、今でも爆発地点は、破壊されたサイロなど、ほぼそのままの状況で放置されています。200人以上が亡くなり、首都のインフラに大きなダメージを与えた爆発の責任の所在は未だに明らかになっておらず、事故原因の調査・裁判が、国内の政治団体間の緊張を高め、2021年10月にはベイルート市街地での銃撃戦にまで発展[3]しました。

2. 歴史的建造物補修事業に参加

大規模爆発が政治問題化されてしまう一方で、パルシックはレバノン人の共通の歴史遺産でありながら大規模爆発で破壊された首都ベイルートの歴史的建造物の補修事業に参加しています。

さて、突然ですが、ベイルートがどのように発展していったか、ご存じでしょうか。

レバノン人に彼らのアイデンティティを聞くと、「レバノン人」や「アラブ人」という回答と同じくらい多いのが「フェニキア人」です。実際、現代のレバノンの領域には、紀元前12世紀にはシドン(現在のサイダー)、ティルス(現在のティーレまたはスール)といったフェニキア人の都市国家が繁栄していましたが、1800年頃までのベイルートは、防御壁で囲われた人口5千人以下の意外と小さな町でした。しかし、19世紀前半から、オスマン帝国の近代化(タンジマート)に伴って整備されたベイルート港や、そのベイルートからシリア、イラク、イラン等をつないだ鉄道網等を通した貿易によって発展していきます[4]ヨーロッパとの交易ではベイルート港からは特に蚕の繭や絹がフランスのマルセイユに輸出され、海運輸送の基礎を作る契機となり、さらにレバノン初の銀行や金融取引所の設立につながっていきました[5]

こうして財を成した人々により、近辺の石切り場から運んできた石を積み上げた土着の建築様式に、オスマン帝国風のアーチ、イタリア風の窓の装飾、フランスの大理石の床材、イギリスの鉄製の柵等を組み合わせてベイルートスタイルの豪邸が作られていきました。そうした様式をベースに、レバノンの建物は徐々に、現代よく見られるような建築へと変化していきました。

日本では爆発の威力ばかりが取り上げられ、あまり詳しいことは報道されていませんが、まさにそうした歴史の中で紡がれてきた多くの文化遺産的建造物が、大きな被害を受けたのです。

19世紀にたてられたベイルーティハウス(手前の青色)、1930年台に建てられたとみられるアパート(その左後ろ)、21世紀にたてられたとみられる高層マンション(左奥)

さらに、レバノンでは爆発以前より、歴史的建造物の経年劣化や、1975年から1990年にかけて起きたレバノン内戦による破壊、その後の不動産ブームの中での歴史的建造物取り壊しと高層ビル建設という乱開発が問題となっていました。 短期的な経済的効率性の視点から見れば、それは正解なのかもしれませんが、特に多様な人々が住むレバノンにとって、地域の歴史や文化の記憶を守り、アイデンティティを形成するものとしての歴史的建造物や景観の歴史的、社会的、文化的価値は、大きいと言えます。実際、多くのNGOや国連により、ダメージを受けた歴史的建造物を補修し保全しようという動きが爆発発生後に活発化しています。

放置されたことによる経年劣化と大規模爆発でダメージを受けたレバニーズハウス。保全・管理するNGOが決まり、ずいぶん前からそのロゴの入った横断幕が掲げられているが、2021年12月末時点ではまだ補修は開始されていなかった

その一環で、2021年、国際連合人間居住計画(UN Habitat)が、在レバノン日本大使館の資金を受け、爆発地点から1km弱にあるルメイル(RMEIL)地区内の建物群等の文化財的建物群の補修事業を開始しました。そしてパルシックもその事業の一部を担っています。

事業地は赤のピンがたっている場所。爆発地点から800mほど

この地域は、ベイルートと北部の都市トリポリを結ぶ道沿いにあり、現在はおしゃれなカフェやバー、レストラン、昔からある雑貨店、住居等が立ち並ぶような地域です。対象の建物は、19世紀半ばから1930年頃に建てられ、爆発があった時には、住居やレストランとして使われていました。

パルシックの事業では、100人の人たちにこの補修事業に参加してもらっています。冒頭に述べた通り、レバノンに住む多くの人びとは、シリア人、レバノン人、パレスチナ人等、国籍に関わらず経済的に疲弊し、貧困状態に置かれています。経済危機により仕事の機会が減少し、レバノンポンドの暴落による給与の目減りと物価高騰に苦しんでいます。そのような人たちに労働の機会を提供し、少額ではありますが価値変動の小さい米ドルで支払いを行うことにより、比較的安心して働くことができるよう工夫しています。

現在、パルシックが参加している事業で修復工事が行われている建物をご紹介しましょう。

立派なレバニーズハウス。特徴的な3つのアーチは、窓、壁、屋根が破壊されていることがわかる。内部も壁や床等、傷みが激しい

1930年頃の初期のレバニーズハウスと現代建築の間の移行期に作られたアパート用住居。右奥には、爆発地点の目の前に立つ国営のレバノン電力のビルが見える

3つのアーチの窓と広いバルコニーが特徴的な建物。1階のおしゃれなレストランは爆発後に復活したが、上層階の補修が必要

この事業は20222月までを予定しています。事業終了後、建物がどうなったか、お見せできればと思います。

[1]UNICEF “VIOLENT BEGINNINGS: Children growing up in Lebanon’s crisis December 2021” 2021年12月
[2]Republic of Lebaon Ministry Of Public Health “Monitoring of COVID-19 Infection In Lebanon – 6/1/2022” 2022年1月6日
[3]AL-MONITOR “Six killed in shooting at Hezbollah protest over Beirut explosion probe” 2021年10月14日
[4]Beirut Heritage Initiative “Introduction to the Beiruti Houses: 1860 – 1925, Fadlallah Dagher” 2021年7月30日
[5]The Silk Museum “History of Silk The origins of silk and its Introduction to the Middle East” 2021年1月9日アクセス

(レバノン事務所 風間)

]]>
ベイルート大規模爆発緊急支援のご報告 https://www.parcic.org/report/syria_turkey_lebanon/beirut-explosion/19243/ Mon, 14 Jun 2021 02:39:38 +0000 https://www.parcic.org/?p=19243 2020年8月4日、レバノンの首都ベイルートで発生した大規模爆発から早9か月が経過しました。パルシックは、即座に報告会を実施するとともに、皆様からいただいたご寄付で、食糧バスケットや衛生用品をベイルートに住む150世帯(約750人)の人びとに配布しました。さらに、パルシックは、2020年12月より食糧、衛生用品、家屋補修支援を行いました。

レバノンでは、ベイルート大規模爆発により191人が亡くなり、6,500人が負傷しました。9,100の建物に住む約219,000人が爆発の直接的影響を受け[1] 、爆発で少なくとも70,000人が職を失ったと推計されています [2]

爆発地点から1km以内にある、爆発から半年以上たっても壊れたままの建物。

しかし、爆発発生以前よりすでに、2019年後半に始まった経済危機と新型コロナウィルス感染拡大の影響で、レバノンに住む人びとの生活は困窮し、人口の55.2%が貧困ライン以下の状態にありました[3]。こうした何重もの負の影響により、過去1年半で実質的な通貨の価値は1米ドル=1,500レバノンポンドから、12,000ポンド(2021年3月には一時15,000ポンド)にまで下落、実質的な最低賃金は月あたり450米ドルから約50米ドルにまで低下しました。失業率も上昇しているにもかかわらず、食糧価格はレバノンポンド建てで400%値上がりしています。レバノンは、米ドルとレバノンポンドの2つの通貨を日常的に使うため、米ドルを持っている人やお金持ちしか食糧を買えないような状況に陥っています。

下の図は、10,000レバノンポンド(公定レートで6.67米ドル)で何が買えるかを示したものです。2019年3月には、牛乳1リットルに、トマト、オレンジ、リンゴ、キュウリ、米、チキンが1kgずつ買えたものが、2021年3月には牛乳1リットルしか買えなくなりました。その結果、避難生活を強いられているシリア人や他の国から避難している難民や移民などの生活に困難を抱えた人だけでなく、レバノン人でも、最低限の食糧を買うために借金をする人が増加しています。

AL Jazeera “Lebanon faces tough Ramadan amid ‘insane’ food prices” 2021年4月17日より抜粋。

食糧だけではありません。レバノンは、製造業が発達しておらず、野菜や果物以外の食糧、日用品、その他物資のほとんどを輸入に頼っているため、通貨価値の下落は原則そのまま国内販売価格に反映されます。爆発で家が破損した人びとも、物価上昇により自力で修理することが難しい世帯が多くありました。

また、新型コロナウィルスは、クリスマス・年末年始シーズンの2020年12月から2021年1月にかけ、感染者が急増し、人口約600万人のレバノンにおいて、最大で1日当たり6000人を超える新規感染者が確認され、医療崩壊の様相を呈しました[4] 。お金がないために、マスクなどの衛生用品を買ってコロナ対策ができないという状況もありました。

食糧バスケットは、ベイルート大規模爆発地点から3km以内に住む1,500世帯に対し、月1回4か月間、また衛生用品は、同じ1,500世帯へ1回配布しました。

食糧バスケット配布の様子。米、パスタ、豆、缶詰などの保存のきく食糧を中心に詰め合わせました。

新型コロナウィルスの感染者の増加や、それに伴うロックダウンなど、様々な障害はありましたが、感染防止策として、スタッフの手の消毒・マスク着用を徹底するだけでなく、広い配布場所を選び、受け取り時間をずらすことで、一斉に受け取りに殺到することを防ぎました。また、配布場所には、地区長や、市の職員の方々にも配布場所に毎回来ていただけたことで、大きな混乱なく配布を終えることができました。

受け取りに来た方々の受付を手前の机で行い、奥のトラックに積まれた食糧バスケットを手渡す様子。動線を工夫し、ドライブスルー方式で迅速に配布が行えるようにしました。

自営業を営む50代の男性は、「2019年10月に始まった政情不安以降、新型コロナウィルス感染対策のためのロックダウンも重なり仕事ができずにいたところ、2020年8月の大規模爆発でオフィスが破壊されました。ようやくこの2021年2月にオフィスの補修が済んだところです。収入がなかったので食糧配布は助かります。」と話していました。また、「妻も私もまだ仕事はありますが、収入は半分に減ってしまいました。全てのものの値段が上がっているので、食糧や衛生用品バスケットでその分を節約できます。」という小さな子どもを持つ30代の男性もいました。

また、鍋やフライパン、コップ、スプーン、フォークなどが入った調理器具・食器のセットを136世帯へ配布しました。これは、爆発の影響で調理器具や食器が壊れたものの、新しいものを買う余裕がない人がいたためです。乗合バンの運転手の夫と子ども3人と住んでいる50代の女性は、爆発でアパートが揺れたこと、キッチンの屋根が一部落ち、窓ガラスが割れたこと、食器も満足にないことなどを話しながら、配布したセットを見て、「まるでラマダーンみたい!」ととても喜んでくれました。いつもラマダーン月は、家族や親戚と家やレストランで断食明けの食事をして、街やスークをぶらぶら歩いてショッピングを楽しむのですが、ここ1年半は経済危機で食料を買うのも大変で、食料品以外のものには、なかなか手を出せなかったのです。

配布した調理器具・食器セットに喜ぶ女性(右)

加えて、14世帯への家屋補修も実施しました。多くの世帯では優先順位の高い窓ガラスなどの補修は済んでいました。しかし、爆発の衝撃で老朽化したアパートにひびが入り、そこから水がしみ込んで変色したり、壁がはがれたままになっているなど、窓ガラスと比べて優先順位が低いものの、補修する必要があるダメージを主に補修することができました。看護師として働いていたがもうずいぶん前から仕事がなく、家族の支援に頼っているという一人暮らしの60代の女性は、「最低限の窓ガラスの補修は借金をして直したけど、それ以上のことはできないままでした。今回家のはがれた内壁を直してもらい、家がきれいになってうれしいです。ありがとうございます。」と笑顔で話してくれました。

爆発の衝撃で割れた壁を補修している様子

5月13日をもってこの事業は終了しました。しかし、爆発地点に近く、破壊の程度が大きかった建物、病院や学校などの公共施設はいまだに満足に補修されていないものもたくさんあります。また、障害を負った人びと、精神的な傷が癒えない人も多く存在します。

そして難民として生活するパレスチナ人やシリア人の人びとは一般的にレバノン人よりも厳しい状況に置かれています。レバノンのパレスチナ難民は、1948年のイスラエル建国宣言とそれに伴う戦争以降にレバノンに逃れ、それ以来レバノンで住むことを余儀なくされています。またシリア国内では戦闘が収まってきていると言われているにも関わらず、レバノンにはいまだに90万人近い登録シリア難民と約50万人の非登録のシリア難民がいます。多くの難民が帰国すれば身の危険をがある、徴兵されたくないなどといった理由で帰国できないでいるのです。

レバノンの経済状況は悪化し、回復の兆しが見えていません。パルシックは今後も引き続き状況を注視し、必要とされる活動を出来る限り行って行きます。

[1]UNHCR “Beirut Port Explosions: Shelter Sector dashboard (October 2020)” 2020年10月13日
[2] ACAPS, EMERGENCY OPERATIONS CENTRE BEIRUT ASSESSMENT & ANALYSIS CELL Analysis of humanitarian needs in Greater Beirut, 25 August 2020 P11
[3]ESCWA “POVERTY IN LEBANON: SOLIDARITY IS VITAL TO ADDRESS THE IMPACT OF MULTIPLE OVERLAPPING SHOCKS” 2020年8月19日
[4] ASHARQ ALAWSAT “Top Lebanese Hospitals Fight Exhausting Battle against Virus” 2021年1月22日

(レバノン事務所 風間)

※この事業はジャパン・プラットフォームからの助成と皆さまからのご寄付で実施しています。

]]>
【ベイルート大規模爆発レポート】#4 皆さまからのご寄付で食糧・衛生用品の配布を実施しました! https://www.parcic.org/report/syria_turkey_lebanon/beirut-explosion/17676/ Thu, 10 Sep 2020 09:45:28 +0000 https://www.parcic.org/?p=17676 【ベイルート大規模爆発レポート】#3へ

こんにちは! 8月4日夕方に起こったレバノン・ベイルート大規模爆発の影響を受けた人びとを支援するため、8月7日から[ご寄付のお願い]レバノン・ベイルート大規模爆発 緊急救援を立ち上げさせていただいておりましたが、9月9日までに100万円ものご寄付が集まっております。本当にありがとうございます。

8月31日、大切なご寄付を使わせていただき、爆発の被害を受けたベイルートのアシュラフィーエ地区の150世帯(約750人)に食糧と衛生用品を届けることができました。

配布場所の背景

レバノンでは、2020年7月の食糧価格が、昨年10月比で4.36倍に高騰[1] した一方で、新型コロナウィルスの影響によるロックダウンや経済危機により収入が途絶えた人が多く、2020年5月時点でレバノン人口の55%以上が貧困層に陥っていました[2] 。更に、8月4日の大規模爆発以降、少なくとも70,000人が職を失ったとされています[3] 。食糧を買うのも、家を直すのも、新型コロナウィルス対策のマスクや消毒液を買うのも難しい人びとが大勢います。

今回、物資配布を行ったアシュラフィーエ地区は、爆発地点より1~3キロの地域にあり、爆発地点よりは少し離れていますが、爆発により窓ガラスや窓のサッシ、ドアも壊れるような被害を受け、多くの方が負傷されました。しかし、どうしても爆発地点により近い場所への支援が優先され、支援を必要としているのに受けられていない人が存在していました。そこでパルシックは、頂いたご寄付で支援の行き届いていないアシュラフィーエ地区に支援物資を届けることにしました。

8月25日の時点で調査できているガラスやドアが壊れる等の被害を受けた地域。被災地域が広大で調査ができていないだけで、実際は色の塗られていない地域でも被害を受けている。アシュラフィーエ地区は、右下の青い丸の地域。 引用元:UNHCR_Beirut Blast Shelter Damage Assessment Map _25th Aug

配布の様子

 配布は炎天下の中、汗を流しながら、新型コロナウィルス感染予防のためマスクとゴム手袋を付けながら行われました。レバノン人やシリア人、アフリカ系の移民労働者と思われる女性など、国籍を問わず支援を必要としている人びとへ、米やパスタ、ひよこ豆、レンズ豆、トマト缶、ツナ缶、植物油等の入った食糧バスケットと、マスクや消毒液などが入った衛生用品バスケットを配布しました。配布を受け取った人や、配布を仕切って頂いた地域のまとめ役、また提携団体のスタッフより、日本の皆さんへの感謝の言葉を頂きました。

配布物資を手渡す。

食糧バスケットの中身

衛生用品バスケットの中身

受け取った人びとの声

①レバノン人女性

レバノン人の60歳程の女性に話を聞くと、「爆発で部屋の窓やドアの多くが壊れたの。本当は賃貸アパートだから大家が直すのが筋だけど、大家からは『お金を出せない』と言われ、自分で修理するしかない。寝たきりの母の介護をする必要もある。でも、以前は裁縫の仕事をしていたけど今は全く仕事が無いし、同居する兄弟にも収入が無いわ…」とのことでした。

女性は、話している最中に近寄ってきた子どもに対し、「盗み聞きしないで!」と追い払っていました。女性は身なりもしっかりしており、元々は中流家庭に属していたのかもしれません。しかし、昨年10月からの経済危機で中流家庭の割合は57.1%から39.8%に減少し、貧困世帯が27.9%から55.2%へ倍増しました[4] 。提携団体によると、期せずして自分が支援を受ける側になってしまったことに戸惑い、恥だと考えるレバノン人も多いといいます。しかし、人道憲章[5]で「尊厳ある生活への権利、人道支援を受ける権利、保護と安全への権利」が定められている通り、そうした権利のために人道支援を受けることは人間として当然の権利です。また、私は、好き好んで支援を受けるために生きている(生きてきた)人はいないと思います。「あいつらは物乞いや難民をビジネスとしてやっている。自己責任だ、怠け者だ。」という言葉を聞くことがあります。しかし、物乞いをするために生きてきた、というよりも、その人がたまたま置かれた社会・経済・政治状況、家庭環境など、自分ではどうしようもない力により、そうせざるを得ない状況に追い込まれていった可能性はないでしょうか。社会や政治が問うべきは、個人の責任というよりも、その人をとりまく環境ではないでしょうか。

②シリア難民の家族

「こんにちは」と日本語で挨拶をしてくれた13歳の少女、ヒバちゃんとその兄弟2人について行くと、シリア危機でアレッポから8年前にレバノンに逃れてきたという、シリア難民の家族にもお話を聞くことができました。一家が暮らす部屋はアパート1階の管理人室で、小さなキッチンに小さなバスルーム、そして3畳ほどの三角形の部屋と1畳ほどの玄関があります。家族構成を聞くと、お父さんとお母さん、上は13歳から下は0歳の5人の子ども、そしてお母さんの兄弟1人の計8人世帯。共同トイレ・共同浴場・3畳間の学生寮に住んでいた私も、4畳ほどの部屋に物理的に8人一緒に住むのは可能なのか分からず、戸惑った表情をしたところ、33歳のお母さんが「夜は8人みんなで並んで寝るのよ」と笑って教えてくれました。

お父さんがアパートの管理人として働いているため家賃は免除されていますが、管理人と洗車の仕事をかけ持っていても、経済危機で通貨の価値が下がり物価も上昇している今、「肉は月に一回、魚は月に二回しか食べられない」と言います。お母さんは0歳児の母乳育児中、さらに成長期で栄養が必要な子どもが4人もいるにも関わらず…、どうやって生活しているのでしょうか。11歳の長男は、爆発で割れたガラスにより脚に5cmほどの深い切り傷を負ったそうですが、家計を少しでも支えようと8歳の頃から働いているというレストランでその日も働いており、不在でした。

次男のユースフが「どうぞ!」と言いながらくれた水を持ちながら、ヒバちゃんにレバノンでの生活について聞くと、「この国では普通の生活ができない。シリアでは大きな家があった。でも今は破壊されて帰れないんです」。彼女は学校にも通っていたそうですが、3月以降は新型コロナウィルスの影響で閉鎖され、感染が怖く、友達にも会いに行けないため、ずっと家で過ごしているそうです。そんな中、彼女が始めたのが韓国語と日本語の自主学習でした。とてもしっかりした聡明な雰囲気のヒバは、「将来は日本などの外国で勉強したい」と言います。そんな彼女を、お父さんもお母さんもとても誇らしげに見ていました。

ヒバちゃんから頂いた日本語のメッセージ

いつシリアに帰れるかもわからず、食べ物すらまともに買えない状況で、この一家が厳しい環境で暮らしているのは間違いありません。しかし、それでも仲良く明るい気持ちを保ち、何とかこの危機を乗り切ろうとしている姿が非常に印象的でした。

長くなりましたが、皆様から頂いたご寄付で行った支援が、こうした人びとの、人間として普通に食事をし、健やかな生活を送るという当然の権利を守ることの一助になったということが、この記事から読み取って頂けましたなら幸いです。

[1]2020年8月25日 食糧セクターのワーキンググループで共有された資料 ” 20200825_FSSWG National Working Group – Situation Analysis_final”
[2]ESCWA “POVERTY IN LEBANON: SOLIDARITY IS VITAL TO ADDRESS THE IMPACT OF MULTIPLE OVERLAPPING SHOCKS” 2020年8月19日
[3] Acaps “EMERGENCY OPERATIONS CENTRE BEIRUT ASSESSMENT & ANALYSIS CELL Analysis of humanitarian needs in Greater Beirut” 2020年8月25日
[4] ESCWA, “POVERTY IN LEBANON: SOLIDARITY IS VITAL TO ADDRESS THE IMPACT OF MULTIPLE OVERLAPPING SHOCKS” 2020年8月19日
[5]1997年にNGOグループと国際赤十字・赤月運動が開始したスフィアプロジェクトにおいて、「人道対応に関する最低基準」とともに策定された。すべての災害や紛争から影響を受ける人びとは尊厳ある生活を営む権利を有して おり、そのための保護と支援を受ける権利を保有するという、人道支援に関わる人びとの共通認識を明文化している。

(レバノン事務所 風間)

レバノン・ベイルート大規模爆発 緊急救援キャンペーン 配布報告

募金総額: 122万円(120件)
食糧バスケット: 米やパスタ、ひよこ豆、レンズ豆、トマト缶、ツナ缶、植物油など× 150世帯
衛生用品:マスク、消毒液、使い捨て手袋、トイレットペーパーなど × 150世帯

]]>
【ベイルート大規模爆発レポート】#3 爆発から3週間。シリア難民、レバノン人、人びとの声。 https://www.parcic.org/report/syria_turkey_lebanon/beirut-explosion/17562/ Wed, 26 Aug 2020 01:26:52 +0000 https://www.parcic.org/?p=17562 【ベイルート大規模爆発レポート】#2へ

8月4日、ベイルート港で発生した大規模爆発から3週間が経過しました。ベイルート市内のおよそ半数にあたる26カ所の医療施設と、120以上の学校が被害を受けましたが、施設の修復には時間がかかると言われています。今、被災地ではどんなことが起きているのでしょうか。

爆発後の大きく損壊した建物で、シリア難民は今も暮らしている。

階下で暮らすシリア難民の子どもたち。

上の写真は、爆発の中心地から約1.5キロのカランティナという被災地で8月23日に撮影したものです。これは廃墟でしょうか。いいえ、この部屋で、今も、シリア難民の男性が寝泊まりをしているのです。シリア難民のカリームさん(仮名)一家は、この貧しい工業地帯にある4階建ての建物の屋上に、簡易の小屋を建てて住んでいました。

8月4日の爆発によって、屋根と壁が吹き飛び、幸いにして大きな怪我はなかったものの、家は住み続けることができなくなってしまいました。避難するといっても、他に頼る先もなかったため、階下に住むシリア難民の一家のところに、子ども2人と奥さんを一時的に住ませてもらうことにして、父親のカリームさんだけは、壊れたままの天井裏に住み続けているのです。NGOが家屋の修理を開始したものの、家族揃って家に住めるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

カリームさんの息子さん(4歳)は、爆発が起こってから、一人でいることを嫌がるようになり、お手洗いすら、一人で行けなくなってしまいました。このような小さな子どもが赤ちゃん返りすることは、災害に直面した子どものごく自然な反応であって、適切なサポートを受けることができれば自然と回復していきます。

カランティナの一角にあるこの地区には、レバノン人が約150世帯、シリア難民が約300世帯、パレスチナ難民が1世帯と、工場で働く移民たちが住んでいます。レバノン人のおばあさんが住む世帯を訪ねたところ、「シリア難民は国連から住居の修復や現金支給などを受けているのに、私たちレバノン人は地元NGOと軍からの一時的な食糧配布だけ。家の修復も、NGOが査定に来ただけで、誰も修復してくれない」と語りました。この地区では、シリア難民とレバノン人の間で、支援の格差を巡って、わだかまりが生じています。

レバノン人女性とシリア難民の子どもたち。

もう一軒、シリア難民の家庭を訪ねました。小さな建物の2階にはレバノン人のファティマさん(仮名、写真左)一家が住んでおり、その上の階にはシリア難民のマリアムさん(仮名)一家が住んでいます。軍による食糧配布があった際に、マリアムさんは食糧を受け取りに行っていいのか、迷ったそうです。しかし、ファティマさん一家が一緒に行ってくれたので、マリアムさん一家も食糧を受け取ることができました。

多くのNGOが食糧配布を行っていますが、一家全員が列に並んで他の家族の分を取ってしまうようなケースや、他の地区のシリア難民が大勢押しかけて食糧を持って行ってしまうケースも発生しており、地区のリーダーが各世帯の建物の損害状況などを自主的にまとめ、配布がある度に調整を行っています。

本来、こういったことは自治体が行うべきですが、自治体がうまく機能していない地域では、コミュニティの自助力が重要になってきます。今、被災地でよく言われている言葉は、「コロナの方が、政府よりはまだましだ。」避難所の設置や家屋の修復など、住民が当然受けることができるはずの支援が行われないことへの苛立ちを、被災地の人たちは、日々感じているのです。自治体によっては、食糧配布や家屋の査定を素早く実施している地域もあります。貧困地域であればあるほど、シリア・パレスチナ難民や出稼ぎ労働者などの割合が多く、自治体が機能していないため、いわゆる「差別されてきた地域」において、他の地域との支援の格差が既に表出してきています。

シリア難民のマリアムさん一家は、2011年、シリアのホムスから、内戦を逃れてレバノンに避難してきました。マリアムさんは、「シリアでの戦争も恐ろしかったけど、こんなに恐ろしい大きな爆発を体験したのは初めてだった。家の窓が吹き飛んで、生きた心地がしなかった。親戚を頼ってベイルートを離れたけれど、そんなに何日も人様に迷惑はかけられない。3日して、またこの壊れた家に戻ってきたのよ。」と言いました。

マリアムさんの3人の子どものうち、ラグダちゃん(仮名、13歳、写真右から2番目)は、夜眠れない日が続いたそうです。ラグダちゃんは、地元の公立学校に今年の3月まで通っていましたが、新型コロナウィルスの蔓延に伴い、教育省が学校を閉鎖してから、一切、教育支援を受けていません。ラグダちゃんは言いました。 「私の学校は、オンラインでの授業やアプリを使った課題などは何もないの。3月から、何にも勉強してないわ。教科書も学校に置いたままなの。毎日、妹や弟と家の中で遊ぶだけ。外で遊ぶのも、コロナにかかったら怖いから、ずっと家にいるの。」

地元には、教育支援を行っているNGOなどもないそうです。コロナが世界にもたらした禍(わざわい)には数限りがありませんが、教育の機会を失ってしまった姉妹も、この見捨てられた地区の象徴の一つと言えるのかもしれません。そんな状況をあざ笑うかのように、大規模爆発発生後にコロナの新規感染者は増え続け一日あたり600人を超え、特に被災地にコロナウィルスは確実に入り込んできています。爆発後、着の身着のまま逃げるしかなかった人も多く、一時避難したり、家を修復したり、支援を受け取ったりする際に、「三密」を避けられない状態が続いたため、爆発的に患者数が増えてしまいました。岐阜県程度の大きさのレバノンでは、23日時点で、新型コロナウィルス患者数が12,000人を超えてしまっており、医療体制は限界を既に超えています。

レバノン内戦より恐ろしい体験だったと語るジアードさん(仮名、左)。

倒壊寸前の建物。

最後にレバノン人のご夫婦を訪ねました。建物の入口は瓦礫だらけで、家の中は、鉄の突っ張りが張り巡らされ、今にも建物は崩れ落ちてきそうな状態です。日本であれば、即退去するように言われるでしょう。しかし、ジアードさんは言いました。「わしは、もう61歳だ。他に移動すると言ったって、そんなお金もないし、仕事もない。わしは、レバノンで15年間続いた内戦(1975~1990年)も生き延びた。でも、こんな巨大爆発は体験したことがなかった。しかし、今後、どんなことが起こったとしても、わしらは、結局、ここで生き延びていくしかないんだ。命が助かっただけで感謝しなければ。」

地元のボランティアが集まって給食を届ける活動を行っているFood Blessedの皆さん①

地元のボランティアが集まって給食を届ける活動を行っているFood Blessedの皆さん②

そう、幾度の戦いをくぐり抜けてきた地元の人たちは、政府に頼ることができない分、互いに助け合うことで生き延びてきましたし、簡単には崩れ落ちない強さも持っています。爆発が起こった直後から、NGOを始め、一個人による支援活動も盛んに行われています。清掃や家屋修復、炊き出し、一時的な家の提供、募金、心理サポートにいたるまで、支援活動が多岐にわたっており、その迅速な活動ぶりは、他の被災国を凌ぐものがあります。

地元NGOである「Food Blessed 」も、その一つです。元々、結婚式などで大量に廃棄される食べ物を減らし、困っている人たちに届けるために立ち上がった団体で、連日、数十名のボランティアと共に、給食を作っては、被災者の方々に届けています。団体の副代表を務めるヌーラさんは言います。「私たちは、全員ボランティアで活動しているの。レバノンの経済危機のせいで、正直に言うと、私たちも、本当に生活していくだけで大変なのよ。でも、私たちの給食を心待ちにしてくれている人たちがいると思うと、また頑張れる気がするの。」

【ベイルート大規模爆発レポート】#4へ

(レバノン事務所 南)

*パルシックでは緊急の食糧支援を実施します。ぜひ、皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。

[ご寄付のお願い]レバノン・ベイルート大規模爆発 緊急救援

]]>
【ベイルート大規模爆発レポート】#2 爆発から2週間。市民とNGOによる懸命な活動が続いています。 https://www.parcic.org/report/syria_turkey_lebanon/beirut-explosion/17502/ Tue, 18 Aug 2020 06:42:21 +0000 https://www.parcic.org/?p=17502 【ベイルート大規模爆発レポート】#1へ

8月4日の夕方に突如爆発が起こってから、8月17日現在、死者数は178人以上、負傷者6000人以上に上っています。慟哭と嘆きの中、危険な爆発物を放置していた政府に責任があると、市民による抗議活動が連日続きました。日本だったら、すぐに避難所の設置、自治体や政府による緊急支援などが実施されるでしょう。ところが、レバノンでは、2週間経った今も、政府による避難所は設置されていません。それどころか、度重なる抗議活動の結果を受けて、10日、レバノンのハサン・ディアブ首相は内閣総辞職を発表しました。主導となるべき政府が機能していない中、現場ではどんな活動が行われているのでしょうか。

ベイルート地図。オレンジで囲った場所が爆発の起きた港湾地区。

爆発後の現場。穀物保管庫以外は、全て倒壊した。

写真の左中央に写っている白い建物は、穀物保管庫で、その前が爆発の起きた現場です。このあたり一帯には多くの建物が並んでいましたが、一瞬にして崩壊し、今は見る影もありません。レバノンは食糧品の8割以上を輸入に頼っていましたが、ベイルートの港が爆発によって破壊されたため、今後、一か月以内に国内の小麦粉はなくなるのではないかと言われています。つまり、激しい物価高の中、最も安価に食べることのできた主食のパンが市場から消えてしまうということです。

爆風によって剥き出しになった骨組み。

爆発地点から約1.5キロ程度の地域では70%以上の住民が避難を余儀なくされた。

これは、爆発から4日後に最も被害の大きかった地域の一つであるカランティナで撮影したものです。爆風によって建物の骨組み部分が飛び出ています。爆発から2日後に行われた調査によると、この地域の大半は、人びとが居住できない状態になってしまいました。しかし、住民の3割ほどは、未だに半壊・一部破損家屋に住み続けています。1,000人以上の方は、親戚や支援などを頼って他の場所へ避難しました。

人びとに愛されていた芸術家の街が一瞬にして崩壊した。

ただ、一人、崩壊寸前の建物に住み続けるローズさん。

レバノンの首都、ベイルートにはおしゃれな通りがいくつもあったのですが、その一つがベイルート港のすぐ近くにあるジュメイゼという地区でした。様々なレストランなどが立ち並び、地元の人やヨーロッパの人、芸術家や難民など、多種多様な人びとが住んでいた一角でしたが、爆発によって一瞬で廃墟と化しました。現時点で、この地域に住み続けているのは、ローズさんという高齢のおばあさん一人だけです。元教師だったというローズさんは、「誰がなんといおうと、私は自分の愛するこの家を離れない。なぜ、政治家は何もしてくれないの。汚職ばかりを続ける彼らを許すことはできない」と憤っていました。

そう、政府から何の援助もない中、昼夜なく人びとを支援するために活動しているのは、全国から駆け付けた人びととNGOなどの団体なのです。

家から掃除道具をかき集め、全国から続々と集まった清掃ボランティアの人たち。

パルシックの提携団体の職員とボランティアの方たち。

今回の爆発で奇跡的に助かった方々もおられました。ジュメイゼでタクシーの運転手を長年してきたナシームさん(66歳)も、そのお一人です。4日の夕方、ナシームさんは車に乗った瞬間、ものすごい爆風が来て、20メートルほど吹き飛ばされたそうです。その直後に、6階建ての建物が崩れ落ち、ナシームさんの大切な愛車は押しつぶされました。ナシームさん自身も、身体中に大けがを負い、必死で病院まで行きました。病院は怪我人だらけで、お医者さんや看護士さん自身もかなりの怪我を負っており、長時間待ってから、何針も縫う処置をしてもらったそうです。

ナシームさんは言います。「ぼくは、長年、タクシーの運転手をしてきたんだ。けれど、物価が数倍にも値上がりして、一日の稼ぎが3,000円ほどだったのが500円になってしまった。その上、この仕事道具だった愛車を失ってしまって、今後、どうして生活していけばいいのだろう。保険にも入っていたが、今回は事故ではないので、何の修理もできないと言われてしまった」。

一瞬にして崩れ落ちてきた6階建ての建物に押しつぶされたナシームさんの車。

日本を敬愛すると語るナシームさんの優しい笑顔。

そんなナシームさんに日本に対して、何か伝えたいことはありますかと聞きました。するとナシームさんは、「ぼくは日本が大好きです。なぜなら、日本人は人種差別することなく、見返りを求めることなく、どんなところでも支援活動をするから。私は日本を敬愛しています。私の愛車も日本製だったんですよ。」と語りました。全てを失ってしまったナシームさんは、私に向かって、「ここに来てくれてありがとう」と、こんなにもあたたかい笑顔を見せてくれました。内戦を経験したり、多くの苦労を重ねてきたナシームさんの輝くような笑顔に出会って、本当に何とも言えない切ない気持ちになりました。 ニュースでは、カルロス・ゴーン氏や腐敗した政治家のことばかりが取りざたされるので、もしかしたら、レバノンには心根の悪い人間ばかりが住んでいるようなイメージをもたれている方もいるかもしれません。しかし、私はこの国で5年以上働いていますが、本当に素晴らしい、心のあたたかい方々にどれほど巡り合ってきたことでしょう。そして、そんな人たちが口をそろえて、「私は日本が大好きです。日本人は約束を守り、とても誠実な人たちが多いと聞いています。この国も日本のようにいつかなってほしい」と言うのを聞いてきました。どうか、こんなに日本から遠く離れた中東の国レバノンに住むレバノン人、シリア人、様々な人種の人びとが、こんなにも日本をこよなく愛し、尊敬していることを知って頂けたらと思います。

最後に、私の若き友人であり、芸術家でもあるレバノン人のハヤさんが首都ベイルートの爆発後に詠んだ詩(意訳)をここに記したいと思います。

愛する街、ベイルートは一瞬にして変わり果ててしまった。(出典:the961.com)

「ベイルート、あなたは今も私の知ってたベイルートでしょ。 ベイルート、あなたのにおいをかぐと、懐かしい香りがする。 でも、その夜、あなたは変貌した。 私は、あなたが崩れ落ちるのを見た。 ベイルート、私はあなたが泣き叫ぶのを夜通し聞いた。 それとも、私たちの嘆きが廃墟にこだましてただけ? ベイルート、あなたは血を流し、私たちの体内からも血が流れ出た。 ただ、理不尽なことのために、互いの血が流れた。 ベイルート、あなたは嘆き、私たちもすすり泣く。 こんなに魂が枯渇したように感じたことはない。 私たちの心は壊れ、魂は砕け散った。 ベイルート、あなたは変わり果ててしまった。 私たちも、以前の私たちではない。 前よりも、強くなって、でも同時に弱り果ててしまった。 やるせない怒りと雪辱の思いをどこに向ければいいのか。 ベイルート、変わり果てた私たちのことを、まだ覚えている? 床からあなたの手足を引きずりだして助けようとしている私たちのことを。 飛び散った銀色のガラスと毒まみれの灰の中から、失った私の心をどうか見つけて。」 (出典(原文英語):Facebook: https://www.facebook.com/haya.khoury.908 (c)Haya Khoury)

本当に多くのかけがえのないものを失った中で、昼夜、NGOと人びとの支援活動は続いています。わたしたちパルシックは、長年信頼を培ってきた提携団体と共に、食糧・衛生用品の配布や心のサポートなどの活動を計画しています。経済危機の影響によって、この冬には餓死者が多数出ると言われていたレバノン。爆発の結果、今後はさらに逼迫した状況が続くことになります。しかし、「必ずできることはある」と信じて、実に多くの人が現場活動を行っています。日本の皆さんからの力強い支援が、明日への継続的な活動につながります。

【ベイルート大規模爆発レポート】#3へ

(レバノン事務所 南)

*パルシックでは緊急の食糧支援を実施します。ぜひ、皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。

[ご寄付のお願い]レバノン・ベイルート大規模爆発 緊急救援

]]>
【ベイルート大規模爆発レポート】#1突如起こった爆発事故。経済危機、コロナ、爆発…。今、我々に何ができるのか。 https://www.parcic.org/report/syria_turkey_lebanon/beirut-explosion/17403/ Thu, 06 Aug 2020 07:14:30 +0000 https://www.parcic.org/?p=17403

轟音とともにあがったきのこ雲

それは、8月4日の夕方6時半頃に突然起こりました。7月末から続くロックダウンが2日間だけ解除され、多くの人が海岸沿いを散歩したり、レストランへと出かけたりしていた時間をまるで狙ったかのように、大きな轟音がレバノンの首都ベイルートに響き渡り、地鳴りのように建物が揺れました。慌てて外に飛び出したところ、大きな雲のようなものが上空に見えました。後で広島出身の友人は、これはまるで原爆のきのこ雲のようだと表現していましたが、私は、おそらく、また自爆テロが起きたのだろうと思いました。車がすごい勢いで次々と通りすぎ、大勢の人が通りに飛び出てきては泣き叫ぶのを見ながら、職員同士の安否確認を行い、ひとまず日本人職員3名が無事だということがわかり、ほっとしました。

自宅のある建物の一階。ガラスが吹き飛び、取っ手だけが残された。冬まで扉はないままかもしれない。

何が起こったのか情報が交錯する中、ひとまず外出先から自宅に帰ることにしましたが、路上はいたるところに、ガラスの破片が飛び散り、夏の光を浴びてギラギラと光っている道を踏みしめながら家に帰りました。私の住む建物は、爆心であったベイルートの港から2キロ以上離れていましたが、地上階のガラスの扉は全て吹き飛び、扉の取っ手と破片だけが残っていました。次第に港に放置されていた化学物質が何らかの原因により突如爆発したということ、多数の怪我人と死者が出ていることがわかってきました。

赤と白の煙が立ち上り、この世とは思えないような光景が広がった。

ひたすら、情報収集と安否確認に務めましたが、事件なのか事故なのかわからぬまま、ガラスの掃除をする音や救助を求める声、救急車の音が錯綜する中、一夜が明けました。既に7月後半から新型コロナウィルス感染者が連日100人を超え、どの病院もこれ以上患者を受け入れることができなかった上に、幾千人もの重傷者が病院へと押し寄せ、中には地方都市まで搬送されたケースもありました。8月5日現在、死者は135名以上に上り、怪我人は5,000人以上を超え、爆風により家を失った人は30万人を超えることが判明し、レバノンは非常事態宣言を発しています。

レバノンは、昨年10月に政府に抗議するための大規模ストライキが発生して以来、終焉へと向かってひた走る列車のように、経済危機、異常な物価高騰、物資欠乏、コロナ禍と、世界の中でもこれほどの苦しめられている国があるのかと思うほど、次々と様々なことが起こり、国民は既に耐えられないほどの苦渋を味わっていました。その上に、突如起きたこの爆発で、24キロ平方まで被害が生じたとも言われており、多くの家の窓ガラスが損傷し、人びとが怪我をしたままの状態です。しかし、物価高騰と輸入品の欠如により、既にパンすら買うことも難しい状況の中で、どうやって今後、人びとは新しいガラスを購入し、家を建て直していけばいいのでしょうか。

爆心地に近い車両や建物のガラスなどは、ほぼ吹き飛んだ。

爆発の原因になったのは、港に6年間放置された硝酸アンモニウムであると言われています。そもそも、なぜ起爆性の高い化学物質が2,750トンも港の倉庫に保管されたままになっていたのでしょうか。市民の安全を考えれば、もっと早くに適切な処理をすべきだった。しかし、本当に悲しいことに、レバノンではゴミ問題をはじめとするインフラ整備から市民に対する福利厚生にいたるまで、社会問題が山積し、そのほとんどが何の解決もされないまま、捨て置かれているのが現状なのです。革新的な手法により市民生活を改善できるようなリーダーも、外交手段を駆使して諸国からの支援をもたらすことができるような政治家もいないまま、民衆の不安と絶望だけが募っているのです。新型コロナウィルス対策に関しても、日本では一人あたり10万円ずつの特別定額給付金が拠出されましたが、レバノンではロックダウンの延長だけが数か月にわたって繰り返され、何十万人の失業者と会社倒産が続いているにも関わらず、ほとんど何の対策も支援も行われていないのです。

善意を募る活動が次々と展開されている。

では、人びとはこの状況に対して嘆いているだけなのでしょうか?  SNSを通じて、一般市民の方が「家を失った方へ。私の家には少しのスペースがありますので、しばらくの間お越しください。遠慮せずに心からお待ちしています。」といったメッセージが続々と寄せられ、服や食べ物などの詰め合わせセットを送るための受け入れ先やガラスの破片を清掃するボランティアを募集するページなども活発に稼働し始めています。彼らだけではありません。私たちの提携団体は、事件直後に、今後の緊急支援計画を策定、発表しました。計画では、被災した1,000世帯以上に対して食糧配布、衛生用品配布、医療支援、家宅修復支援、負傷者への心理サポート等を早急に実施することになっています。私たちも、一緒に何か出来ることはないかと考えているところです。

同じ建物に住む友人はいいました。「僕たちは、内戦も多くの事件も、全て生き抜いてきた。今回の惨事なんて、いつものことさ、慣れている、そう思いたい。けれど、今回のは、コロナに経済危機に失業にと、全てに打ちのめされていた中で起こったから、本当に耐えられない気がする。けど、僕たちは、結局のところ、これを全て受け入れて生き抜いていくしかないんだ。そう、こんなことで負けてしまうわけにはいかないんだ。」

【ベイルート大規模爆発レポート】#2へ

(レバノン事務所 南)

*パルシックでは緊急の食糧支援を実施します。ぜひ、皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。

[ご寄付のお願い]レバノン・ベイルート大規模爆発 緊急救援

]]>