政治・歴史 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Tue, 18 Apr 2017 11:22:16 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 スリランカ北部州議会選挙をおえて https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_politics_history/4819/ Fri, 27 Sep 2013 07:12:50 +0000 https://www.parcic.org/?p=4819 スリランカでは9月21日、北部州、北西部州、中央州の3州で、州議会選挙が行われました。中でもパルシックが活動を行っているムライティブ県やジャフナ県が属する北部州の州議会選挙は、25年ぶりに行われる選挙として注目が集まりました。

すでにスリランカ国内で、タミル人の権利を求めて戦う武装勢力と多数派シンハラ人との間での暴動や騒乱が各地に広がっていた1987年、停戦を目的として結ばれたインド・スリランカ和平協定の内容に基づき、州議会法が制定されました。各州に州議会が置かれることが定められたと同時に、この時修正された憲法により、州議会に一定の自治権が認められました。1988年末、当時暫定期に1つの州として合併していた北東部州でも州議会選挙が行われ、議長が選出されましたが、インドによるこの調停は停戦に結びつかず、1990年、インド平和維持軍の撤退を機に、北東部州議会は解散させられ、その後今回の選挙まで、北部州では議会の不在が続きました。

今回、25年ぶりに北部州で選挙が実施されることになった背景には、インド(特にタミルナドゥ州)、国連や英連邦(イギリスとその旧植民地国による連合体)など、国際社会からのスリランカ政府への強いプレッシャーがあると言われています。それでも、多数派であるシンハラ人の政党や団体からは、タミル人多数の州議会が生まれることをおそれ、選挙実施前に修正憲法や州議会法の無効化を求める声が上がるなど、根強い反発が続き、選挙の日程がなかなか決まりませんでした。

井戸に貼ってあるポスター

パルシックの事業で作った共有井戸にも、選挙戦が始まると早速選挙ポスターが貼られていました。

北部州には、ジャフナ、キリノッチ、ムライティブ、ヴァヴニア、マナーの5県があり、約70万人が北部州の有権者として登録されています。そのうちの半数以上である約40万人がジャフナ県の人々。人口に応じて各県から選出される議員の数も決まり、ジャフナ県からは、38人の州議会議員定数のうち16人、ムライティブ県からは5人の議員が選出されました。

候補者を出す政党は、その県で決められた数の候補者を用意することになっており、ジャフナ県の場合、19名の候補者を各党が送り出しました。投票をする際は、まず、数ある政党の中から1つの政党を選び、その政党の中から3人の候補者まで投票することができます。このようにして投じられた票を計算し、得票数が多い順に当選者が決まっていく、という仕組みだそうです。スタッフがサンプルとしてジャフナ事務所にチラシを持って来てくれた候補者は、元漁協長、学校の先生、県庁役員などの人々でした。

投票用紙を模した選挙チラシ

投票用紙を模した候補者の選挙チラシ(右側)。家のマークはタミル国民連合(TNA)のシンボル。政党を選んだ後、候補者の番号(このチラシでは下部)で、候補者を3人まで選びます。※クリックで拡大

21日の選挙の結果、北部州ではタミル人を代表する最大の政党、タミル国民連合(Tamil National Alliance:TNA)が、シンハラ人政権与党である統一人民自由同盟(United People’s Freedom Alliance:UPFA)を抑え、38議席中30議席を獲得し、北部の人々念願の、タミル人による州議会が誕生しました(TNA30議席、UPFA7議席、スリランカムスリム会議1議席)。タミル国民連合は今回の選挙に際し、現在政府が掌握している土地利用に関する権利と警察権を、修正憲法に基づき州議会に移すことを掲げており、州議会への人々の期待が高まっています。

候補者の選挙事務所

中央州で見かけた、野党統一国民党(United National Party)候補者の選挙事務所。北西部州、中央州では、政権与党の統一人民自由同盟(SLFP)が勝利しました。

ムライティブでも、内戦終了後の土地問題はいたるところに存在します。終戦から3年が経った今も、政府軍によって占拠されたままの広大な土地のほか、避難民となっていた間にシンハラ人の手に渡り、戦後、土地の権利書と共に戻ってきても返してもらうことができない農地など、タミルの人々は内戦を経て多くの土地を失っており、州議会の誕生がそれらの土地を取り戻す契機になることを強く望んでいます。

今回、わずか数件の候補者への襲撃や嫌がらせ、選挙当日の妨害があった以外は大きな混乱がなく選挙が終わったことは、スリランカ、特に北部の人々にとっての希望になりました。ただし、25年ぶりに成立した北部州議会が、どこまで人々の期待にこたえ、様々な問題を解決してゆくことができるのかは未知数で、今後の動向を引き続き見守っていかなければなりません。

(ムライティブ事務所 伊藤文)

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ジャフナの近況#2 -浮かびあがりつつある新たな課題(その1):漁業への影響- https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_politics_history/4584/ Wed, 28 Aug 2013 05:19:11 +0000 https://www.parcic.org/?p=4584 前回、内戦後にスリランカ北部を走る主要な幹線道路のA9が修復され、スリランカ南部から北部への行き来が容易になったことをご紹介しましたが、その結果、以前よりも多くの人・物資が行き来するようになり、新たな変化を起こしつつあります。道路だけではなく海の行き来も自由になり、漁への影響も出ています。今回は、私たちが事業でかかわっている漁業分野での変化をお伝えします。

クルナハルの漁師さんたち

ジャフナ中心部からほど近い、クルナハルの漁師さんたち

漁業への影響の一つとして、内戦中はスリランカ北部にほとんど来ていなかった冷凍車がコロンボから大量に流入するようになり、漁師さんが獲った魚の価格がコロンボ市場の価格に合わせてその場ですぐに引き上げられるようになりました。その結果、ジャフナ市場での鮮魚価格が上がり、時に地元の人が買えなくなっています。また、私たちの乾燥魚事業の女性グループも以前は獲れすぎた魚を漁師さんに安価で売ってもらっていたのが、今ではすべて冷凍車に流れてしまい、魚を買えず干物が作れないと嘆いています。

クルナハル魚市場でのせり

クルナハル魚市場でのせり

 

冷凍車と仲買人

冷凍車と仲買人

他方、陸路だけでなくこれまでは内戦で容易に移動できなかった海路での移動も楽になり、海を通っての人々の行き来も増えています。ここ数年はジャフナやムライティブなどスリランカ北部の漁場に、ネゴンボやチラウ、プッタラムなどスリランカ中南部から多数の漁業者がやって来るようになりました。砂浜に簡易な小屋を建てて暮らし、季節的に漁をしています。自分たちの漁場で時にダイナマイトや強力なライトなどスリランカで違法とされる手法で漁が行われ、それらに怯えて魚がやって来なくなることから、タミル人の漁民は怒るとともに困惑しています。加えて、隣国インドから来るトロール漁船との漁場を巡る衝突もたびたび起きており、これらの漁場をめぐる問題が地元の漁業に悪影響を与えているとジャフナの漁業関係者は頭を抱えています。漁業権の設定、漁業規制、養殖などの育てる漁業の導入など、漁業資源の枯渇を防ぐ取り組みが必要とされています。

こうした状況から、魚の価格が上がっても漁師さんたちは十分な漁獲が得られず、稼げないと嘆いています。特に、漁具を持たず漁業労働として働いている大部分の漁業者は鮮魚価格の上昇の恩恵を受けられず、生活は貧しいままです。そのため、よりよい稼ぎの仕事を求めて、スリランカ北東部の海岸からオーストラリアに違法渡航する人たちが後を絶たちません。次回はオーストラリアへの違法渡航の現状をお伝えします。

(ジャフナ事務所 西森光子)

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ジャフナの近況#1 -変わりゆく町の風景- https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_politics_history/4056/ Wed, 22 May 2013 08:50:14 +0000 https://www.parcic.org/?p=4056 これからしばらく、開発が進み活気づきつつある一方で、残された課題・新たな課題に直面するジャフナの現状をお伝えします。

内戦終結から4年が経ち、町の開発が大きく進みつつあります。ジャフナの町には、それまでなかったような4階建、5階建の大きなビルも建ち始めました。ずっと建設が止まっていた町の中央にある商業ビルも最近増築が急速に進み、やっと上層階にテナントを入れる準備ができつつあるようです。

長年建設が止まっていたジャフナの商業ビル

長年建設が止まっていたジャフナの商業ビル

また、海外での需要が高いスリランカのカニの身をコロンボの輸出業者に送るための作業をする加工工場もこの1年の間に複数建設されました。新しく衛生的な工場には70人-100人の若い女性たちが朝から夕方まで働いています。

穴だらけでガタガタだった、ジャフナと南の主要都市アヌラダプラ、キャンディをつなぐ幹線道路のA9道路のワウニア以北の改修工事も昨年にはすべて終了し、今ではきれいな舗装された道路となりました。大型トラックやバスの通行量も増えました。コロンボへの移動も以前は半日かかっていたのが、今では8-9時間ほどで移動できるようになっています。

昨年改修工事が完了したスリランカ北部の主要幹線道路A9

昨年改修工事が完了したスリランカ北部の主要幹線道路A9

 

ジャフナタウン近くに新しくできた海岸沿いの公園

ジャフナタウン近くに新しくできた海岸沿いの公園

こうして開発が進み、町が再び活気を取り戻しつつある一方で、残された課題、そしてそれまでなかった新たな課題も浮かび上がりつつあります。

残された課題の一つとして、ムライティブ日誌にもありますが、ジャフナでも一部地域での地雷除去作業が今も続いています。A9道路沿いのモハマーレ地域は、2002年から2009年までLTTEと政府軍の軍事境界線となっていたところで、紛争中に多くの地雷が埋められました。地雷除去が続いていますが、一向に地雷マークが撤去される気配はなく、手作業で進められる地雷除去作業には気の遠くなるような時間が必要なことを実感します。

A9道路沿いで今もつづく地雷除去作業

A9道路沿いで今もつづく地雷除去作業

また、ジャフナやムライティブなどスリランカ北部には、いまだ軍の主要基地などが置かれ、村の人たちが立ち入れない地域(ハイ・セキュリティ・ゾーン:HSZ)が残されています。これらの地域は内戦中に政府軍が軍事施設として使用していたもので、人々は20年以上の間、自分の土地がある村を離れて親戚の家に身を寄せたり、キャンプで暮らしたりしてきました。ジャフナ北部のワリカム・ノース郡のHSZは今後、国際空港や国際港や軍事施設等として使用される予定です。この5月に政府はジャフナ県の6,381ヘクタールのHSZを正式に政府の土地として接収し、土地の所有者に4億ルピーの補償金を出すと発表しましたが、所有者たちは反発し、政府の方針に反対するデモを行っています。タミル系政党のTNAは、政府の措置によって9,900世帯(35,000人)が土地を失うこととなり、土地の所有者とともに裁判所に5,000件以上の提訴を行うとしています。今後の解決の先行きはまだ見えません。

(ジャフナ事務所 西森光子)

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ナルー・テンプルのお祭り https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_politics_history/1845/ Thu, 06 Sep 2012 15:00:15 +0000 http://test.parcic.org/?p=1845
ジャフナのシンボル的存在 ナルー・テンプル

サリーやサルワル(パンジャービ・ドレス)で着飾ったたくさんの人びと

ジャフナの7月、8月はお祭りの季節です。多くのヒンドゥー寺院で各々のお祭りがあるだけでなく、キリスト教の各教会でも大きなお祭りがあります。中でも、ジャフナで最大のイベントは、ジャフナ最大のヒンドゥー寺院で、シンボル的存在であるナルー・テンプルのお祭りです。毎年スリランカ中からのべ100万人以上の人びとが訪れるとも言われます。お祭りの日程は毎年タミル・カレンダーに沿って決められ、25日間行われます(今年は7月24日から8月17日まで)。

このナルーテンプルのお祭りの時期には、ヒンドゥー式の断食をして朝早くからお参りをする人が多くいます。パルシック・ジャフナの女性スタッフの1人も毎朝4時に起きて寺院に出かけ、5時から約1時間かけてお祈りをするそうです。この間は正午になるまで食事をとらず、それ以降に食べる食事は菜食のみです。

筆者は昨年初めて同僚の女性スタッフのアネシャと、このお祭りに行きました。最終日の午前中で、既にサリーやサルワル(パンジャービ・ドレス)で着飾った多くの人びとで寺院の回りは埋め尽くされていました。その日初めて寺院の中にまで入り、アネシャからお参りの仕方、この寺院の神様の名前、他の神様との関係、寺院の中に描かれている絵のストーリーなどなどの説明を受け、ヒンドゥー教のいろはを学びました。さらには、最大のイベントである特別なお祈り(スペシャル・プジャー)も経験しました。偶然その場に居合わせた私たちでしたが、スペシャル・プジャーが始まる前になると、急に多くの人びとが寺院の中に詰め掛けてきて、人びとに押しつぶされ、私たちを含めた多くの人びとが倒れこむほどでした。ヒンドゥー教徒の人びとは運ばれてきた神様の像に真剣にお祈りをささげ、寺院の中は特別な熱気と神聖な空気に包まれました。その興奮と熱気、人びとの真剣さは、ヒンドゥー教の意味をほとんど分かっていなかった外国人の私ですら、特別な感慨を抱くものであり、人生において初めて経験するものでした。


お祭りのときの男性の正装、腰にワーティを巻く

昨年の経験が忘れられなかった私は、今年もナルーテンプルのお祭りが始まると、気持ちが高揚します。なかなかお参りに行けなかったのですが、最終日の前日に、昨年と同じくアネシャとお参りに行ってきました。お祭りのときの正装は女性の場合はサリーで、男性は腰にワーティと呼ばれる腰布を巻いて上半身は裸になった姿です。今年も人びとの熱気と真剣な祈りを目の当たりにしながら、私もお祈りをしてきました。

なお、このナルーテンプルのお祭りの時期には、多くのディアスポラ[1]のタミル人たちが、欧米諸国からスリランカに戻ってきて、町がにわかに活気付きます。私たちの干物もジャフナの町の干物店で高値で取引され、お店から毎日のように「もっと売ってほしい」と督促の電話がかかってくるほどです。干物だけではなく他の様々なものも高値でも売れるようで、同僚スタッフは「野菜も魚も市場で値段が上がっていた」とぼやいていましたが、国を離れた人びとが数年ぶりに戻ってくることは嬉しいことであり、ジャフナの人びとにとってもディアスポラの人びとにとっても大切な時期です。

ナルーテンプルのお祭りが終わると元のジャフナの町に戻ります。そして、2ヶ月もすると10月後半からは雨季が始まります。日本のようには四季のないジャフナですが、各々のお祭りがそれぞれの季節の変化を告げているようにも感じます。

(パルシック 西森光子)

[1]ディアスポラ・・・もともと暮らしていた場所を離れて暮らしている人や家族、コミュニティのこと。

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