ムライティブ県帰還民の生活再建支援 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Thu, 28 Dec 2017 07:15:09 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 乾燥魚作りの研修に行ってきました https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/12750/ Fri, 15 Dec 2017 08:51:26 +0000 https://www.parcic.org/?p=12750 11月下旬に各漁協から10名合計40名の漁師たちと1泊2日でスリランカ東部にあるバティカロアを訪れ、漁獲物の付加価値を上げるため乾燥魚作りの研修を受けてきました。

好漁期には、仲買人が池まで来て、漁民から鮮魚を買ってくれるのですが、漁獲量が少ない時期には、利益にならないことから業者が来てくれず獲った魚を売ることが出来ません。漁期に左右されず漁民の収入を安定させるために、乾燥魚の中でもとくにスリランカ国内で需要があり高い価格で売れる燻製を選び、各漁民に燻製作りの研修を受けてもらい、燻製器を提供することにしました。

燻製作りのメリットやレシピなどを教える講義の時間。普段講義など受ける機会がないので、じっとして聞くだけの時間は苦痛かなと思っていたのですが、真剣に聞き入っています。

燻製作りのメリットやレシピなどを教える講義の時間。普段講義など受ける機会がないので、じっとして聞くだけの時間は苦痛かなと思っていたのですが、真剣に聞き入っています。

まずは、魚のさばき方などを習いました。普段から魚を調理しているのか、慣れた様子でした。

講師によるデモンストレーション

講師によるデモンストレーション

実際にさばいている漁民の様子。この後、自ら積極的にさばく漁師もいました。

実際にさばいている漁民の様子。この後、自ら積極的にさばく漁師もいました。

さばいた魚をきれいに洗って、その後味付けて、1時間ほど乾燥させます。
その後、再度魚をきれいに洗って、燻製にします。

調味料を混ぜたもの魚にふりかけて、味を染み込ませます。

調味料を混ぜたもの魚にふりかけて、味を染み込ませます。

ココナッツ皮の繊維(たわしなどを作る原料)で火を焚き燻製にします。

ココナッツ皮の繊維(たわしなどを作る原料)で火を焚き燻製にします。

天候や火力によって異なりますが、3時間程度で出来上がるとのことでした。

2グループに分かれ研修を実施したので、燻製を2回作りました。1回目は雨期で地面も濡れた状態だったので、火力を強めたのですが、やや焦げた感じになってしまいました。

2回目はきれいな色に仕上がり、うまく作れました。天気の状態や魚の大きさ、色んな要素を考慮しながらの燻製作りなので、試行錯誤しながら品質を高めていかなくていけないように思いました。根気が必要な作業ですが、よりよい燻製品作りに励んで、収入の安定につながればと願うばかりです。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

※この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。

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インドネシアへ養殖の視察研修に行ってきました https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/12432/ Tue, 24 Oct 2017 06:02:03 +0000 https://www.parcic.org/?p=12432 9月頭に漁協メンバー4名、スリランカ養殖開発局職員1名、パルシックの現地スタッフ1名と共に、合計7名で1週間ほど養殖事例を視察するためインドネシアへ行ってきました。

インドネシアで流行りなのか、どこへ行っても集合写真の時は、グーをするようです

インドネシアで流行りなのか、どこへ行っても集合写真の時は、グーをするようです

スリランカでは写真撮影時笑顔なしが一般的なのですが、グーと笑顔でいい写真です

スリランカでは写真撮影時笑顔なしが一般的なのですが、グーと笑顔でいい写真です

日本への研修も考えたのですが、スリランカに似た環境で養殖が盛んなインドネシアへ連れて行ったほうが必ず参考になるだろう、と思い選んだところ、結果的に正解でした。

インドネシア・ジャワ島のスカブミにある養殖開発センターに勤務するシニアボランティアご協力の下、担当者を紹介していただき、今回の視察研修が実現しました。

視察初日ということもあり、熱心に聞いたことをメモっています

視察初日ということもあり、熱心に聞いたことをメモっています

興味深かった点は、スリランカは規制の観点から養殖開発局が設立された経緯があり、インドネシアでは養殖普及を目的に養殖総局が発足されており、見学地を通して両国による養殖への根本的な考えの違いを実感したことです。

この違いから、インドネシアは養殖に興味のある者には積極的に推進する姿勢があり、施設とも呼べないような自宅裏で容易にふ化施設を作っていたりと、立派な施設でなければふ化が出来ないと思っていたスリランカの漁民にとっては衝撃的だったようです。

養殖開発センターでも簡易な飼育槽を使用していました

養殖開発センターでも簡易な飼育槽を使用していました

竹とビニールシートで作ったふ化施設。このようなもので出来るのだと驚きでした

竹とビニールシートで作ったふ化施設。このようなもので出来るのだと驚きでした

また、田んぼを利用して養殖するなど環境を配慮した方法も見学し、とても参考になったようです。

水田で育てている稚魚が虫を食べるので、一石二鳥だそうです

水田で育てている稚魚が虫を食べるので、一石二鳥だそうです

何をするにも行政の許可が必要なスリランカでは、試しに始めてみること自体難しそうにも思いますが「スリランカに戻ったら、今日見たことを試してみたい」と言っていた漁民の声を無駄にしないように、パルシックとして出来る限りのサポートをしていきたいと思います。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

(この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。)

 

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生簀で育てた稚魚を池に放流 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/12299/ Wed, 27 Sep 2017 03:40:58 +0000 https://www.parcic.org/?p=12299 7月に生簀を組み立て、池に設置し、稚魚を育て始めたことをこの場でお伝えしました。
8月にティラピアの稚魚、今月インド鯉の稚魚を池に放流したので、ご報告します。

前回、テニヤンクラム漁協のコータカッティクラム池での様子をご紹介したので、今回も同様にコータカッティクラム池の様子をお伝えします。

 

パルシックの現地スタッフが指示を出して、生簀網を一方に寄せています。

育ったティラピアの稚魚たちです。元気いっぱいです。稚魚を傷つけないように、急いで池に放ちます。

育ったティラピアの稚魚たちです。元気いっぱいです。稚魚を傷つけないように、急いで池に放ちます。

9月になりインド鯉の稚魚を放流しました。第1弾の時のインド鯉に比べ、成長もよく大きくなっていました。

9月になりインド鯉の稚魚を放流しました。第1弾の時のインド鯉に比べ、成長もよく大きくなっていました。

おまけの写真です。

浮き型の生簀なので、漁民全員が一方に集まるスペースもなく、稚魚放流を遠くから眺める漁師たちもいました。。。

浮き型の生簀なので、漁民全員が集まれるスペースもなく、稚魚放流を遠くから眺める漁師たちもいました。。。

横になっています。。。

器用に、横になっています。。。

池に放流した稚魚たちは早くて4か月、通常半年ぐらいから収獲されます。お腹が空けば共食いをするティラピアなので、池にいる大きなティラピアが稚魚を狙うので放流時が一番危険とのこと。たくましく逃げてまくって、大きくなって、漁民の収入向上そして最終目的である漁協の強化へつながればと願いつつ、コータカッティクラム池を後にしました。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

(この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。)

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各漁協でコンピュータ研修を実施 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/12035/ Sat, 08 Jul 2017 02:30:57 +0000 https://www.parcic.org/?p=12035 現在進めているムライティブでの事業では、内陸部に位置する貯水池で漁をする4漁協の強化を目的にしており、その一環として様々な研修を行っています。その中から、今回はコンピュータ研修の様子をお伝えします。

研修の様子をお伝えする前に、なぜ漁民にコンピュータスキルが必要なのかについてお話します。現在、池の漁獲量や各漁民の収入など数値的なものは全て手書きのノートで管理されています。

ある漁民の漁獲量の記録

ある漁民の漁獲量の記録

「きれいにしっかり管理しています」アピールで見せてもらったのですが、追加や訂正、削除など発生した場合、修正液もほとんど使用しないようで、次のページに書き直したりするそうです。また、現在の流れとして、淡水池の漁協を管理するスリランカ養殖開発局(NAQDA)は、漁協のIT化を推進しており、いずれはパソコンで漁獲量などを管理することが求められています。パソコン入力が出来るようになれば、数字の管理が容易になり、分析も可能になります。経験値でいつ頃が好漁期なのかはわかってはいても、各月の漁獲量や稚魚の放流数や時期などを分析し、長期的かつ計画的な蓄養や放流を可能にするのは、やはりパソコンを使えてのことだと信じています。さらに、漁協から省庁へ要望書などを提出する際、手書きが主流なのですが、これらのレターが印刷されたものになれば、信ぴょう性が増し、より真剣に受け止められるだろうと推測します。このような理由から、パソコン研修を実施しています。研修終了後、ノート型パソコン一台を各漁協へ提供する予定です。

スリランカでもスマートフォンが普及しつつある状況で、若者を中心に多くの漁民もスマートフォンを持っています。しかし、パソコンになると、各漁協に1名程度と非常に少なく、今回初めてパソコンに触れる機会を得た漁民がほとんどでした。

第1回目はパソコンの概要とマウスの使い方を主に教えました。

マダワラシンガム漁協での研修

マダワラシンガム漁協での研修

とても楽しそうです

とても楽しそうです

ムッタヤンカットゥ漁協での研修

ムッタヤンカットゥ漁協での研修

年配の漁師さんもファイル保存に挑戦中です

年配の漁師さんもファイル保存に挑戦中です

ムッタヤンカットゥ村では、研修会場に来てパソコンの研修だと気づき(?)、「自分にはできない」と帰ってしまった漁民もいました。しかし最後まで残った漁民からは、「今までパソコンは難しいもので自分には出来ないものだと思っていたが、今回の研修で、パソコンは簡単で、自分にもできることがわかったのでとても嬉しい」と言っていたのが心に残りました。このパソコン研修を通じて、オフィスなどで働く教育を受けた者だけがパソコンを操れ、教育をまともに受けていない自分たちは出来ないと思っていた漁民たちが、少しだけ自己肯定感を高めることができ、研修後何となく彼らの表情が明るくなったように思いました。パソコンスキル以外の何か大切なものを漁民が得たような気がして、パルシックのスタッフも嬉しい気持ちで研修を後にしました。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

※この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。

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生簀を池に設置して、稚魚を育て始めました https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/11985/ Mon, 03 Jul 2017 02:01:52 +0000 https://www.parcic.org/?p=11985 現在、ムライティブ県の内陸に位置する6つの貯水池を対象に、漁協強化を目的に事業を進めています。

今日は、テニヤンクラム漁協のコータカッティクラム池での様子をご紹介します。

主な活動として、浮くタイプの生簀を組み立て設置し、主魚種であるティラピア、インド鯉のローフ及びカトラーの稚魚を生簀の中で1、2ヶ月育て、その後池に放流して、半年後の収獲を待つものです。その収獲から得た収入の一部を漁協に貯蓄し、自らの手で蓄養を行い、安定した収入の確保を得ることを目指しています。

第1弾として、2月下旬に3つの池で生簀を設置し、稚魚を育て、4月にティラピアの稚魚を、5月にはインド鯉の稚魚を放流し、半年後の収獲を待っているところです。

何かしら起こるのが事業です。稚魚へのエサやりを漁協に任せたのですが、特定の漁民のみが担当し、漁協全体の事業として捉えられていないように見えたのが懸念されました。1日3回カヌーで生簀のところまで行き、エサを稚魚に与えるのは単純なことではありますが、時間を割かなくてはなりません。また、稚魚の効率的な成長を促すためには、決まった時間にエサを与えることも必要になってきます。

生簀を組み立てています

生簀を組み立てています

生簀を浮かせるため樽を括りつけています

生簀を浮かせるため樽を括りつけています

漁民みんなで生簀を池に運んでいます

漁民みんなで生簀を池に運んでいます

生簀になる網を枠に取り付けています

生簀になる網を枠に取り付けています

この問題を踏まえた上で、第2弾の生簀設置を残りの池で行いました。

2日がかりで設置完了しました。スタッフにとっても第1弾での経験があり、手際よく終わらせることができました。

そして、ティラピア稚魚が納品される日がやってきました。
朝の3時に起きて、ふ化場に出向き、稚魚を輸送トラックに入れるところを見届け、各池の生簀に放ちます。

ふ化場で納品用に稚魚を集めている様子

ふ化場で納品用に稚魚を集めている様子

コータカッティクラム池の漁民にとって、稚魚を自分たちで育てるのは初めての経験です。 1、2cmほどの小さな魚を見るのは珍しいようで、みんなで見ていました。

コータカッティクラム池の漁民にとって、稚魚を自分たちで育てるのは初めての経験です。 1、2cmほどの小さな魚を見るのは珍しいようで、みんなで見ていました。

輸送車からたらいに稚魚を移し、慎重かつ急いで生簀に移し替えます。のんびり運んでいると、温度の上昇や酸素不足で稚魚が弱って死んでしまうからです。

輸送車からたらいに稚魚を移し、慎重かつ急いで生簀に移し替えます。のんびり運んでいると、温度の上昇や酸素不足で稚魚が弱って死んでしまうからです。奥に見えているのが完成した生簀。

稚魚を生簀に放ち、完了です。これから1か月程エサを与えながら、育てていきます。

稚魚を生簀に放ち、完了です。これから1か月程エサを与えながら、育てていきます。

懸念していたエサやりに関して漁民同士で話し合った結果、コータカッティクラム池については1人が4日間ずつローテーションでエサやりを担当し、決まった時間にしなかった場合、罰金200ルピー(約150円)を科すことになりました。
それぞれが責任を持ってエサやりをし、また稚魚の成長を見ることができ、自分たちの事業として捉えることが出来るのではと期待しています。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

※この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。

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ムライティブ タンニムリプ池で稚魚放流 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/9211/ Tue, 12 Jul 2016 10:19:19 +0000 https://www.parcic.org/?p=9211 今年度の事業では、簡易的養殖導入の一環として、淡水池のタンニムリプ池にてティラピア稚魚の放流を行いました。ティラピアはスリランカ南部で人気のある魚で、他種に比べ高値で売れるため、漁民にとっても人気です。

先日、2回に分けて15万匹の稚魚放流を完了しました。ふ化場からの納品が大幅に遅れ、何度も催促してようやく放流にこぎつけました。漁民にとっても待ちに待った稚魚の到着です。

 

稚魚放流式に集まり、放流作業を見守る漁民

稚魚放流式に集まり、放流作業を見守る漁民

 

稚魚輸送車からホースを通して放流しようとしたのですが、ホースの長さが足りず、急遽、漁民が代用となるビニールチューブを持ってきて、何とか放流することができました。こういうスリランカ人の対応力に脱帽です。

 

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ビニールチューブで対応する漁民

応用を利かせてビニールチューブを使って放流する漁民

 

ホースの長さが足りないトラブルは解決したところで、今度は稚魚が輸送車から稚魚を出す部分のパイプに詰まってしまい、それをみんなで取り除くのに一苦労でした。

 

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みんなで車のパイプをのぞき込む。一難去ってまた一難?

 

2回目の放流では1回目のトラブルから学習し、今度は輸送車から稚魚を網にいれて、それを池に運ぶ方法で放流することにしました。

 

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無事、稚魚を池に運び込むことができました!

 

この作業によって、無事に15万匹の放流が完了し、数か月後の収穫を待つことになります。パルシックでは、1回きりの支援で終わらないように、一部の収入を漁協に貯蓄し、その貯蓄で次の放流を漁協自ら行える体制を構築できることを目指して、漁協との話し合いを進めています。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

※この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。

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カラパドゥ村のせり場でもせり開始 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/8086/ Thu, 24 Sep 2015 05:49:46 +0000 https://www.parcic.org/?p=8086 パルシックの支援で建設されたせり場は、先日レポートしたカルナドゥカーニ村と今回お伝えするカラパドゥ村にあります。カラパドゥ村のせり場もついに完成し、先日、開場式が盛大に行われました。その翌朝から、いよいよせり場を使用してのせりを始めるということで、早速見に行ってきました。

せりは朝7時頃にスタートしました。早めに事務所を出発して、カラパドゥ村へ向かいました。

こちらが、カラパドゥ村の海岸沿いです。まだ日差しも強くなく天気も良く、気持ちのいい朝です。

カラパドゥ村の浜辺

カラパドゥ村の浜辺

ムライティブには港がないので、船を砂浜に上げて留めておきます。漁師のみんなで船を持ち上げて運んでいます。これだけでも、大変な重労働です。

ボートは、2012年にJPFの助成を受けてパルシックが配布したものを使っています。

浜には漁師さんたちで獲れた魚を網から外す作業をしています。

浜には漁師さんたちで獲れた魚を網から外す作業をしています。

浜には漁師さんたちで獲れた魚を網から外す作業をしています。

ここカラパドゥ村では、以前から有志で集まった漁民たちがせりを独自に始めていました。しかしながら、屋外でしていたため、途中で雨が降り出してずぶ濡れになりながら続けるなど、大変な思いをしてきたそうです。前々からカラパドゥ漁協の皆さんの念願だった、せり場の完成です。

昔行われていた屋外でのせり

昔行われていた屋外でのせり

いよいよ、せりの開始です。

「ヌール(100)、ヌール(100)、ヌール(100)!」と威勢のある声でせり人が呼びかけます。

せり人が買い手に呼びかけ、徐々に値を上げていき、一番高い値段を付けた人が買っていくイメージ通りのせりでした。魚種や重量によって、100ルピーや1,000ルピーから始めていくそうです。

今回は漁獲量が少なく買い手が少ないとのことでしたが、それでも活気のあるせりでした。多い時には、近隣の地域から50人ほどの買い手が集まるそうです。

色んな魚があがっていて、太刀魚など日本でも見かける魚もありました。これらもカレーの具になっておいしいのでしょうが、焼き魚にしたらもっとおいしいだろうなと妄想にふけっていました。

自発的にせりを始めたカラパドゥの漁師が更に発展することを心より願いつつ、カルナドゥカーニ村のせり場同様、パルシックはせりや漁協の運営などモニタリングを続けていきます。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

(この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。)

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カルナドゥカーニ村のせり場開場式に出席 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/8074/ Wed, 16 Sep 2015 03:14:01 +0000 https://www.parcic.org/?p=8074 パルシックの支援で建設中だったカルナドゥカーニ村のせり場が完成し、先日開場式が行われました。

せり場建設の支援を実施している背景を説明しますと、現状、多くの漁協の運営は、組合員から回収する少額の会費に頼っているために資金が足りず、組織としての体力が十分ではありません。そこで、漁協自ら運営するせり場を建設し、それを通じて得た収益の一部を組合員が漁協に貯蓄する仕組みを取り入れることによって、漁協運営資金の持続的確保・運用を可能にするとともに、組織の強化、そして漁民の生活向上を目指しています。

いよいよ開場式当日。パルシックのスタッフ一同でカルナドゥカーニ村へ向かってみると・・・

なんと、若者のブラスバンドが準備しているではないですか!

スリランカの田舎町で、このような式にブラスバンドを取り入るのは非常に稀なことです。村人たちが自らせり場を盛り上げようとしている意気込みが感じられました。

 

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準備中のブラスバンド

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ブラスバンドを先頭に、ヒンズー寺院からせり場へ向けて出発です。

会場に到着すると、花の首飾りをかけてもらいます。

会場に到着すると、花の首飾りをかけてもらいます。

 

そして、完成したせり場で初めてのせりを行います。

 

重さを計る漁協のメンバーと村長さん

重さを計る漁協のメンバーと村長さん

せりの売り上げとなるお金を渡すところ

せりの売り上げとなるお金を渡すところ

 

その後、同時に建設した漁協の休憩所へ移動し、組合長の挨拶が始まりました。

組合長のジョセフさんは「獲れたものを1ヶ所に集約して売る機会を得られて、嬉しく思います。このせり場を漁協のみんなで盛り上げて、売り上げを増やしていきたいです。そして、今後支援に頼らない自立した組織づくりを目指していきます。また、今まで雨が降ると中止になって定例会議も、天候に影響を受けず今後していけることは何より喜ばしいことです。私たちに支援してくれたパルシック、そして日本のみなさんに感謝します。」と話してくださいました。

 

組合長からの挨拶

組合長からの挨拶

 

各来賓からの挨拶が続き、漁協の秘書からの謝辞をもって開場式が終わりました。

その後、漁協で用意してくださった食事をいただきました。カルナドゥカーニで獲れたエビやカニのカレーです。新鮮で肉厚なエビ、本当においしかったです!

 

エビカレーやカニカレー。絶品です。

エビカレーやカニカレー。絶品です。

 

カルナドゥカーニ村の漁協は、組合長がとても熱心で人望も厚く、団結力のある組織です。これから、せり場を活用して、漁協の体制強化、そして、漁民の生活向上へつながっていくことを願い、パルシックは引き続きせり場の運営管理などモニタリングしていきます。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

(この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。)

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スリランカ北部スタディツアーの皆さんがご訪問 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/6283/ Thu, 04 Sep 2014 03:45:04 +0000 https://www.parcic.org/?p=6283 8月17日から23日、パルシック「スリランカ北部スタディツアー」参加者の9名の皆さんがムライティブ、ジャフナを訪問してくださいました。コロンボを出発して、世界遺産の街アヌラーダプラを経由し、ムライティブ、ジャフナと回りコロンボへ戻る7日間。パルシックの事業地のほか、ジャフナでは観光地として開発されつつある遺跡やビーチ、古くからの言い伝えを持つヒンドゥー寺院、泉を訪ねました。ジャフナタウンにあるジャフナ最大の寺院「ナルーテンプル」で開かれている1年に一度のお祭りにも参加。お祭り最終日近くの人々の熱気はものすごく、この寺院に祀られているムルガン神を乗せたお神輿が寺の周囲を回り、境内に戻る瞬間は、お神輿の周りに集まった人の波につぶされそうになるほどでした。

ナルーテンプルのお祭で出たムルガン神のお神輿

ナルーテンプルのお祭で出たムルガン神のお神輿

ムライティブでは、コクライ、ムリワイカイ2村の漁家を訪問しました。同じムライティブ県内にあっても、人々が受けた内戦の影響は一様ではありません。1980年代前半に全国的に広がった暴動の影響で家を追われ、ムライティブ県内、インド、そしてジャフナへと各地を転々としながら避難を繰り返し、2011年に村に戻ったコクライ村のご一家。その一方で、2009年まではムリワイカイ村の自宅周辺で暮らし、内戦末期に激しい戦場となったこの地域でお子さんとの離別を経験したご一家。それぞれに異なった経験を持ちながら、ムライティブの人々はこの地に戻り、時につらい過去と対峙しながら、新しい生活を始めています。

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ムライティブタウン近くのビーチで朝の漁に遭遇。船を引き揚げるのを手伝う

この他、パルシックが建設した2軒のコミュニティセンターも訪ね、コクライ村では、タミル人、シンハラ人の子供たちがともに英語や理科の課外授業に取り組む様子、コーヴィルクディルプ村では、漁協と女性組合から村のスポーツクラブへのユニフォーム贈呈式を見学しました。特に漁家へ訪問して村の方々のお話を直接伺ったことは、人々の現在の暮らしがよく分かり、普通の旅行では体験することのできない内容で良かった、と参加者の方々からもご意見をいただきました。

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コーヴィルクディルプ村での贈呈式後、サッカーチームとの記念撮影

ジャフナでも、パルシックが行っている乾燥魚事業の実施地を訪ね、実際に乾燥エビが作られる工程を見学、参加している女性たちのお話を聞く時間を持ちました。この事業は2010年に始まり、助成金を受けての3年間の事業期間は昨年終了しましたが、現在も乾燥エビの生産が続いており、地元住民やジャフナタウンのスーパーマーケット、コロンボの市場や日本人向け商店などとの取引が継続しています。元々食品加工の経験があった女性を中心に、村の女性たちが協力しながら生産を続けており、商品の質も向上していると評判です。

ジャフナ・ヴェラナイの乾燥エビ加工場

ジャフナ・ヴェラナイの乾燥エビ加工場。塩茹でしたてのエビを干すところ。

今回のツアーは、「タミルの文化に触れる」というテーマでもあったので、食事にもこだわり、北部の人々の食卓に上る家庭料理や、特別な時に用意する「ジャフナクール」という海鮮スープ、お菓子などを、日替わりで各事務所の食事担当スタッフ、漁家の皆さんが腕を振るって用意してくれました。スリランカでは、同じ米粉、小麦粉を主に使った主食にも、麺状のもの、筒状のもの、粒状のもの、パンケーキ状のもの、と、様々な種類があります。普段毎日ここで暮らしている私自身、こんなにバラエティに富んだ食事を短期間で摂ることはないと思うほどに毎食違うメニューで、少し豪華な気分になれた1週間でした。

朝食に出た「ストリングホッパー」。米粉と小麦粉を水でこね、絞って麺状にしたものを蒸して作ります

朝食に出た「ストリングホッパー」。米粉と小麦粉を水でこね、絞って麺状にしたものを蒸して作る

そしてジャフナでは、パルシックが現在開店準備中の「KAISゲストハウス」にも宿泊。開発が進むジャフナタウンの中で、伝統的な文化を残すことを目的に、今年初めから準備を始めたゲストハウスです。タウンの中心部から車で10分ほどの静かな住宅街の中にある1戸建ての家を改装しました。内装も完成し、後は宣伝を始めるだけ。9月末に正式にオープン予定です。コロンボからの直通列車も9月には開通する予定でおり、数年前と比べると格段に移動が便利になったジャフナ。KAISゲストハウスでも、皆さんのお越しをお待ちしています。

KAISゲストハウスの前庭。「KAI」はタミル語で「手」という意味で、人と人とが手を取り合って助け合い、つながり合うことを意図しています

KAISゲストハウスの前庭。「KAI」はタミル語で「手」という意味で、人と人とが手を取り合って助け合い、つながり合うことを意図している

2014年12月には、スリランカ南部の有機紅茶栽培事業地を訪ねる「デニヤヤ紅茶ツアー」も計画しています。

(ムライティブ事務所 伊藤文)

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ムライティブ日誌#9 コミュニティセンターが完成しました https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_mullaitivu/6270/ Fri, 08 Aug 2014 03:37:12 +0000 https://www.parcic.org/?p=6270 ムライティブ県で建設していた3軒のコミュニティセンターが、7月に完成しました。今回のプロジェクトでコミュニティセンターを建設したのは、コクトルワイ村、コクライ村、コーヴィルクディルプ村の3村です。

コクライ村で完成したコミュニティセンターでオープニングに向けて準備をする村の人々

コクライ村で完成したコミュニティセンターでオープニングに向けて準備をする村の人々

タミル人が人口のほとんどを占める他2村に比べ、シンハラ人、タミル人の両コミュニティが暮らすコクライ村では、村のキリスト教会の神父が両民族の間の橋渡しに貢献しています。神父がコクライ村に赴任したのは、人々の帰還が始まった直後の2011年。内戦中もスリランカ政府軍の保護の下この地域で暮らしていたシンハラ人漁民がいた一方で、タミル人住民は両コミュニティの間で争いが激しくなった1984年にほぼ例外なくこの地域から逃れ、30年近くが経った2011年以降に初めて戻ってきた、という人がほとんどです。内戦中コクライ村は、政府軍の基地として占領されタミル人住民がそこに住むことはできませんでした。

コクライ村のシンハラ人居住地域

コクライ村のシンハラ人居住地域

神父が赴任したばかりの頃は、2つのコミュニティの間の緊張も大きく、シンハラ人の子供たちが教会に来ると、タミル人の子供たちは彼らを避けて家に帰ってしまったりしていたそうです。自身も流暢なシンハラ語を話す神父は、特に子供たちへの教育が未来の平和につながると信じ、タミル人の子供たちへのシンハラ語教室や、両コミュニティの子供たちが一緒に参加できる音楽やダンスのプログラムなどを積極的に実施しています。コミュニティセンターのオープニング式でも、両グループの女の子たちがダンスを披露してくれました。最近ではコミュニケーションも生まれており、教会に来ると、お互いかたことの言葉を使いながら、「タミル語で『ちょっとごめんね』は何と言うの?」などと子供たち同士で会話をしながら遊ぶ姿も見られるようになったといいます。

オープニング式でダンスを披露するシンハラ人の女の子たち

オープニング式でダンスを披露するシンハラ人の女の子たち

7月中旬には1年で一番大きなミサが開かれ、両コミュニティから合計100人以上の人が参加し、ミサの式次は両言語で進められました。聖歌もタミル語、シンハラ語の両方で演奏されましたが、見ているとどちらの言語のときも歌詞を口ずさんでいる人が少なくないようでした。神父は、少しずつではあるが確実に人々の変化を感じる、と話しています。

7月に教会で行われたミサの様子

7月に教会で行われたミサの様子

スリランカの沿岸漁民は元々、季節風の変化に合わせて良い漁場を求め島内を東西に移動する季節漁民が多く、内戦の前は民族の区別なくお互いが各地で助け合っていました。コクライの隣村コクトルワイ村にも、元々はシンハラ人でありながら、タミル漁村に住みつき、他の漁協メンバーと助け合いながら漁業を行っている家族がいます。コクライ村のタミル漁民アランリックマンさんも、「ボートで沖合に出る作業は1人、2人ではできず、船を出すときや陸に揚げるときに複数の人の助けがいる」と、村の中でも約300世帯の漁民が集まるシンハラ人居住地域を自ら選んでそこで自らの船を操業しています。

海側から見たシンハラ人地域の船着き場

海側から見たシンハラ人地域の船着き場

土地をめぐる問題や、漁場の確保など、両コミュニティ間での緊張がなくなったわけではなく、居住地域も分かれている2つのコミュニティの間のやりとりは、現在も必ずしも完全にスムーズなわけではありません。今後さらに交流の機会を広げられるよう、神父の協力の下に、出来上がったホールを利用してシンハラ語、タミル語のクラスを継続するほか、子どもたちを対象としたプログラムを増やしていく予定です。

(ムライティブ事務所 伊藤文)

(この事業は、日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。)

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