生活 – 特定非営利活動法人パルシック(PARCIC) https://www.parcic.org 東ティモール、スリランカ、マレーシア、パレスチナ、トルコ・レバノン(シリア難民支援)でフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開するNGO。プロジェクト紹介、フェアトレード商品販売など。 Tue, 05 Jan 2021 09:38:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.1 生き物天国スリランカ https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/12324/ Tue, 10 Oct 2017 09:32:35 +0000 https://www.parcic.org/?p=12324 かつて青年海外協力隊でスリランカ南部に2年間過ごした時にも、スリランカって生き物天国だなぁと思ったのですが、北部で過ごす今もそう思います。

家や事務所で毎日見かけるヤモリは日常過ぎて何とも思わないのですが、道で牛や水牛、ヤギの団体さんに出くわしたりすると、ほぼ慣れてしまったのですが、それでも日本ではなかなか見ない光景なので写真に収めたりしています。

牛の大群で前に進めません

牛の大群で前に進めません

事業地の池の畔で出会った水牛。「あいつ誰?」って感じでこちらを見ています

事業地の池の畔で出会った水牛。「あいつ誰?」って感じでこちらを見ています。

事務所近くで見かけたヤギの群れ

事務所近くで見かけたヤギの群れ

ムライティブ事務所にも我らのパピー、クティ、ちびすけがいます。

パピーとクティ、親子で寝ています。

パピーとクティ、親子で寝ています。

ちびがよくしているポーズです。首が痛くならないのかと気になってます。

ちびがよくしているポーズです。首が痛くならないのかと気になってます。

夜にかけてねずみも事務所に出てきます。。。

夜にかけてねずみも事務所に出てきます。。。

時々サルが事務所にやってきます。人間に近づくことはないのですが、屋根の上で飛び跳ねたりして、うるさいです。追い払うふりをすると、歯をむき出して威嚇してくるので、ちょっと怖いです。

 

私が住んでる家に来たサルの写真です。視線を感じてふと窓に目をやるとサルが家の中を覗き込んでいて、鳥肌が立ちました。このタイプのサルが時々事務所に来ます。

私が住んでる家に来たサルの写真です。視線を感じてふと窓に目をやるとサルが家の中を覗き込んでいて、鳥肌が立ちました。このタイプのサルが時々事務所に来ます。

 

写真は撮り忘れてしまいましたが、移動中に野生の象を見たことが一度あり、事業対象地の池の畔でワニを見たこともあります。

そして、とある週末、パピーたちにエサをあげようと事務所に行くと、セキュリティ担当のパピーを先頭にクティとちびすけが木に向かって吠えていました。またサルかなと思っていたのですが、低いタイプの木に向かって吠えているので、違う。何だろうと思ってよく見ると、ヘビでした。しかも、コブラ。。。

3匹が一斉に吠えまくっているので、威嚇状態のコブラですし、これでパピーたちがかまれたらどうしようと思い、すぐさまエサで釣って、パピーたちを安全なところへ移動させました。

自分にとってヘビはものすごく苦手な生き物で、出来たら関わりたくない。でも、このままにしておくと猛毒なことを知らないパピーたちが咬まれるかもと思うと、立ち去ることもできず、ほうきで敷地外に追い払おうとしましたが、逃げてくれません。

仕方ないので、隣の家の姉弟に「コブラがいる」と伝えて来てもらいました。ヒンズー教の彼らがまず言ったのは「神様なんだよねぇ」と。「ほっとけばどこかに行く」と言うけれど、少なくとも敷地の外に追い出さないと、パピーたちが危ないと説得し、お姉さんはコブラに向かって「行きなさい!行って!」と大声で言うだけ。コブラは聞く耳持たず動きもせず。水をかけたら?と提案したところ、弟さんが近くにあったペットボトルに入った水をかけたのですが、コブラは動じず。。。ホースで水をかけたところ、これには反応して事務所地敷地の外に逃げていきました。外に出て行った後のことは、考えないようにしつつ。。。

青年海外協力隊時代も含め、ヘビは見たことありますし、去年は道端で死んでいた大蛇(直径15センチほど)も目撃したことがあり衝撃的でしたが、本物のコブラは人生初でした。しかも、こんな身近なところで出くわすとは驚きです。

生き物天国スリランカだと思ったのは間違いではないと、コブラを事務所で見て確信しました。

事務所で見たコブラさま

事務所で見たコブラさま

(ムライティブ事務所 飯田彰)

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北部ムライティブ、天の恵みに感謝! https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/11976/ Fri, 30 Jun 2017 02:11:04 +0000 https://www.parcic.org/?p=11976

家の外を撮った何気ない写真ですが、この上ない喜びで写真を撮りました。
ムライティブにようやく雨が降りました!

5月下旬に降った大雨で、スリランカ南部は大きな洪水・土砂崩れ被害に遭いました。一方で、スリランカ北部、とりわけムライティブでは何か月も雨が降らない状態が続き、被害が出ています。ワウニヤやジャフナなど周辺の地域では雨が降っても、ムライティブでは全く雨が降らず、深刻な干ばつに見舞われています。

前事業の養殖対象地の1つであったナンディカダルラグーンでは、水位が下がり、水温が上がった影響なのか大量の魚が死んでしまいました。

数日前、町の中心近くにあるラグーンでも魚が死んでいるのが確認されました。あたりは魚が腐敗した悪臭が漂っていました。

6月17日(土)の午後2時頃、雷の音が聞こえ始めました。以前にも雷の音が聞こえ、ようやく雨かと思ったものの、雨が降らず期待外れだった(!)ことを経験していたため、今回も同じなのかと思いきや、嵐のような大雨が1時間でしたが降りました。

待ちに待った雨でうれしくて、写真を撮りまくってしまいました。雨が降ってこんなに嬉しい気持ちになったのは人生初かもしれません。

たった1時間の雨でしたが、庭に生える木や草花が生き返ったように見えました。今後も雨が降ってほしい。でも、何事にもバランスが大切。多すぎても少なすぎても良くない。自然はコントロールできないから、バランスが難しいのだよなと久しぶりの雨を見ながら、思ったのでした。

週が明けて、ムライティブ出身のスタッフに聞いたところ、町の中心からクルマで5分ほどしか離れていない彼の村では、残念ながら土曜日には雨が降らなかったそうです。まんべんなく降ってほしいものです。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

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北部 ムライティブの面白い世界 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/9616/ Tue, 09 Aug 2016 08:27:17 +0000 https://www.parcic.org/?p=9616 デニヤヤ事務所でインターンをしている村上さんの記事に触発されて、
ムライティブからも “面白い!” と思ったものをご紹介したいと思います。

1.バスの名前(国営)

mullai_20160809_a

 

朝の通勤時によく見かけるバスです。
誰も気にかけていないと思うのですが、多くのバスに名前が付いています。
このバスにも名前が付いているのですが、その名も。。。

 

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「Tsunami Express」

バスの速さを表現するには適切な感じもしますが、ここも津波で被害のあった地域と考えると、
あまりにもブラックジョーク(?)な気がして、笑っていいのか悩むネーミングでした。
しかも、これが国営のバスというのが、このバスの名前のすごさが増すところです。

 

2.パルシック ムライティブ事務所の庭に・・・

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普段の事務所の庭はこのような状態です。
癒し担当のクティ(Kutti)が気持ちよさそうに寝ていますね。

しかし、雨期になると、容赦なく雨が降り続け、庭が池と化してしまうこともあります。

 

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雨が降り続けばこうなるのですが、非日常的な光景だなぁと思ったのが、どこから来たのか、小さな魚が群れをなして事務所の庭で泳いでいたことです。(写真でお見せできないのが残念!)

 

3.民家の不思議なオブジェ?!

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元スタッフの家を訪ねる機会があり、その帰り道に見かけた民家です。
「えっ?なんだ、あれ?」と思ってよく見ると。。。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

マ、マネキンの頭!
シュールな光景で、笑ってしまいました。

シンハラ人の暮らす地域では、よく新築中の家でかかしのようなもの見かけます。以前、「家を建てていると周りの人が嫉妬を抱き、それが災いを招くので、かかしでそれらをはねつける」といった話を聞いたことがあります。

ここムライティブやジャフナでもかかしを見かけることがありますが、この家は新築ではないので「浜に上がったマネキンの頭を見つけて、意味もなく置いたのだろう」と現地スタッフ。
真相はいかに?! いつか家主に聞いてみようと思います。

<後日談>

先日、日本からのスタディツアーの一行とともに、このお宅を訪ねてみました。 ちょうど家の人がいたので真相を尋ねてみると、浜に上がったマネキンの頭を見つけて、飾った(?)そうです。子どもが泣きわめいたりしたら、「泣き止まないとあの悪魔(邪悪なもの?)にお前を渡しちゃうぞ!」と言ってるそうです。しつけの方法は、日本とさほど変わりありませんね(笑)

 

事業とは関係ない話でしたが、たまには別の視点から、少しでもムライティブの魅力が伝わればと思います。また面白い光景に出くわしましたら、ご紹介します。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

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ムライティブ ヒンズー寺院ワッターパライのお祭り https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/9236/ Fri, 15 Jul 2016 06:43:41 +0000 https://www.parcic.org/?p=9236 今回は、ムライティブが年に一度だけ人であふれ返る、伝統的なお祭りについてお伝えします。

ワッターパライという約1,400名の村にヒンズー寺院があり、いつもは閑散としているのですが、年に一度だけ盛大なお祭りがあり、主に北部各地から50万もの人が訪れると言われています。

 

夜店も出てにぎやかな様子

夜店も出てにぎやかな様子

遠く中央に見えるのがワッターパライのヒンズー寺院

遠く中央に見えるのがワッターパライのヒンズー寺院

 

普段は寺院近くまで車で行けるのですが、この日はかなり離れた臨時駐車場から寺院まで歩くことになり、日頃の運動不足を感じずにはいられませんでした。また、年に一度ムライティブで道路が渋滞するところを見ることができます。

 

ワッターパライのヒンズー寺院

ワッターパライのヒンズー寺院

 

ヒンズー教お祭りの醍醐味(?)と言えば、これかと思います。

タミル・ヒンズー教文化になじみのない者にとって、この光景はやはり衝撃的です。現地スタッフに聞いたところ、様々な願をかけて地元のお寺から出発してワッターパライの寺院を目指すそうで、遠いところだと朝に出発して何時間もかけて来るそうです。また、お礼参りとしてもこの苦行をするそうです。

 

吊られているヒンズー教徒

吊られているヒンズー教徒

吊られているヒンズー教徒

吊られているヒンズー教徒、アップで。吊られ方がショッキング!

 

弾力性のある木に吊られているのですが、上にいる人が勢いつけて揺らします。釣り針の大きいもので吊っていて、見るからに痛々しいです。それでも、吊られている人は痛みを感じないそうで、既に別世界にいるような様相でした。目的地のヒンズー寺院に着いたときに、どう針を取り除くのか見たのですが、遠慮なく取り外していて、消毒なんかもせず、見ているほうが痛かったです。

 

別世界に行ってるような表情

別世界に行ってるような表情

 

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ほとんどの人が男性ですが、女性もいて、びっくりしました。

ほとんどの人が男性ですが、女性もいて、びっくりしました。

 

基本的な姿勢は上の写真にあるような形ですが、人によって涅槃仏のような恰好だったり、座っている格好だったりと興味深いです。

この光景を普通のものとして見られる時が来るのかわかりませんが、異文化を感じる瞬間でワクワクします。それでも、苦行を課して願を掛ける、もしくはお礼参りする気持ちは、日本でも似たような感覚があり、根底に流れる同じような思想を感じました。

(ムライティブ事務所 飯田彰)

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デニヤヤ駐在報告 村で発見した面白いもの! https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/9198/ Fri, 08 Jul 2016 09:11:42 +0000 https://www.parcic.org/?p=9198 おはようございます(スバ・ウダーサナック)。デニヤヤインターンの村上です。

日々、視察のため農家の家を訪れていると面白いものを発見することがあります。今回は、村で発見した面白いものを少し紹介したいと思います。

皆さん、これは何だと思いますか。飛行機のプロペラ?こどものおもちゃ?

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手動扇風機

これはなんと、手動扇風機です。

私も最初見たときは、ただの遊び道具だと思いました。プロペラの後ろにハンドルがついていて、ハンドルを回すとプロペラが回転するシンプルな仕組みになっています。結構強い風が来て涼しいのですが、持続時間が2、3分なので継続してハンドルを回し続ける必要があり、余計に汗をかきそうです。

私が「これは何ですか?」と尋ねるとおじさんが「涼しいでしょ」と得意げに手動扇風機を回して見せてくれました。扇風機を回す楽しそうなおじさんの姿に癒されました。

 

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手動でまわる扇風機。得意げな顔です!

 

他の農家の家を訪れた際には、鳥かごの中にどこかで見たことがあるような形の何かが入れられているのを見つけました。よく見ると腕の折れた人形が入れられていました。

この家のおばちゃんに恐る恐る「なぜ鳥かごに人形がいるんですか」というと、「あははは」と笑っていました。この家の人達は夜トイレに行くのが怖くはないのだろうか(スリランカの家は大体トイレが外にあります)、と思いました。

 

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鳥かごの中に入れられた人形 (※写真の右下あたりに注目)

また村で面白いものを発見したら紹介したいと思います。
(デニヤヤインターン 村上紘寿美)

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デニヤヤより、インターンの駐在報告 家族の紹介 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/8986/ Tue, 05 Jul 2016 03:26:15 +0000 https://www.parcic.org/?p=8986 はじめまして。スリランカ・デニヤヤインターンの村上紘寿美(こすみ)です。

私は山形県大江町の出身で、スリランカでは老若男女誰もが知っている゛おしん”の舞台となった町です。現在は、広島大学大学院国際協力研究科修士課程に所属し、文化人類学を専攻しています。当初は、調査をするためだけにスリランカに滞在する予定でしたが、以前、横浜にある国際協力のNPOでインターンをした経験から、現地での経験が積めるパルシックのデニヤヤインターンに応募しました。

今日は、私がお世話になっているホームステイ先の家族を紹介します。

家族はお父さん、お母さん、娘2人、おばあちゃんの5人です。お父さんは、外科を専門とするアーユルベーダのお医者さんで、家に併設された診療所には毎日大勢の患者が訪れます。お金を稼ぐためではなく、怪我をした人に奉仕するために働いているというお父さんは、貧しい人には無料で治療を行っています。アーユルベーダ医師が普段どういう仕事をしているかは、またの機会にじっくり紹介したいと思います。

 

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アーユルベーダ医師のお父さん。ちょうど診療中に、パシャリ。

 

お母さんは歌と僧侶の説教を聞くのが好きで、日曜日にはお寺で子ども達に仏教の教義を教えています。長女のジャヤニは小学校で音楽の先生をしており、人の世話が好きで、近所の赤ん坊を実の子の様に可愛がっています。4つ歳の離れた次女チャラニは、マータラにある私立学校に通っており、おしゃべりが好きで、次女が帰ってくると家が一気に賑やかになります。

 

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お母さんのナンダ

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次女のチャラニ(20)。カメラを向けたら、素敵なポーズをキメてくれました!

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小学校で音楽を教える、長女のジャヤニ(24)

 

プンチハーミおばあちゃんは耳が遠いのですが、手を振るといつも優しく微笑んでくれます。

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プンチハーミおばあちゃん

 

ホームステイ先のお宅は、アーユルベーダの診療所を併設していることもあり、朝から晩まで沢山の人が訪れていつも賑やかです。

以上、簡単ですがホームステイ先の家族の紹介でした。次回は、私のデニヤヤでの暮らしの様子をお伝えしたいと思います。

(デニヤヤ事務所インターン 村上紘寿美)

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スリランカ:大統領選挙を1月に控えて https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/6667/ Wed, 10 Dec 2014 06:15:10 +0000 https://www.parcic.org/?p=6667 11月下旬、2015年1月8日にスリランカの大統領選挙が実施されることが発表されました。現在の大統領の任期は2016年の11月までで、まだ2年もの任期を残して実施される選挙です。

26年間に亘った内戦を2009年に終結させ、和平をもたらしたマヒンダ・ラジャパクサ大統領は、その功績が支持され2010年に大統領に再選されました。スリランカの憲法では、大統領は3期以上連続してその職を務めることができないことが定められていましたが、再選後彼自身が憲法に修正を加え、3期目の出馬を可能にしました。

内戦は確かに終結したものの、再選当時期待された民族間対立の解決は、人びとが期待したように進んでおらず、どちらかというとタミル人の要求を抑圧する形で、表面上の平和が維持されているというのが現在の状況です。いまだ北部の広大な土地は、高度警戒地域として、または政府軍の基地として占有されたままで、現在も10万人はいると推定される北部に駐屯する兵士の数も、平時に戻ったというには多すぎる数です。また、政府軍、LTTE軍が行った、戦争犯罪に関する外部調査実施を求める国連人権委員会の採択に対して、政府は再三協力を拒否、いまだにスリランカ国内への調査団の派遣は実現していません。

 

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選挙に向けて数が増している大統領の広報ポスター。北部の都市キリノッチの幹線道路にて。元々あった横断幕に加え、街灯すべてに大統領のポスターが貼られている

 

ラジャパクサ氏が大統領に就任してから約10年が経ち、一族に集中する財と権力が目立ち、その一方で物価の上昇により人びとの暮らしが圧迫されることで大統領人気に陰りが見え始めると、彼の主な支持基盤である農村シンハラ人層からの支持を失う前に選挙を行おうとの動きが窺えるようになり、2014年の半ばごろから、2015年初頭選挙実施の情報が流れていました。9月に行われたウバ州議会選挙の結果が、与党スリランカ自由党(SLFP)の辛勝だったことも、大統領選挙実施の動きを加速したと見られています。

3期目の再選を狙うラジャパクサ氏に対し、当初最大野党の統一国民党(UNP)には対抗できるだけの支持を得られそうな人物がおらず、誰を対立候補として擁立するか、水面下の動きが進んでいました。そんな中、11月下旬に選挙日程が決定され、大統領が自らの出馬を表明した翌日、SLFPの幹事長で、現政権の保健大臣を務めていたマイトゥリパーラ・シリセーナ氏が、突如、UNPの支持を得て対立候補として立候補するという、予想外の展開が起きました。

 

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シリセーナ氏の立候補を伝えるニュース記事(2014年11月21日ウダヤン紙)

 

この背後では、前大統領でラジャパクサ氏に政権を譲ってから現政権の批判に回っていたチャンドリカ・クマラトゥンガ氏が、シリセーナ氏らの決断を後押ししたと見られています。立候補表明は大統領にも事前の連絡がなかったといわれており、与党連合側には衝撃が走りました。シリセーナ氏をはじめとする数人の大臣、議員たちは、大統領に過度の権力が集中し、3期目の出馬をはじめ、様々な決定が彼の独断で決められるシステムになっていること、政権の要職がラジャパクサ一族に占められており、誰も彼らの判断に意見できないことを厳しく批判しています。

ラジャパクサ大統領が出馬を表明した11月末以降、1週間で既に10人の与党連合所属の現職大臣、国会議員が対立候補側に付いており、州議会、村落議会のレベルでも鞍替えをする議員が出ています。これまで与党連合に加わっていた、強硬なシンハラナショナリズムで知られる仏教政党、国民遺産党(JHU)も対立候補の支持を表明する一方、UNPから鞍替えをして大統領支持に回る議員も出るなど、現大統領が結局勝つのだろうというムードが一転、どちらが優勢か見極めがつかない状態となり、状況の変化に伴い緊張感も増しています。

ラジャパクサ大統領は9月頃から、目に見えて選挙対策と分かる支援を全国で始めていました。10月には、24年ぶりのコロンボ-ジャフナ間の鉄道運転再開が大統領の参加の下、新ジャフナ駅で盛大に行われました。この北部訪問で大統領は、北部州に住む20,000世帯への土地所有権の分配、内戦中LTTE銀行に質として預け入れられ、戦後は政府が管理していた貴金属の一部返還などを人びとに約束しました。また、政府職員へのバイクの割引販売、公共バスの新しい車体の導入なども各地で実施され、大統領は現政権が行っている開発面、生活面での社会の改善を強調しています。選挙日程決定後に国会を通過した2015年度予算は、政府職員の給与・手当の増額、民間部門の最低賃金増額、付加価値税減額、水道・電気料金の減額などが盛り込まれており、一部批評家からは票を取るための「ばらまき」とも指摘される内容でした。

 

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鞍替えする議員を脅す大統領を風刺するタミル紙の漫画(12月3日ウダヤン紙。党に参加する議員にはカネを(左手)、離れる議員には書類を(右手:不正に関する報告の意)提示する大統領。実際、大統領は予算審議最終日の11月24日、メディアを通じて「離反した議員の過去の不正に関する書類を手元に揃えている」旨の発言をしました。)

 

この動きの中、タミル人を代表するタミル国民同盟(TNA)はいまだにどちらの候補を支持するか、正式に立場を表明していません。TNAが支持の条件として提示しているのは、内戦中の1987年に定められた第13次憲法修正に基づき、北部州、東部州への警察権と土地の管理権を移譲することです。民族対立の解決、北部における政府軍の規模縮小、自らの土地に戻ることができていない人びとへの帰還の保証も条件に含まれています。この条件は、2013年9月にTNA率いる北部州議会が誕生した際にも、TNAが人々に実現を約束したものの、ラジャパクサ政権は結局権限の移譲を拒否し、いまだに実現されていないものです。人口の5%にのぼり約100万票の支持基盤を持つといわれるTNAの動向は、選挙の勝敗を左右するため見過ごすことのできない要素ですが、どちらの候補にとっても、この条件を承諾することは、シンハラ人支持層からの反発を受けることになるため難しい選択とならざるを得ません。

 

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開通日のジャフナ鉄道駅の様子

 

ムライティブで働くAさんは「現大統領はタミル人の人権問題に関して、成果を上げることができなかった。新しい大統領になったら変化が期待できるかもしれない」と、政権が変わることでタミル人が置かれる状況の変化への期待を語る一方、漁民のBさんは、「対立候補も元々現政権の一翼を担っていた人物。立候補の数週間前は、会議で大統領に賛同する旨の発言をしていた。今回は彼が勝つかもしれないが、タミル人に対する政策が変わるとは思えない」と悲観的です。漁民のCさんは「これまでどの大統領も、選挙の前は民族問題の解決を掲げていたが、就任後実施されたことはなかった。今回も同じだろう」と話しています。一方Dさんは「2013年の北部州議会選挙で現政権を支持しなかったため、その後村への支援が少なくなったと感じる。今回の選挙は、権力を握っているラジャパクサ大統領が再選されるのではないか。今回は支援を受けられるよう、彼を支持しようかと考えている」と話しており、人々の捉え方もそれぞれ違うことが分かります。

8日、立候補者の正式な届出が行われました。投票まで1ヶ月、今後状況が大きく変化する可能性もあり、人びとは日々の各候補、政党の動向を固唾を飲んで見守っています。

※International Crisis Groupのウェブサイトから引用

(ムライティブ事務所 伊藤文)

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国連人権理事会と北部の状況の変化 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/5826/ Tue, 08 Apr 2014 05:16:09 +0000 https://www.parcic.org/?p=5826 3月3日から28日にかけて、スイス・ジュネーブで国連人権理事会の定例会議が開催されました。理事会は27日、国連人権高等弁務官事務所に対し、スリランカで内戦末期に行われた政府軍およびLTTE軍の両当事者が行ったとされる重大な人権侵害や関連犯罪について、包括的な調査を実施した上で、責任追及を実現するとした決議を採択しました。それに加え、内戦終了後も発生している拉致、拷問、脅迫などの人権侵害に対しても、現在も進行している問題として懸念が表明されています。昨年8月の国連人権高等弁務官ナビ・ピレイ氏、11月のイギリス・キャメロン首相の北部訪問の報告の中でも、スリランカ政府の人権問題への取り組みの不十分さは指摘されていました。

スリランカ政府は、今回もナビ・ピレイ氏をはじめとする人権高等弁務官事務所の組織としての中立性・独立性に疑問が残る、同事務所はイラク、アフガニスタンなどで行われている軍事侵攻に対して適切な対応を行っていない、などを理由に決議を受け入れられないこと、調査は独自に行うことを明言し、強硬な態度を示しています。4月1日には、理事会の決議に呼応する形で、西欧諸国で活動する16のタミル人グループの活動を「テロリズム」への関連があり、スリランカでのタミル人の分離運動を扇動する可能性がある、と禁止、違法とする決定を下しました。

会議の最中である3月15日、内戦中に行方不明になった家族に関する情報提供を求めるハンガーストライキに参加したことのあるタミル人女性が、キリノッチ県内の自宅で警察に逮捕されました。女性は、夫と息子が内戦中に行方不明になったまま、今も消息が分からず、キャメロン首相が北部を訪問した際に、政府による対応の遅さを訴えるためにストライキに参加、メディアに大きく取り上げられて注目を集めました。スリランカでは内戦終了後、数千人にも上るといわれる行方不明者に関する生死を含む情報が、いまだ正確には明らかにされていません。

15日、女性の自宅を、指名手配中の人物が潜んでいる可能性があるとして軍人数名が訪れた際、何者かが軍人へ向けて発砲し逃走した、というのが女性が拘束された理由でした。

この翌週には、事件の情報を集めるために近隣の村を訪れたスリランカ人神父2人が、「テロ誘導」の容疑で逮捕されました。彼らはこれまでも積極的に人権問題に関わってきた活動家で、彼らの逮捕が不当であるという動きがすぐに各地で展開され、2人は数日後に解放されましたが、逮捕後、政府による許可なしで海外への渡航を禁止することが通告されています。

女性の逮捕事件前後から、キリノッチからムライティブへ向かう道中には、新たに軍隊によるチェックポイントが置かれるようになり、ここ数か月は廃止されていた南部から北部へ移動する際の身分証確認も復活しました。この1か月で、地域での警察、軍隊による取り締まりが、以前より明らかに厳しくなっていることを肌で感じます。

これら一連の事件は主には、強くなる国際社会からのプレッシャーに対し、スリランカ政府が北部での軍隊の活動を今以上に縮小する意思がないことを示すため、また、戦争犯罪に関する情報が外部に漏れ出ることを阻止するためである、と見られています。しかし、実際に日々この社会で起きている事柄に関する情報を権力や脅迫を利用してコントロールするには限界があり、外部者としての立場から見ていると、政府の方針は時に無謀に見えることもあります。

今回の一連の事件を通し、ただでさえ不安定な状態に置かれていた帰還後のタミルの人々の暮らしが、さらに不安にさらされています。ムライティブにも、家族が行方不明なままの人や元LTTEの兵士が大勢おり、行方不明の家族を持つ人たちは行方の調査について、国外からの支援に頼る手段を制限され、また、元兵士の人々はいつ自分も逮捕されるか、という不安と共に暮らすことを余儀なくされています。

北部で暮らす人々の多くは、何にも代えて、内戦が終わったことに希望を抱いており、再び武器を取って闘いたい、そのことを支援したい、と感じている人に、村では今まで出会ったことがありません。26年間で彼らが失ったものはあまりにも大きく、同じことを繰り返すことの無意味さと、苦しさが、人々の間で共有されているからではないかと思います。そのような思いで日々を過ごしている人々の、希望やわずかな安心も奪うようなことはあってほしくない、と、切に願いながら、この1か月の状況の変化を固唾を飲んで見守っています。

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ムライティブの街並みの変化 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/4887/ Wed, 09 Oct 2013 05:02:43 +0000 https://www.parcic.org/?p=4887 今年3月にムライティブで新しいプロジェクトが始まってから、半年が経ちました。北部州の中でも都会のジャフナに比べ、スーパーマーケットも小規模なものが1軒あるのみ、商店街と呼べる通りはほんの数十メートルほど、と、のどかなムライティブですが、それでもこの半年の間に、街並みに着実な変化が見られます。

ムライティブタウンで唯一のスーパーマーケット

ムライティブタウンで唯一のスーパーマーケット

 一番大きな変化は、道路が改良されていることです。一年前までは、車で4時間ほどかかったジャフナ-ムライティブ間の移動は、現在、一部を残してほぼすべての区間の舗装工事が終わり、約2時間半で行き来できるようになりました。同じく、ムライティブタウンから、パルシックの事業地への道の変化も目覚ましいものがあります。私が着任した当初は、コクトルワイ村に入ってから、カルナドゥカーニ村、コクライ村へと移動する幹線道路のほぼ全域が工事中で、砂や石を運ぶ大型トラック、コンクリート車、舗装車などが道をふさぎ、村を訪問する際はほぼ毎回、どこかで必ず待たされていました。それが先月、全区間の舗装が完了し、アスファルト道路が完成、移動時間が短くなっただけではなく、景色もがらりと変わり、以前何度か訪ねたことがある家も、最初気付かずに通り過ぎるほど。現在は、側溝の工事や、横断歩道脇の柵の取り付けなどが進んでいます。

工事中だった頃のコクライ村の道路

工事中だった頃のコクライ村の道路

この道路工事、帰還した人々の仕事の機会にもなっており、多くの場合、数ヶ月単位の契約で、1日4~5時間働くと約500ルピーの収入になります。まだ村に戻ってきて1、2年と日が浅く、農地を失った人、内戦中はLTTEに所属していた人、夫を戦争で亡くした女性など、すぐに定収入を得ることが難しい人々にとっては数少ない収入源の一つです。工事現場の清掃など比較的容易な作業には女性も参加しており、ヘルメットをかぶった女性たちが並んで道路を片付けている姿を、工事中は頻繁に見かけました。ただし、必要とされる人手や期間が限られているため、誰でも希望すれば参加できるわけではなく、継続的な収入にもならないので、人々は他の収入源にも頼らざるを得ません。

舗装されたアスファルト道に取り付けられた立派な柵

舗装されたアスファルト道には、通行量に比べて立派すぎると思える柵も取り付けられています。

 ムライティブタウンの街中にも変化は見られます。9月上旬、街の中心部にアメリカの援助機関USAIDの支援を受けた新しい市場が完成しました。それまでは、木材とトタン屋根、ビニールシートで囲った簡易的な建物だった市場が、二階建て部分を含む真新しい建物に生まれ変わり、街の中でもひときわ人目を引いています。オープンしたての市場は活気にあふれており、建物が新しくなってから、取り扱われる野菜の量も増えたように感じました。現在、ムライティブ県次官事務所(県庁)も新築工事をしており、1年以内に4階建ての新しいオフィスが完成する予定です。

新しくなったムライティブタウンの市場

新しくなったムライティブタウンの市場

ムライティブ県内ではありませんが、9月14日には、内戦によって中断していたコロンボとジャフナを結ぶ鉄道工事も、北部の中心都市のひとつキリノッチまでの路線が開通し、残すところ、キリノッチ-ジャフナ間の約65kmとわずかになりました。年内にはジャフナタウンのすぐ手前まで線路が敷かれる予定といわれており、工事が日々進んでいる様子が、近くを通ると見てとれます。

新しくできたキリノッチ駅

新しくできたキリノッチ駅

この間、急速に変化が進んだ理由には、8月末の国連人権高等弁務官、N・ピレイ氏のスリランカ訪問や、9月末の州議会選挙の開催を前に、政府が北部の復興を強調したかったことが考えられますが、これらの変化は、確実に人々の生活にも影響を与えています。交通網が便利になることは生産物の販路を拡大するだけでなく、北部に来る観光客の増加にもつながっています。

その一方で、幹線道路を離れ村の中に一歩入れば、舗装されていないでこぼこ道の先に、まだヤシの葉とトタン板で作った家に住み、電気も水道も来ていない、仕事も十分にない、という暮らしをしている人たちがたくさんおり、人、物の移動が増加したことによる恩恵は、まだ一部の人のところにしか届いていないという印象を受けます。道路建設をはじめとした北部各地で進む開発や投資の中心を担っているのは、南部の人々であることが多い、という現実もあります。20年以上に及ぶ内戦の被害を直接被った人々が、この地域の発展の中心的な担い手になるには時間がかかるのは事実かもしれません。ただ、一刻も早く人々が自らの手で村の発展を担っていかれるようになるために、今必要とされている支援は何なのか、考えさせられる日々が続きます。

(ムライティブ事務所 伊藤文)

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デニヤヤの山奥よりジャフナを訪問 ― その2 https://www.parcic.org/report/srilanka/srilanka_life/1833/ Fri, 01 Jun 2012 15:00:42 +0000 http://test.parcic.org/?p=1833
写真1:もちろん、つまみ食いもしました

写真2:PARCICの干しエビを売っているジャフナの干物屋さん。写真には納まっていませんが、とても鮮やかな赤い色(着色していると思われます)の干しエビも並んでいます

写真3:この日の昼食は、ロティ(パンのようなもの)、エビカレー、フィッシュボールカレー、サラダ

写真4:味見をたくさんさせてくれたり、マンゴーを1個おまけしてくれたりと、気前のいい果物屋さん。ジャフナ駐在スタッフのお気に入り。

写真5:人気のアイスクリーム屋さん。写真は平日の4時頃に撮影したためお客さんもまばらですが、休みの日には大賑わいです。

ワナッカム(タミル語で「こんにちは」)!普段はデニヤヤの山奥にいる高橋が、5月初旬にパルシックのジャフナ事務所を訪問した際の感想を前回に引き続き報告させていただきます。今回は、ジャフナの味覚がテーマです。

まずは、ジャフナと言えばシーフードです。我々パルシックでの事業でも干物作りをしています。今回はジャフナタウンからほど近い、ヴェラナイの干しエビ加工センターを訪問する機会があったのですが、センターの倉庫では山盛りのパッキングされるのを待っている干しエビを見ました(写真1)。干しエビはこの加工場でパッキングされ、ジャフナの干物屋さん(写真2)やコロンボなどで売られています。

そして、ジャフナ滞在中はオフィスのアッカー(ここではケア・テイカーさんのことですが、一般に自分より年上の女性に対して「アッカー」と声をかけるのは、シンハラ語でも同じです)が作ってくれる昼食をご馳走になっていました(写真3)、エビカレー、フィッシュボールカレー、サラダ)。何と言っても、干していないエビはデニヤヤで目にすることはありません。ぷりぷりのエビカレーに感激してしました。また、美味しいイカカレーもご馳走になりました。デニヤヤではイカは全く食べません。以前、ジャフナで作っているスルメをデニヤヤの我が家に持ち帰ったところ、完全にゲテモノ扱いされました。その時のスルメは私が喜んで一人占めしましたが。手前味噌ですが、ジャフナ事務所のアッカーの食事はかなり美味しいと評判で、とても楽しみにしていました。確かにバリエーションも豊富で、塩分と辛みが南部に比べて控え目で、日本人の口にとても優しい味でした。

野菜市場を覗いてみると、旬のジャフナマンゴー(写真4)が並んでいました。マンゴーはデニヤヤでももちろん採れるのですが、ジャフナマンゴーは格別です。濃厚な甘さが特徴で、コロンボなどでは、他のマンゴーに比べて値段が高いようです。

最後は衝撃を受けたジャフナのアイスクリーム屋さんです。ジャフナにはちょっとレトロチックなアイスクリームパーラーという風情のアイスクリーム屋さんが数軒ありました(写真5)。デニヤヤにはもちろんこんな洒落たアイスクリーム屋さんはありませんが、コロンボでも見かけたことがありません!こちらの人は老若男女甘い物が好きですので、私が訪れた時もムスリムのおじちゃんたちが団体でお店に来ていました。

ジャフナ滞在中、ジャフナの味覚を色々と楽しむことができたのですが、ジャフナ・クール(ジャフナ名物のシーフードスープ)を食べそびれた!ということにデニヤヤに戻ってから気が付きました。次回は、ジャフナ・クールを忘れずに食べて行きたいと思います。

(パルシック 高橋知里)

 

 

 

 

 

 

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